第64話 いや、その話は……
「其方は名を何というのじゃ?」
現れたのはソフィア姫殿下だった。
どうやら俺たちが注目を浴びていたこと。気に入らなかったのか、彼女は俺の名を問う。
「えっと、俺はスノーウッド男爵家の五男リオです……」
取り繕う必要のないことだ。俺はそもそも姫殿下を狙って夜会に参加したわけじゃない。エレナと一緒にいるためだけに、ここへと来たんだ。
だから、身分を隠さなくて良い。男爵家の五男だと知るだけで、彼女は去って行くだろうから。
「ふむ、南部の出身か……」
意外なことにソフィア姫殿下はスノーウッド男爵家がどこにあるのか分かっているのかもしれない。
南部の片田舎であるスノーウッド男爵領は南部の人間であっても知らない人が多かったというのに。
「良かろう。妾の手を取れ。踊るぞ?」
瞬時に会場全体がざわつく。
いや、俺は男爵家の五男坊だと言っただろ? 不釣り合いすぎる男の手を取ろうとするんじゃない。
貴方はまだ相手を決めておらず、誰とも踊っていないんだ。最初の相手に男爵家の五男坊を選ぶんじゃないって。
「いえ、俺は夜会に参加する資格すらない男です。殿下が最初に踊る相手として相応しい人間ではありません」
「なら、どうして参加しておる? わけを申してみぃ」
ざわめきが収まらない。
楽団でさえも手を止めて、主催である姫殿下の言葉に耳を傾けている。
「俺はその……ガラム辺境伯様が招待してくれたのです」
潜り込んだと思われては父上に怒られてしまう。だから、ガラムの爺さんの名を出すしかない。嘘ではないし、それが正解だろうと思う。
「ほう、ガラム爺がの……。なるほど、手を取るのじゃ!」
もうどうしようもないな。まるで聞いてねぇし。
姫殿下の申し出を二度も断るなんて、俺の首どころか父上の首でさえも飛んでしまう。居合わせた人間であれば、誰でも分かっているはずだ。
エレナに視線を合わせると、彼女は大袈裟に首を振って後ずさり。
そりゃそうか。流石に、この騒動に首を突っ込むなんて伯爵家令嬢である彼女にとって好ましくないことだろう。
「よろしくお願いいたします」
「うむ、良きに計らえなのじゃ!」
俺はソフィア姫殿下の手を取っていた。
こうなると、あとは失礼がないように完璧なダンスをするだけだ。どうせ二曲か三曲。ソフィア姫殿下が満足するように踊るしかねぇな。
直ぐさま楽団が演奏を開始。ソフィア姫殿下は会場の中央へと歩んでいく。
端っこでダンスしていた先ほどとは明確に異なる。過度な緊張感の中で、俺はダンスしなければならないらしい。
(やるっきゃねぇ……)
このダンスは俺だけが恥を掻くわけじゃない。
パートナーであるエレナやスノーウッド男爵家をも背負ったダンスだ。
ダンスマスターのスキルを信じて踊るだけであり、俺は喝采を浴びなくてはならなかった。
「ほう、下位貴族なのにやるの!」
「いえいえ、姫様に比べるとお遊びみたいなものです」
とにかく姫様を怒らせてはならない。ダンスだけじゃなく、俺は気を遣うべきだ。
「わはは! もっと派手に動くのじゃ! 妾を立てよ!」
「御意に……」
ダンススキルが昇格していて助かった。
どんな要望にも俺は応えられている。右へ左へ激しく動く姫殿下に、俺は難なくついていっていた。
瞬く間に三曲が終わり、再び休憩の時間がやって来ている。
演奏の余韻が完全に収まると、先ほど以上の喝采が俺たちに浴びせられていた。
(マジか……?)
此度のダンスは誰も踊っていなかったのだ。
ソフィア姫殿下が初めて踊る場面を邪魔しないように。
つまりは夜会に参加した全員が見ていた。俺はそんなこと望んでいなかったのだが、誰しもが姫の不興を買うことを恐れた結果であろう。
ソフィア姫殿下が観衆に丁寧なカーテシーをするので、俺も一応は深々と礼をしている。
すると再び割れんばかりの拍手が俺たちを迎えた。ダンス会場の中央から去って行く俺たちに万雷の拍手が送られていたんだ。
何とか役目を全うできたな。まあそれで、俺は安心していたんだ。
しかし、エレナの側まで戻ってきたとき、ソフィア姫殿下はあり得ない話を口にするのだった。
「リオ、妾と婚約するのじゃ!」




