代筆屋
ラストの盛り上がりを見せる街一番の大劇場を出ると、街の動脈となるメーヘラー大通りに出る。
灼熱の陽光も大きく傾き、ポツポツとガス街灯に火が灯ると、荘厳で歴史を感じさせる文化遺産を改装した図書館や美術館、高級品を取り揃え大理石のエントランスを持つ百貨店が並ぶ通りも迫力を増す。
通りを北に進むと、道端で屋台を広げる市場が広がり、
野菜や果物、乾燥した魚介類や獣肉を始めとした青果や魚肉類。肉の臭みを消し、傷みにくくするための数々の香辛料が乾燥した空気の中に強く香る。
彩り豊かに織られた敷物や、ステンドグラスで作られたガスランプや香水瓶、鉱石を散りばめたアクセサリーのような土産物の類。
ほとんどの店が店仕舞いをしている間を抜けると、石畳で舗装された道は段差が激しくなり、やがて硬い土が剥き出したままの道に変わっていく。
その先にあるのは国一番の国営駅・セントラルステーション。
国最大の玄関でありながら、新しい線路や機関車の導入で開発と整備が頻繁に行われるため、車庫を中心に放射線状に線路は伸び、各地方からの入国者や出国者も日々数えきれない。
駅周りには浮浪者が資材の隙間を見つけて野宿の用意をしたり、まだ最終列車まで時間があるため新聞の夕刊や軽食を乗客に向けて売り込む者、今晩の宿や食事処を斡旋しようとたむろする者や、観光客向けに絵や土産物を売ろうと路上でこじんまりと店を広げているものも少なくない。
その中で、一人の青年が簡易な折り畳み机を挟んで、適当に拾ってきた廃材に腰掛けながら、中年の男性が口にする言葉を粗悪な便箋に書き付けながら、適当な相槌を打っていた。
「そうだな。後は『もう来月には感謝祭だ。お前が昔怖がってた魔女を英雄エルシドが倒してくれたから、今のメードラがあるんだ。今年こそ帰ってこい』と書き足してくれ」
中年の男は年相応に出た腹を揺らしながら、愉快そうに言葉を続ける。
「紙は足りるか?」
中年の問いに対して、青年はやや苦い顔をしながも、中年が先ほど述べた言葉を古びたペンを使って流暢に紙の上に書きつけると、すっとペンを止めて顔を上げた。
「サービスで詰めて書いてやったよ。便箋二枚と封筒、代理でポストに投函でいつも通り五タラーだ」
青年は机の横を親指で差した。手書きの小ぶりな立て看板には『代筆屋』の文字。
その下には便箋一枚あたりの料金と代理投函の金額が書いてあるか、日によって金額の相場が変わるため、数字の部分だけ何度か書き直した跡がある。
「そうかそうか。でもわしは数字以外読めんからなー!」
「そうだったな」
顔馴染みの二人にしか通じない冗談を交わすと、青年は便箋を丁寧に折り畳み、暗記してしまった宛先を書いた封筒に糊付けを施すと、机の上に置かれた代金を握り、まいど、と呟きながら立ち上がった。
浅黒い肌に端正で精悍な顔立ち。歳の頃は二十を過ぎたように見えるが、もっと歳を追ったような落ち着きをまとっている。
短く切った黒髪に、この国ではあまり見かけないアメジストを思わせる紫の瞳。
ただその左目の上から縦になぞる様に、瞼に一針、その下の頬には三針と縫った跡がうっすらと白く残っている。
背はスラリと高く、横にぞんざいに置いていた、裾が擦り切れ色褪せたマスタードカラーのジャケットを羽織った上や黒のスラックスの上からでも、無駄な肉がついていないことが分かる。
青年は今日の売り上げをズボンのポケットに突っ込むと、ペン先を拭き、インク瓶の蓋をしっかりと閉め、立て看板と折り畳み机と共に、慣れた手つきでロープ一本で括り上げた。
「今日は店仕舞いだ。手紙はこれからポストに入れておく」
常連相手に愛想笑いの一つもせず、仏頂面を崩すことなく青年は荷物を片肩に担ぐ。
「毎月助かっとるよ、シェン。また来月、賃金が入ったら頼むからな」
好相を崩さない中年相手に、シェンは小さくため息をついた。
「オレに代筆を頼むより、その金を貯めて会いに行ったらどうだ。半年分もあれば行って帰ってこられる距離だろ、ウィルソン」
青年ーーーシェンの言葉に、中年ーーーウィルソンはガッハッハと笑う。
「あんな鉄の塊なんて、怖くて乗れるか!」
ウィルソンの言い分に、シェンは呆れたようにため息をついた。
まだ駅構内には人が大勢いる。まさに人種の坩堝と化している構内に憲兵たちの警笛が鳴り響き、どいてどいてー! と甲高い声も響き渡る。
器用に人の波をすり抜け、かき分けた声の主はシェンの姿を認めるとサッと軌道修正した。
「アニキ! ちょっと匿って!!」
古いキャスケットをかぶり、肩には斜めにかけられた安い革で作られた大ぶりなブラウンのショルダーバッグ。薄汚れたオーバーオールを着た小柄な少年がシェンの後ろに回りこみ、匿うのが当然とばかりにしゃがみ込んだ。
シェンも慣れたものでジャケットを肩から滑らせる様に脱ぎ、バサリと少年を覆うように落とす。
一目には帰り支度を済ませ、常連と雑談する代筆屋の一丁上がりだ。
警笛を吹き鳴らし、少年を追っていた憲兵は二人。軍属らしく鍛えてはいるが、少年のすばしこさには勝てなかったらしい。
「先ほど! 小汚いチビがこちらに来たと思うが、見た者はおらんか!!」
上下えんじ色の半袖の制服に、黒い警棒を腰にぶら下げ、ゼーゼーと息を吐きながら横柄に、憲兵の一人が言った。
目撃者は多数いるが、誰も関わりたくないのと、この憲兵のみながらず近年における軍の態度に反感を憶えている人々ばかりだ。
シェンやウィルソン含め、てんで検討違いな方向を指差すと、二人の憲兵は息巻いてそちらの方へ走って行った。
「おい……行ったぞ。ティフ」
シェンが上着の端を持ち上げ少年に告げると、少年ーーーティフはキャスケットの両端を両手で引っ張り、必死に何かに耐えるように震えていたが、シェンが再度上着を羽織った時には我慢の限界とばかりに叫んだ。
「誰が小汚くてバカに見えるチビだ! アホ憲兵ーーーッ!!! いてっ!」
「戻って来るだろ、黙れ馬鹿」
シェンはチビと呼ばれて怒り狂うティフの頭を小さく小突いた。
「あと、そこまで酷い言いようじゃなかったぞ。っていうか、お前何やらかした」
眉を顰めるシェンに、へへーん、とティフは自慢げに、値の張りそうな財布を二つ見せつけた。
ティフ自体まだ十代に入ったばかりであろう。幼い顔立ちと痩せぎすで小柄なら身体が印象的だ。
「あいつら、オレの仕事邪魔するし、腹立つからスってやった。あ、これはアニキの分ね。匿ってくれたお礼。助かったよ」
無邪気にティフは財布から二割ほどの札を出してシェンに渡すと、シェンも無言でそれを受け取り、ティフの拳と軽く突き合わせた。