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22時までに後数話投稿します。
老夫婦は二人揃って耳が遠い以外はとても感じの良い老人で親切であった。
ローズは台所を手伝ったしアルフレッドも薪割りを頑張った。
街中から離れた場所だということ以外二人は知らない。
屋敷の場所がどこなのか老夫婦に尋ねたこともあったが、耳が遠いせいかトンチンカンな答えしか貰えなかった。
年寄りの就寝時間はとても早いため、母子も陽が沈んでしばらくすれば就寝し、朝日とともに目覚める生活をした。
昼間は二人で一室にこもって勉強に励み、夕方までは掃除や片付けを手伝う。
失踪して5日目。
その日ローガンは老夫婦の屋敷を訪問し、ローズと一緒にその日は食卓を囲んだ。
アルフレッドはローガンの訪問を素直に喜び、食後には二人で2ゲームだけチェスを楽しんだ。
子供が眠りにつくとローズは心配そうにローガンに尋ねる。
「今夜はジョシュ君はどうなさったのですか?もしかしてお邸にてお待ちなのでは?」
するとローガンはイヤイヤと首を横に振り
「今夜は実家のミストリアル家に泊まるんですよ。
もう何年も続いている習慣でね。
男寡の私が息抜きできる間がないとダメだろうとアマンダが自分の子供も連れてきて今頃あの屋敷は大騒ぎだ。
ジョシュも月に2回のこの親戚の集まりを楽しみにしているし、母はまだ健在で孫に会うのが嬉しいらしい。」
そう言うとウイスキーの大瓶を自らキュポンと開けグラスに注いだ。
「ローズは甘めのワインがいいかい?」
するとローズは首を振る。
「いいえ・・・要らないわ。
いえ・・・少しだけ頂こうかしら・・・」
そう言うと小さなグラスに赤い液体を半分だけ注いだ。
「ごめんなさい。こんなことに巻き込んでしまって。
バレたら貴方もタダでは済まないわ。」
「バレる?何が?君の失踪がかい?」
そう言うとローズは大きく頷いた。
「この失踪後にきっとペンデルトン家は大騒ぎになる。それは間違いないだろう。だけどそれは内側に秘されていたことが単に表に出るだけだ。
君が気に病むことは何もない。彼らが真っ当にしていれば別に起こらなかったことばかりだからね。
そろそろ、ここがどこか知りたいだろう?」
悪戯が成功した子供のようにローガンがニヤリと笑う。
ローズも全てお任せしますと言ったものの、とにかく静かで人の居ないこの屋敷がどういったものなのか心配になってきたところであった。
「ここはね、ゴールドスミス伯爵が昔使っていた狩猟用の別荘なんだ。
今は管理人に老夫婦を頼んでいるがもう5年は貴族は使っていない場所なんだよ。
あの老夫婦はゴールドスミス家の乳母夫婦だったんだがあの通り耳が不自由だ。
君たちは学院から出た後個人の貸馬車で出かけた事にしてほしい。
理由は『鷹を買いに』だ。」
「鷹?ですか?」
「ああ、アルフレッド君の班隊長のお祝いだということにすればいい。
あのお爺さんは耳は遠いが実は鷹を育てるのが上手くてね。知る人ぞ知る有名人なんだ。
そんな彼からお祝いに鷹を購入しようと君たちはこの森の近くまでやってきたんだ。」
ローズはそれを神妙な顔をして黙って聞く。
「ところが急に木が倒れ馬が驚いて馬車が横倒しになった。
アルフレッド君もローズ君も衝撃でひっくり返っている間に無認可で仕事をしていた御者は馬車を捨てて慌てて逃げ出した。
大切な馬だけを連れて。」
随分とひどい話のようだが自分たちが屋敷にまっすぐに帰らなかった理由としては問題がないように思える。
朝に頼んだ貸切馬車は学院に到着した後金を支払い返しているため彼らは大した情報は持っていないし、待機時間のお金を払うほどローズはお金を渡されていない。
ローガンが用意してくれた馬車であるが貸切馬車の御者は見たことのない人物で、その馬車も平民の馬車に並んでいる一台であったのだから不自然さはなかった。
本来ならば真っ直ぐ家に帰っていく二人であったがあの日は発表会の当日。
平民の子供たちでさえ『父さんがレストランを予約してくれてるんだ!!』『玩具を買って貰うんだ!!』と騒いでいる声があちらこちらから上がっていた。平素とは違うちょっとしたご褒美をどの家も子供のために準備しているような日だった。
そんな中、アルフレッドはせっかく名誉ある班隊長になれたのにお祝いのディナー一つペンデルトン家では準備してもらえなかった。
お祝いをするのはいつもローズとカークランド家だけだ。
「この屋敷は不便な場所だし、移動販売の馬車は週に一度きり。そして定期的に私がこの家に訪れる。」
段々話が見えてくる。
ローズたちはここでじっとしている他なかった状況をローガンから作られているのだ。
「今日私が訪ねてきたことで君たちはここで保護されていたことが分かる。
そうだな・・・馬車からなんとか抜け出した君は頭を軽く打っていたので意識が二日ほど混濁していたとしていても良いだろう。
アルフレッド君は子供だからこの状況を楽しんでいた・・・とでもしていても良いかもしれないね。家が嫌だった、と言うのも今の状況ならみんな納得するだろうから。
明日私はカークランド家に使いをやる。連れて帰るのはペンデルトン家だが、その時にカークランド兄弟が居た方が都合が良いだろう?」
「お兄様たちには少しでも早く私たちが無事だと知ってもらいたかったのですが、それは過ぎた望みでしたか?」
「計画を識っている人間は少なければ少ないほど良い。身内だからバレる行動をする時だってあるんだ。言っておくがジョシュだってこの計画を知らないよ?
あとは賢いアルフレッド君がこの事を秘密に出来るかどうかに懸かっているがね。」
そこまで喋るとローガンはパイプにタバコの葉を詰め始めた。
「タバコは大丈夫かい?」
聞いてくれる彼は素っ気ない言葉だが、本当は優しい人である。
ローズは平気ですよと告げ、深々と頭を下げた。
「ジークフリードとの離婚を決断させてくださって感謝しています。家でのことが明るみに出てすんなりと親権が私に渡されれば良いのですけど。」
「ローズ。きっと大丈夫だよ、君は今までよく頑張って耐えた。
ジークフリードは離婚に応じるしかない状況に追い込まれつつあるしカークランド家の情報収集力は素晴らしいものがある。偵察している俺の部下も感心していたさ。
さぁ、この決めた設定をアルフレッド君と明日は更に詳細に決めて齟齬がないように仕上げよう。」
そう言うとローガンは部屋へとローズを送り届けた。
紳士的に肩を抱き締め優しく肩を叩かれるとローズの緊張は更に解けた。
おやすみなさい…………と言葉を交わすだけで何だか心が温まる。
ジークフリードが私に『おやすみ』を言ってくれたのは一体いつが最後だっただろうか?
「よく頑張って耐えたなんて………まるで私のことを見てきたように言ってくれるのね。
でも嬉しい言葉だったわ。」
ローズは一人でその一言を噛み締めていた。
そうだ。私はよく頑張った。
家庭を顧みない夫と、私を蔑ろにする使用人たちと関係を築こうと必死だった。
だけどダメだった………
もう………自由になっても良いだろうか?
早寝の習慣とワインの酔いも手伝ってローズは間もなくスヤスヤと寝息を立て始めた。
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その頃カークランド家では弁護士の報告書を読み上げて兄弟とその妻たちが激昂していた。
「信じられないわ!!よくも人気者のローズを馬鹿にしたような生活を強いてくれていたものね!!」
親友であったダグラスの妻は友人の不憫な状況が自分の想像以上であったことに青くなったり赤くなったりと大変忙しい。
ペイリーの妻はローズに仲を取り持ってもらって結婚した経緯がある。
ローズには学院で言うところの姉妹制度で入学当初から世話をかけっぱなしでいた。
おっとりした性格ではあるが恩義を感じているらしく今回の件では絶対にローズの味方であろうと鼻息も荒い。
ジークフリードの不誠実さが皆の怒りの中心ではある。
アルフレッドが班隊長に抜擢されたのに愛人と宝石を買いに行くとは何事か!!
夫としての権利も父親としての義務も放棄しているのと同義である。
キャセリーヌとかいう男爵家の愛人も初めの頃こそ『日陰の身』と弁えていたようだが、この一年はローズを馬鹿にしたようにとんでもなく高価な品物を買わせている。
法律は決して愛人を容認していない。
というよりも正妻という立場を法で守っている。
2世代ほど前までは愛人や妾が幅を利かせて正妻を陥れる事も多かった。
正妻を追い出し、真っ当な血筋の人間より、入婿と愛人が家を乗っ取るなどもざらにあった話なのだ。
だが、それでは貴族の家は下剋上でのし上がった女たちに有利になってしまう!と代替わりした王女が法律で細かく縛りを作ったのだ。
貴族の当主たちは『不必要な法案が制定されたものだ、女のやっかみだな』と笑っていた。
だが、本心では『どの血が混ざっているか分からない子に家を継がれては敵わない』と
冷や汗を流した者も多かった。
愛人や妾は目が届かない分自分以外と関係を持つことも多い。
そんな人間が幅を利かせることになっては不味いのだと理解はしている。
ジークフリードや使用人が増長しているのもこの一年あまり。
全くもって女の敵であるとしか思えなかった。
子育てに必死になっているローズを手助けするどころか、貶めてばかり。
ペンデルトン家にいてもきっとアルフレッドは幸せになれないだろう!!と声高に叫んだのは誰だったのか。
カークランド家ではアルフレッドもローズも離縁させて家で引き取る心算はすっかり出来上がってしまった。
ペンデルトン前伯爵夫人がローズを是非嫁に!と懇願し、頭を下げたのはダグラスたちの父親の方にである。
ローズの賢さと可愛らしさを気に入った!是非私の娘にしたいのだ!と頭を下げてきたのだ。
あの当時ローズは生徒会執行部に籍を置いており学院でも目立っていたので釣り書きは多く持ち込まれていた。
見た目も可愛らしく、その上3か国の言葉が流暢に喋れる。
文官を希望する男たちは挙ってローズとの縁談を望んでいた。
しかし夫人が直接出向き、縁談をまとめたいと頭を下げてきたのは初めてであった。
カークランド子爵はその家の家政を取り仕切る夫人が望むのであれば娘が嫁姑の関係に悩まず不幸になることはないと踏んで、ペンデルトン伯爵夫人に説得される形でローズを手放す決意をしたのだ。
―――確かにペンデルトン伯爵家は金銭的に余裕がない。カークランド家でのような裕福な生活はさせてあげられないかもしれない。でもローズ嬢は、賢く芯の強さがある。
しかしその分援助頂ければ益々ローズは大切にいたします。―――
蓋を開けてみればローズは夫からもペンデルトンの姑からもよく扱われず、挙句にアルフレッドまで粗雑にされている。
もしかして…………。
だがまさか?
ここまでとは…………。
ローズから訴えられなかったからと目を瞑るようにしてきたが、もう我慢の限界である。
そして家族はゴールドスミス伯爵からの手紙を受け取ることになる。