入寮式・夜〈ルート共通イベント?〉①
――入寮式が無事に終わった、その夜。
「つむ、こっちだ」
「あぁ、コウ。待たせたか?」
「いや。俺もさっき来たところだから」
男子寮と女子寮の庭を隔てる、障害(塀)をさらりとすり抜けて。
――つむぎは、日課であるコウとのミーティングのため、密かに男子寮の庭を訪れていた。
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誰もが思うところはそれなりにあっただろうけれど、それでも全体的に見れば、入寮式は滞りなく終わった。全体で部屋割りが発表されてからは、男子寮と女子寮のそれぞれに分かれての、朝食夕食の時間とシステム、大浴場の利用時間など、生活面の細かな説明が行われ、ひとまずの自由時間となる。――つむぎたちボランティアは、新入生がエントランスホールから捌けた後、撤収作業を行なって、解散となった。
(今日もなかなか、充実した一日だった)
自室へ帰ってからは、忘れないうちにと、今日得た情報と、そこから考えられる推測をまとめ、今後の販売戦略についてざっくりとした筋道を立てて。『飯母田製菓』の営業部から来ている本日の販促データまとめなどに目を通してから、夕食、入浴を済ませるべく、自室を出る。
「あっ、飯母田さん! 今日はどうもありがとうね」
「あぁ、副会長」
夕食を選び、トレイに乗せて空いている席を探しているところで、同じくトレイを持った副会長に声をかけられた。入学式の受付総括、式中の裏方補佐、そして入寮式での司会進行と、本日大忙しだった彼女は、新年度一発目の行事が何とかトラブルなく終えられたことにホッとしているようで、安堵の笑みを浮かべている。
「私は、ボランティアとして当然のことをしてまでです。副会長こそ、入寮式の司会、お疲れさまでした」
「労ってもらえるほどのことはしてないわ。それより飯母田さん、あの飴、本当に美味しかった! さっき、頂いたショップカードで早速サイトに行ってね。思った以上に種類があったから、ついつい、たくさん買っちゃった」
「そうなんですね。お買い上げ、誠にありがとうございます。冷やすとより食感が楽しめますので、よろしければお試しください」
「そうなの? 良いこと聞いちゃった。届いたらやってみるね」
「はい」
美人で気さくな副会長は、とても素直な気質の持ち主でもあるらしい。優良顧客獲得の予感に、つむぎは自然と笑顔を浮かべていた。
「飯母田さんは、今からお夕食? ルームメイトの方は、ご一緒でないの?」
「あぁ、私は昨年度からずっと一人部屋なんです。なんでも、私と同室予定だった方が、入学直前で進路変更をして、宝来には進学されなかったらしく」
「そうなの? 一人部屋だと、お部屋の掃除とか洗濯とか、一人で大変じゃない?」
「それほどでもありませんよ。飯母田の家は成り上がりで、幼い頃は一般的な暮らしをしていましたから、掃除も洗濯もひと通りは両親から教わっていましたので」
「まぁ。成り上がりなんて、お家のことをそのように卑下するものではないわ。飯母田製菓は、会社として大きくなったのは最近のことだけれど、良い和菓子のお店として、代々受け継がれてきたのでしょう?」
「えぇと、まぁ、そうですね。歴史はそこそこ、あるらしいですが」
『和菓子いいもだ』が店の利益に伴わず、職人と売り子を常に複数人抱えていたのも、歴史だけは無駄に長かったからだ。とはいえ、その興りは江戸の頃らしいので、名家としてはやはり中途半端である。店の所在地が京都なら、老舗の数にも入らない。
(とはいえ、〝江戸の頃から市井で和菓子店を途切れさせることなく繋いできた家が、満を持して日本全国に販路を広げ、店を企業化させた〟ということで、成り上がりとしてはまだスムーズに、上流階級の方々から受け入れてもらえたわけだからな。そういう意味では、飯母田の歴史がそこそこ長くて助かった)
特に歴史ある家の出身ではない若者が起業して成功し、大金持ちになっても、上辺だけでしか受け入れてもらえないのが、日本の上流階級という特殊な〝世界〟なのだ。昨今出てきている有名起業家の中には、『飯母田製菓』よりはるかに利益総額が上でも、上流階級から認められていない人もいる。昔より門戸は広くなったが、依然として厳格な身分社会であることに変わりはないということだろう。
「飯母田さん、もしお一人なら、お夕食、一緒に食べましょう」
「はい、副会長。喜んで」
目の前で気さくに声をかけてくれる副会長の実家もまた、飯母田家より遥かに格上のお家。よほどのことがない限り、彼女の誘いを断って気分を害するようなリスクは取れない。
当たり障りなく会話して食事を終え、そのまま大浴場へ行って手早く入浴を済ませてから、つむぎは足早に、夜の女子寮の庭を駆けた。
(慌ただしい入寮式の日に、庭まで探索している猛者はいないようだな)
これから日々の生活に慣れてくると、春秋の涼しい夜更けに庭を散策する生徒も増えてくるだろうから、注意していかなければ――と思いつつ、つむぎが向かったのは。
(相変わらず、鍵はしっかり壊れてる)
男女共同棟を中央に、向かい合って建つそれぞれの寮の間、〝コ〟の字の中を〝Y〟字で三等分するように、共同寮庭、男子寮庭、女子寮庭は存在している。〝Y〟字の境界はモダンな煉瓦造りの塀となっており、それぞれ、庭師や管理人が行き来しやすいよう、しかし生徒は通れないように、鍵付きの通用扉が設けられているのだけれど。
(いつも思うが、一番行き来を制限するべき男子寮と女子寮を隔てる塀の通用門の鍵を放置したままというのは、普通に問題なんだよな。……それを利用している、私が言うべきことではないが)
そう思いつつ、つむぎは特に抵抗なく、鍵の壊れた通用扉を開けて、静かに男子寮庭へと侵入した。
――そのまま、いつもの道をまっすぐ歩いて。
「つむ、こっちだ」
「あぁ、コウ。待たせたか?」
「いや。俺もさっき来たところだから」
既に待っていてくれたらしい亘矢と、暗闇の中、顔を合わせる。
この場所は男子寮庭の中でも最奥にあり、寮の灯りもほとんど届かない。暗闇の中、つむぎは手探りで亘矢の位置を探り、隣に座った。
「つむ、今日は一日、色々大変だったろ? お疲れ」
「それを言うのは私の方だよ。風紀委員こそ、気が抜けない一日だったんだから。今のところ、特に大きな問題は起こってなさそうだが」
「あぁ、平和なもんだ。――で、首尾はどうだった?」
問いつつ、亘矢が開いたのは、どこにでもありそうなタブレット。――あくまでも見た目は、だが。
「取り敢えず、生徒会の副会長に新商品のサンプルを渡して、通販サイトで購入してもらうことはできた」
「副会長……三条家のご令嬢か」
「そうそう、三条先輩」
「渡した新商品は、有平糖と琥珀糖を層にした『ありことう』で間違いねぇ?」
「あぁ。あれなら、鞄の中に入れておけば、そうそう溶けないし」
「試供品として配れる干菓子の甘い系統は、どうしても飴系に偏るからなぁ」
「入口としては充分だと思うぞ? 実際、副会長もすぐに購入してくれたみたいだ」
「――あぁ、うん。今日の夕方に、『ありことう』全種類お買い上げの履歴がある。無事に顧客化できそうじゃないか?」
「本当に良い人だな……」
「まぁ、今期の生徒会で副会長できてる時点で、超野心家の腹黒か、底抜けのお人好しかの二択なのは間違いねぇからな。どうやら三条の姫は後者らしいが」
会話を続けながらも、亘矢の指は忙しなくタブレット画面を叩き、次々と情報を入力している。




