ブレンダン
「アニキ、今日はこれからどうするの?」
シェンの商売道具である看板を持ちながら、ティフはそれを頭上に掲げてクルリと回った。
その小動物のような挙動を横目に見ながら、シェンはイーゼルを肩に担いで小さく息を吐く。
「今日は売れっ子劇作家様に呼び出されてるからな。大人しく出来るならお前も来るか?」
「ブレンダンのとこ!? 行く! 超行く! 行きたい!!」
ティフは期待に満ちた目を輝かせながら、ぴょんぴょんと興奮しながら飛び跳ねた。
分かった分かったと、シェンはティフを諌めながら、駅を背に歩き始めた。
日も暮れかけ、遠い地平線から薄い闇が広がってくる。
人が混み合う大通りを避け、二人は細く入り組んだ裏路地に入ると、黙々と歩いていたが、ふと何気なく空を見上げたティフが、あ! と大きな声を上げた。
「アニキ! あれ!!」
薄墨色の空を指差し、ティフは驚きを隠せないまま口をあんぐりと開けた。
シェンがその指先を追うと、夕闇を透かす雲とゆっくりと輝きはじめた一番星、そして一人の少女が頭から真っ逆様に落ちている姿だった。
「行くぞ!」
シェンはティフに号令をかけ、少女が落ちるであろう場所に向かって走った。
大通りでは人や屋台に邪魔されて思うように進めなかったかもしれないが、裏路地はまだマシだ。
二人は壁にもたれて座り込む浮浪者や生ごみが溢れるゴミ箱を飛び越え、驚いて逃げる野良猫を蹴りそうになり、いかがわしい夜の店に呼び込もうとする、濃い化粧と露出の多い服の女を振り切る。
「間に合うかな……」
「さあな」
ティフの不安気な声に、シェンは気遣う余裕もなく答えた。
少女の姿は既に建物の影に隠れて見えなくなっている。
何もない空からどうして少女が降ってきたのかよりも、普通の人間なら頭から地面に叩きつけられれば死んでしまう。
最悪の状況が脳裏を掠める中、シェンとティフは最後の角を右に曲がった。
「嘘だろ……」
シェンは肩で息をしながら、小さく呟いた。
角の先は下水の工事で道が塞がれており、作業員たちは既に立ち去った後のようだった。
そして肝心の少女は運が良いのか、本来ならセメントと水と練り合わせるためにかき集められていた砂の山の上に横たわり、目を閉じたまま、呼吸で小さく肩を上下させていた。
ただ、その高さから降ってきた反動を物語るように、砂は少女を中心に大きく波紋状に広がり、辺りを砂まみれにしていた。
シェンは肩に担いでいたイーゼルを地面に下ろし、少女に近づく。
立ちこめる砂埃の奥から、記憶の遠くに置いてきた懐かしい香りがふと鼻腔をくすぐった気がした。
「おい、大丈夫か?」
ショートヘアーの色素が薄い金髪に、白い肌。服装はこの地域では見かけない異国のもの。靴下は履いているが、靴は無い。
少女はシェンの問いかけに小さくうめきながら、顔を顰めた。
「生きてるよ!」
ティフも興奮しながら少女の顔を覗き込み、肩を揺らした。
「アンタ名前は?」
ティフの問いに少女は薄っすらと目を開けて、乾いた唇を開いた。
「マキナ……」