1章5話 戻らない日常
悲鳴の声が一気に響き渡った。
もちろん、俺からすればアイツらを助けてやる義理はない。唯を連れて逃げるだけでいいのだが……腰が砕けて動けない子が一人だけいた。別に見捨てたところで俺にはダメージはない。それでも……。
「チッ」
面倒くさいけど唯が気に病むかもしれない。
俺がどうとかよりも唯がどうかが問題だ。これで助けてあげて欲しかったと後から言われたら後悔してしまうからな。唯がチラチラ見ているから助けて欲しいんだろう。
「唯、あの子を連れて角にいけ。ここから出る必要はない」
軽く背中を押して女の子の元へと向かわせた。
そのまま向き直してオークと対峙する。ずっと待っていてくれたみたいだな。……いや、単純に唯と逃げ損ねた女の子を見つめていただけか。色情が詰まった目線……ものすごく気持ちが悪い。
すぐに剣を抜いて腹を切る。
「プギャアアア」
汚い悲鳴をあげるオーク。
コイツはなぜか肉切り包丁を持っているが……持たないものと何か違いがあるのだろうか。……ただの興味だ、こんなものを振り下ろしてきたところで当たらないから死なない。とはいえ、ただの剣では分厚い脂肪を切り落とせないみたいだ。
「うるせえよ」
火球を二つ飛ばす。
名前の通り炎の玉だ。当たれば相手を焼く、それ以外の力はない。強くしようと思えばできるが、黒焦げのオークなど要らない。ましてや……高火力にするには場所が悪過ぎる。
一瞬の停止、そんな隙を突いて即座にグングニールを取り出して首を掻ききった。一瞬で切ったからか爆裂などはしない。そのまま爆発される前に触れて倉庫に入れる。ここら辺はもう慣れたものだ。
「終わったぞ」
一応、教師の遺体も倉庫に入れた。
もしかしたら、本当にもしかしたらだけど、高く売れるかもしれないだろう。例えば……臓器系統が高値で売れる可能性はあるからな。それ以外で残しておく理由は特にない。
「お兄ちゃん、強いね」
強い……って、唯から見たらそうなるか。
実際はただのズルでしかないんだけどな。だって、武器だって何だって買ったか貰ったものでしかないし。その点で言えば俺が嫌っていたゲームの中のチーターと変わりないのかもしれない。
「まぁ、お前も強くなるさ」
適当に返したが唯は満足そうに頷く。
唯が肩を貸していた少女を椅子に下ろした。時間が経てば腰砕けも治るはずだ。今は唯を救えた事を噛み締めよう。……後は大嫌いだった教師が死んだ事も喜ばないとな。
「ぐっ……」
少しの余所見の間に、腹へと衝撃が加わる。
理由は見ずともわかっていた。
「痛いぞ、唯」
「ん、別に今はいいでしょ」
腹の部分で顔をすりすりしてくる。
本当に可愛い奴だな、誰かに渡したくないくらいに愛おしく思えてしまう。本当はこのまま喜びを味わい続けていたいが……そうも言っていられないんだよな。
「とりあえず、ここを出たい。その子が歩ける様になり次第、調理室に向かうぞ」
今は俺が指揮を執らなければいけない。
こういう場面での立ち回り方はそれなりにゲームで鍛えたからな。後、二人に比べれば俺は戦える力がある方だ。それなら統率役は俺がした方がまとめやすいだろう。今は生き残るために最善を尽くす、それが今の俺達が取らなければいけない選択だからな。
「売店とかは寄るつもり?」
唯はわかっているようだ。
「おう」と返して頭を適当に撫でた。少し雑に撫でたというのに、目を細めるあたり気持ちがいいのだろうか。それとも痛いのが嬉しいとか……いや、それはそれで最高だから別に悪くは無いな。……咄嗟に頭を強く横に振る。
鋼の剣を唯に渡しておく。
防御手段はあった方がいい。ここは安全な場所とは到底言えない。それなら無駄な考えはできる限り省くべきだろう。出来る限り時間は有用に扱いたいからな。
「護身用に持っておけ」
まだ時間はかかってないから、逃げ遅れた少女も立ち上がれそうにないな。
さすがにこの状況で見捨てられやしない。後で生き残りに引き渡すかもしれないが……放っておくのは唯がいる手前難しいな。ぶっちゃけて言えば唯がいなかったら見捨てていたかもしれないけどな。その点で言えばこの子は運が良いのかもしれない。
「君は俺達と来るか? 一人で逃げるよりは安全だと思うけど」
少女は首を縦に振った。当然といえば当然か。
椅子から少女を立たせ、無理やりおんぶした。若干、唯から非難の目があるがそんなことも言ってられない。して欲しいと言われればするというのに。
「文句は言うなよ」
「……大丈夫です、動けない私が悪いので」
「分かっているのなら強く掴まっていろ。いきなり戦闘になる可能性だってあるからな」
しないつもりだが、確実に避けられるわけではない。それでも言っておくのと言わないのとでは違うだろう。
あまり荒い戦闘をする気は無い、唯の足の速さからして逃げるのが最善そうだな。
「そういえば名前は?」
「南、南菜沙です」
菜沙か、聞いたことはないな。
中間一貫校だから名前くらい聞いてもおかしくは無いと思うのだが……。
「菜沙はあんまり表に出たくない子だから、お兄ちゃんが知らなくて当然だと思う」
俺の考えをわかっているのか、唯は俺の顔を見てそう言った。
少し気恥しさを感じて顔を背けた。
唯のこの笑顔が眩しくて少し苦手だ。
まだ世界の不条理さを知らない、この笑顔が。
誤魔化すように笑みだけを返しておいた。
「俺は金倉洋平、そこにいる馬鹿の兄貴だ」
「えっと……よろしくお願いします」
「おう」
何か騒いでいる唯を無視してクラスを出た。
昔通った中学の窓を歩きながら眺める。
懐かしい街並みだ、もうこの景色を見ることはないと思っていたんだよな。
いいだけニートを貪り楽しんでから、自殺する。親不孝者と言われそうだが、あいつらには好都合だろう。だって、あの時は絶望しか無かったんだから。助けてと言っても誰も助けてはくれなかったんだ。だから、俺も好きな奴以外は助けない。
今だって別に何かを求めてはいないさ。
ただこんな状況になったからこそ、俺は自由に生きようと決意したんだ。強く何かを欲しがったりはしない分だけ……それだけ今あるモノをもう二度と失わせない。
「行くぞ」
隣でこくりと頷く唯が、とても眩しかったのは不思議で仕方がなかった。
次回は明日の八時の予定です。