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あいどる

作者: ヘルベチカベチベチ

 僕は用を足すときにふと思うことがある。

「今に目が覚めるんじゃないか。」

 ただし、それで実際に目が覚めたという試しは一度もない。

これは一体何が言いたいのかというと、どうやら僕には寝小便へのトラウマがあるらしい。幼いころ夢の中で使ったトイレを、現実のトイレと重ねて見てしまう。立ってしているという錯覚が解けると、ベッドに横たわったまま、すでに後戻りなんかできなくなっているあのときの焦燥感が、幽霊やお化けたちと住み付いて、すっかり頭から離れなくなってしまった。だからといって困るほどじゃないが、最中トイレの床が崩れて、今に僕はベッドの上だと連想してしまうから、落ち着いてできる日はもうずっとない。

 今朝、一台の旅客機が街の領空へ入った。件のアイドルを乗せた、僕らの飛行機だ。

 同時に天気は怪しくなった。航空路を追いかけるようにして、分厚いピンク色の雲が朝に幕を引くと、チラホラ起きだした街の住人たちは、カーテンに手を伸ばすこともなく「ああ、今日はなんかダメだな」と感づいていた。みんなして低気圧に弱いらしい。どの旅行会社のパンフレットにだって乗っていない、紛れもないこの街の特色である。

 対し、僕には低気圧なんか効かない。というか、寝ずにPCの前にいるから体の不調も好調もないのだった。


「かわいくてありがとうございます。短くてすみません。」

 まずいな。シャイが電子メールにも漏れちまう。でも正直、これ以上はもう考えつかないぞ。うーん、どうしよう……もしかしたら、これはこれで味があっていいのかも。

 そう心の中でいい訳をしておいて、すかさず送信ボタンをクリックする。送信完了の表示がされてハッとするが、ずいぶん熱中していたようで、すでに時計は朝の六時を回っていた。早朝に失礼? もうどうしようもない、やるせなく抱き枕と寝転んだ。

 こうして僕の記憶は昼の十二時まで飛び、その間にも街は回っているのだった。

 約束の昼の十二時。僕は予定よりもちょっと先走り気味に、すでに街の中を車で駆け回っていた。

「んーんーんーーんーーーんー。」

 頭痛に強がるときの鼻歌。それに右手で頭痛の箇所を、ひねくれ者にしか似合わないポーズで押さえている。片手運転。昼間からここまでのナルシストぶりを発揮する男は、この僕以外にいないだろう。

 そろそろ曲を変えよう。今の時代は便利過ぎて怖い。その怖さすら忘れている瞬間がままある。今だって怖かないし、第一怖いと僕らが思ったところで何ができる? 怖いって、一体便利の何が怖いんだ? 常套句にマジメに向き合ってみちゃったり。

「バス停のあれは茶毛のクマか?」

 貴族の暮らしに感想なんてない。とにかく僕は会議場へ向かわなくちゃいけないわけだが、さっきから謎の感情が渦めいて運転の邪魔をしている。僕らの時間の多くはいい訳に費やされる。だから出来ない事なんかない、それだけが唯一の真実の言葉で、今の自分自身の姿こそが重ね続けた嘘の果てなのだ。昨日見たCM、ウマ面の宣教師がそよ風に負けじと言い放っていたこの言葉。何かにうなされて眠れず、そのまま朝を迎えてしまったなんてもうしばらく振りのことで、長年磨きをかけてきたはずの、僕の無関心からは応答がない。歩道にあるガードレールのすぐ側、飛行機の影とブチ猫の格闘があっても、僕にしてみれば雲の裏の太陽が眩しくて仕方なかった。

 運転を続けながら、頭の中は終始こんなであるが、時間さえかければ会議場にも無事到着できる。少々遅刻ではあるが、時間に追われるよりはいい。

「要らんかね~。要らんかね~。あいうえお表は要らんかね~。」

「僕に言っているのか。」

「要らんかね~。要らんかね~。」

 駐車場の商人だ。僕が車から降りたと同時に近寄ってきたのに、いざこっちから話しかけると、なんとコイツは一歩身を引きやがった。僕をターゲットにするのかしないのか、もし商売をしようと言うならハッキリして欲しいところだ。でもこういう人が食えている世の中ならいいよなとも思ったりする。昼は眠くて平和を気取るに最適だ。

 そして駐車場から会議場へは少し歩いた。

 入り口の辺りを、警備員が過剰な振る舞いでもって見張っている。まるで数日前の僕を見ているみたいだ。でも今やもう関係ないね。僕ならするりと自動ドアをくぐってみせるさ。

「へい、くるり。」

 すれ違い際に妙なことを口走る僕。それを警備員はやや過剰気味に睨みつける。だがそんなことで万が一にも磁場なんて発生するはずはないから、当たり前のように自動ドアが開き、その隙間に僕は滑り込む。

「はあクソゲー。もう二度とやらんわ。」

 入るなりこれである。どうやらモニターに映る案内を見るに、一階では格闘ゲームのオフ大会が行われているらしい。

「ああ可燃ごみポイポイ楽ちいいいい!」

 あの突き当りの部屋で楽しそうな声がひしめいている。けど行かなきゃならない僕は二階へと上る。階段を上がってすぐ、三〇五番の扉を蹴飛ばした。

 そこには、まさかここで麻薬防止会議が行われているとは思えないほど、真っ暗な空間が広がっていた。僕が丁重に開いた扉から、外の昼間の光が流れ込み、部屋の中に大勢の人の顔が浮かび上がるが、その誰一人として、照明が付いていないことに対し違和感を持っていないのだ。せめて僕くらいは言っておくべきだろう。

「おい、なんで暗いんだ。電気くらい付けないか。」

「お静かに願います。」

「へ?」

 壇上には一人だけライトアップされた、大学教授風のおじいちゃんが立っていた。僕への注意は、アイツがマイクを使ってのことだったらしい。

 おじいちゃんの後ろに、何かしらの円グラフが二つ並んでいるのが見えた。

「ああ! なるほどなるほど。これは悪いことを……。どうぞ続けてください。」

「お静かに願います。二度目です。」

「ええ、ああ。僕も今からはイスに座らせてもらいますよ。」

 空いている席は……はあ、マジか。教授の真ん前しか空いてないじゃないか。僕はしぶしぶその席へ腰を下ろした。度々教授と目が合って気まずい。暗闇でも気まずさってあるんだな。

「ですから、麻薬常習者は主に四種類に分けられるのです。下級のものから、ダサイ、イカス、かっこいい、リスペクト。初めはダサくとも、まずは薬物の持つ力に身を任せてみる。これができればイカス人物へ。そして自分の中に何が起きているのかを理解できる段階に入れば、その人はかっこいいと。最後には自己内の現象を完全に掌握し、コントロール可能になることで、周囲からのリスペクトを得るのです。」

 コイツは一体なにを言っている? アンタの方こそやっているんじゃないか。

「我々の執り行ったアンケートによれば、リスペクトまで到達したと答えた人物は全体の10パーセントほど。まあ、彼らは多少自信過剰気味なところがありますから、この数字はある程度少なく見て正確と言えましょうが、とにかく、麻薬常習者らの習性を、まずはこちら側が理解してみることです。そうすれば自ずと、麻薬防止の方法は見えてくることでしょう。何か質問はありますかな。はい、そこの方。」

「文化社会貢献学者のモーリスです。史実人類分析学者、ミスなえさ氏の最近の異常な言動は、麻薬が原因とお考えで?」

「彼女のですね。私から一つ言えることは、彼女ほどの若さで麻薬に手を出した場合決して避けることはできないでしょう。”破滅へのトリップ“はね。」

「だははははははは。」「をほほほほほほほ。」「イヒヒヒヒヒヒヒ。」

 教授のジョークに会場は大爆笑。教授は照れながら、「ははは、どうも。私は以上です」と〆て降壇した。

 まったくなんなんだ。これ以上はもう我慢できない。早いところ退場してしまおう。

「がああはははははは。」

 席を立つのと同時に、僕も爆笑してみる。場に自分を馴染ませながら、誰にも気づかれないよう退場。扉に手をかけたとき、講習ビデオのチープなオープニングが場内に流れた。プログラムの切り替わり、出て行こうというのはそもそも自分で決めたことのはずが、むしろ進行のため追い出されたみたいな気分になった。

 そして駐車場に戻ると、商人が頭から腰までをゴミ箱に突っ込んで、両足をばたばた暴れさせていた。籠った声で騒いで楽しそうなのが分かる。僕は車に乗り込みさっさと駐車場を出た。

 ガードレールのすぐ側、ブチ猫が飛行機の影にマウントを取られていた。もはや太陽のことなんて気になっていない。けど今度は無性に冷や汗が止まらなくなってきた。全身が脈打って、どうやら僕はひどく焦っているらしい。理由は不明。一体何だ?

「んんーーんーんんんーー。」

 焦燥感に強がるときの鼻歌。しかし正体不明だから、患部を手で押さえてもやれない。安全運転。事故らないよう努めつつ、この焦りの正体を見つけ出すことには余念がない。またこういう必死さが探索のジャマをすることもよく知っている。知っていながら、自覚すれば自覚するほど、脱することが難しくなってしまい、実際親子二人を轢きかけた。その横断歩道を過ぎて以降は、あくまで轢きかけたのだと自己暗示を何度となく試みる。

 僕はとうとうこの焦りの原因を外部に求めだし、車の中を見渡した。するとシートがびしょびしょに濡れている。しかも止まる気配はない。

「今に目が覚めるんじゃないか。」

 反射的に思い浮かぶと、シートやアクセルの感覚が曖昧になり浮遊感を感じる。そしていつも通り覚めることはなかった。とはいえ、どちらにせよ同じ最悪の事態だ。できることといえば、僕は運転を続けることのみ。窓には多種多様な人間が前を向いて行き交い、赤信号に捉まれば、両隣のドライバーの顔が間近に迫って見え、この状況に僕は訳も分からず半泣きになりながらハンドルを固く握り込むのだった。

 やっとのことで家に到着した。僕の体は特別性なのか、そのころには運転席に足湯ができていて、恐る恐るドアを開けると、嵩に溢れた分が車の外に零れた。その光景にちょっとだけ見とれて、それからタオルを取りに駆け足で入った。

「はあ、とりあえずタオルタオル。」

 焦ると独り言が増し、独り言が焦りを増大させる。近頃、こういう再帰的な思考が頭に溢れることが多い。だから下らない言葉遊びに気づくたび、どうしてもイライラしがちである。質の悪い無限ループから抜け出せずに、家の床に濡れた足跡をつくりまくった。自分の家のタオルすらも取って来れないのか……。

 ついにタオルを手にした時には、とうとう落ち着きを取り戻していて、それと同タイミングにちょうど、PCにメールの通知が届いた。すでに優先順位など崩れ去っていた僕は、何の気兼ねもなくそのメールを開く。

「朝早くに応援ありがとう!

これからもよろしくね!

アイドル」

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