7
カークランド兄弟はすぐさま自分の顧問弁護士を呼びつけると事のあらましを伝える。
歳が近いこの弁護士は非常に優秀で一を聞いて十を知り二十の結果をもたらす男だ。
資金繰りに困っていた平民出身の彼の事務所の立ち上げ資金を援助し、今ではこちらの方が世話になっていると自覚するほどの働きを見せている。
「なるほど・・・もしかすると愛人の男爵の娘が絡んでいる可能性もそれは捨て切れませんね。」
「あぁ、初めジークフリードがローズを亡きものにして男爵家の愛人を後釜に据えようとしたのかと肝を冷やしたがそれならば、アルフレッドが一緒に消えた説明がつかない。
時間があまりないが調べてもらえるだろうか?」
「かしこまりました。
ご連絡頂いた段階で身元のわからないご遺体や不審な人物の動向は調べておりますが今ところ報告は上がってきておりません。
安易には申し上げられませんが私としてはローズ様も御子息様もご無事だと言う可能性も高いと踏んでおります。」
「それはどうして?」
「先ずローズ様は恐らくですが愛人の方の存在にはお気づきでしたでしょう。お茶会などにもここ最近顔をお出しになったと仰いましたよね?
社交の場はお節介な人間が多い。久しぶりに現れた裕福なカークランド家出身のローズ様をプライドの無駄に高い女性が放っておくわけがございません。必ず『貴方の夫は浮気している』と囁いて不幸を笑ってやろうとした馬鹿はいるでしょう。」
ダグラスは女性の機微には些か鈍感ではあるが、言われてみれば社交界とはそう言うもの。特に女性のやっかみは幾つになっても途切れることはない。
ローズは爵位の方は決して高くないのに優秀で見目も良かった。勿論兄であるから身内贔屓な面も否めないが成績と性格の真面目さで、学院では生徒会役員として随分と活躍していた。
人気があった分やっかみも多く、当時はかなり苦労していたと同級生であった妻達は話していた。
なまじ『美人』と言う括りの人間より『手が届きそうな愛らしい女性』の方が被害を受けやすい。(あの程度の令嬢が高位貴族に囲まれていい気になっている)と幾度かは耳にしたものだ。
夫の浮気を知ってあの賢いローズがどう思ったか・・・
当然ながら相手の女性の素性もどうにか情報として仕入れるであろう。
爵位のある家の令嬢だと分かれば当然蔑ろにされている自分が離縁される可能性にも行き着いたはずだ。
そこまで考えると弁護士はフムフムと頷きながらダグラスの表情を読んでいる。
「私もそう思いました。
ローズ様はアルフレッド様のことを心配されるだろう・・・いや、一方的に離縁されたらどうしようと不安になられたのではないかと?
昔と比べ今は貴族も離婚が可能ですが嫡男の親権は男親に移りやすい。お二人が引き離されてしまう未来を当然予測なさったでしょう。
ですから意図的に姿を眩まされてジークフリード様が不利な動きをなさるのを待っている可能性も全くないわけではございません。後は考えたくはございませんが本当に強盗に襲われた可能性です。」
「そうだな・・・だが強盗なら間違いなくあの貸切馬車に放置された備品も根こそぎ持ち去るのではないだろうか?」
「はい。私もそう思います。
または本当に事故に遭われ何処かで保護されている可能性ですね。」
そこまで話し合うとダグラスの気持ちも幾分落ち着いてきた。
この明哲な男は推測と言えど的を大きく外すことはない。
「期限は1週間ほどでなんとかなるか?もし思わぬ犯罪に巻き込まれていたらそれ以上は待てない。勿論大きな組織から情報が上がっていないかも調べるが、最終的には騎士団などの大きな部署に任せなければ私たちも不安で押しつぶされてしまう。」
「承知しました。」
そして弁護士はカークランド邸を後にすると独自のやり方でローズの足取りを辿っていった。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>
ジークフリードは焦っていた。
ローズとアルフレッドの足跡を辿ろうにも自分は本当に彼らの何もかもを知らないことを思い知らされる。
深夜にカークランド家の下働きで構成された捜索隊が馬車を発見したがそれはもぬけの殻。
倒木の側で車輪がはずれ馬はどこかに消えていたそうだ。
貸切馬車の業者はこう言った。
「はい、ペンデルトン夫人は行きはうちの貸切馬車をお使いになりましたが帰りは頼まれませんでした。
・・・?壊れた馬車?
これは確かにうちで使っていた馬車と同じ形ですが量産されている馬車ですし、うちの馬は全頭揃っております。ペンデルトン夫人を乗せた御者は学院から真っ直ぐ詰め所に戻ってきておりますよ。
旦那様。貸切馬車のこの形は一番一般的なものです。
他の業者も使っている馬車ですからねぇ・・・帰りは個人業者の貸切馬車にでも乗られたんではないですか?だって・・・・
馬車を待たせる間だってお金が発生するんです。失礼ですが奥様は行きの料金しかお持ち合わせはなかったようですよ。
まあ、どうしてもって言うなら御者から話を聞きますか?」
伯爵の奥方がどんな理由があろうと貸し馬車とは体裁悪いですよ。
そう鼻で笑われたようであった。
当然ながら御者からも知らない分からない、という言葉しか聞けない。
仕方がないので翌日、学院に問い合わせようと自らが赴いたがアルフレッドがどの学年でどのクラスにいたのかもジークフリードは知らなかった。
成績表を確認するときは中身だけ。
順位を見たらあとはローズの仕事だったからだ。そもそも自分が学院を中退した身で『三教科も一位を取りました!』と威張られたら腹も立つ。
アルフレッドは息子だが、自分を見下しているのではないかと偶に苛立ちを覚えた。
当然学院に興味もないので教師の一人も覚えておらず、冷たい態度の教員から応接室に通されても居心地の悪い空間にしか思えない。
「実は妻達の消息が分からないのです。」
学院長に口止めをして恥を忍んでこう告げると彼は非常に驚いた顔をした。
「強盗に襲われたのでしょうか?侍女たちはどのように言っているのですか?使用人と共に拐われたと言うことですかな?!」
非常に驚いた表情で心配そうに学院長が聞いてくるが、まさか伯爵位の自分の使用人たちが嫌がらせで一人も付き添っておらず家の馬車の用意もしていなかったとは言い出しにくい。
普通の人間が貴族の夫人が姿を消したと聞けば犯罪に巻き込まれたと思うのが常識である。
彼女たちには家が最高の居場所であり、外に出る方法など多くの場合は生まれた時から知らないのだから。
「いや・・・昨日はとある事情で使用人は付き添っておらず学院で二人を目撃したと言うのが最後の証言でして・・・」冷や汗を拭いながら話し始めると学院長は急に剣呑な視線をジークフリードに寄越す。
「そのとある事情とは如何なることですか?」
「・・・それはお伝えできませんが・・・・決して・・・その・・・
今回のローズたちの行方に関わることでは無く・・・誓って。」
目を泳がせるジークフリードはこの賢い翁からどんどん信用を失って行っていると肌で感じるのだが挽回することもままらない。
「妻たちは貸切馬車を借りたようなのですが・・・その・・・帰りに襲われたかもしれなくてですね・・・」
あの、その、を繰り返しながら喋り続けるジークフリードであるがまさか学院長がペンデルトン家の事情を知っている筈もないかと途中から思い直す。
「兎に角、妻の行方を探したいのですが、どんな情報でも良いのでご存知のことを教えていただきたい。」
すると呆れたように学院長は眉根を寄せた。
「ペンデルトン伯爵。私は理解力が乏しいようではっきり言ってもらえると助かります。
伯爵夫人とアルフレッド君はとある理由で貸馬車を借りなければならなくなった。
家紋入りの馬車には乗らず侍女も護衛もつけずに学院に来て、その後行方が判らなくなったと?」
「そうです。」
「昨日からお帰りにならなかったのに、今日お探しなのですか?授業は二ノ刻には終わりましたよ?」
「・・・・・。」
しばしの沈黙の後学院長は門番と補助職員にアルフレッド達を見かけたか聞いてみましょう、と言い席を立つ。
学院長はドアノブに手をかけず振り返ると静かにジークフリードに話しかけた。
「・・・貴方様はアルフレッド君がクラスで揶揄われた話をお聞きになりましたか?」
「それは…私は聞いてませんね」
ジークフリードは不思議そうに学院長を見返す。
その様子に救いようがないとばかりに学院長は大きくため息を吐いた。
「貴方が食事宿に他の女性と入っていかれた日のことをネタにしてアルフレッド君はここ数ヶ月随分とクラスメイトから揶揄されていました。
『成績がどんなに優秀でも愛されていない子は気の毒だね』と彼らは揶揄ったのです。
嫡男の、しかも一人息子が班隊長に選ばれるとどの家も盛大にお祝いをするほど喜ぶものですが、ペンデルトン家ではどうやらそうでは無いようですね・・・
昨日も彼らはそれをアルフレッド君に言ってましたよ。彼はじっと耐えていましたがね。
私は所詮教師の一人ですから伯爵の家の事情にまで首を突っ込もうとは思いません。ですが・・・
ですが、努力の報われないアルフレッド君がこのまま居なくなってしまうのは一人の人間として許せませんから、ちゃんと調査しますよ。では何か分かり次第ペンデルトン家にご連絡いたしますので。
これで失礼いたします。」
ジークフリードより小柄な老人であるが彼から発せられた言いようのない怒りのオーラは応接室の温度を瞬時に下げた。
・・・・息子は・・・・
・・・・アルフレッドは・・・・
自分の浮気を知っていた・・・・?
どうりでこの学院に足を踏み入れた時から周りの教師たちの態度が硬質なもののように感じたわけだ。
彼らは
『ああ、あの不倫で家庭を顧みない伯爵が何の用だ?』と蔑みながらここまで案内したのだ。
アルフレッドのクラスも知らず、友人の名前一人すら分からない。
結局担任の教師の名前すら教えてもらえなかった・・・
ジークフリードは父親として認められなかった虚しさを胸に抱えたまま学院を後にした。
ローズたちの行方が分からなくなって二日目はそのように過ぎる。
使用人たちは一応奥方が行方不明では不味いのだと理解しているらしく街に探しに出ていたが誰一人として有力な情報を持って帰っては来なかった。
この2年の奥方の行動がさっぱり分からないし、どの店を利用していたのかも知らないからだ。闇雲に探すにはこの町は広く、そして平民には貴族の行動はもっと理解できない。
奥方のお供として常に出入りしている顔見知りの侍女ならばもう少し店側もきちんと対応したであろう。
だが、どの貴族御用達の店の人間もその侍女が奥方と歩いているのを見たこともなければどの家かも知らない。
軒先や裏口で冷たくあしらわれ、どの使用人もスゴスゴと屋敷に戻るしかなかった。
『まぁ!奥方様とご連絡が取れないのですか?!それはご心配でしょう。
その奥方様の特徴を教えてください!』
最初は親切そうに親身になって答えてくれる。
しかし髪の色、瞳の色を伝えた後その日の服装を聞かれた途端使用人たちは揃ってしどろもどろになるのだ。
「???ドレスの色もわからないのですか?」
どの店の人間も訝しげに使用人たちに視線を送る。
貴族の夫人。ましてや伯爵家の奥方は普通に考えればメイドたちが朝から夜までのドレスを用意し、着付けを手伝うものだ。それがわからないとはどんな状況なのだ?と勘ぐってしまう。
「恐らく暗い色のドレスを着ておられまして・・・」
そう答えた途端ピシャリとドアを閉められる。貴族相手の店は守秘義務をきっちり守るのだから怪しい人間に情報を明かすことはない。
どの店の責任者も
『奥様の朝着たドレスの色も知らない使用人は恐らくその家の使用人ではあるまい』と素早く判断するのだ。
ペンデルトン家の使用人たちはその様な対応を何度もされるうちに段々と腹を立て始めた。
『何故こんな態度を取られなくてはならないのだ?
私たちが折角、あんな女の行方を探してやっているのに!!』
しかし館に帰るとカークランド家の兄弟が彼らをジロリと見下ろす。
「全く・・・義弟よ。私たちは商売で貴方を支えてきたがこんな役立たずの使用人たちを大勢抱える為に資金援助をしてきた訳ではないぞ。今後見直しは必要だな。
茶はもう要らない。さっきメイドの入れたものを飲んだが不味くて飲めたものではない。伯爵邸の使用人たちは入れ替えた方が良かろう。
???は?!
自分で稼いだ金で雇っているだと?」
ペイリーは普段は平坦に保っている表情をフイッと歪めた。
言われっぱなしのジークフリードが『うちの使用人のことだ。口を挟まないでくれ!彼らは彼等なりに頑張っている。しかも私が彼らを養っているというのに!』と反論したのを使用人たちはニンマリほくそ笑んだ。
しかしそれも一瞬のこと。
弟のペイリーの表情の変化にビクリとすくみ上がった。
「ダグラス兄さん。
俺はもう我慢ならんよ。切り捨てて良いか?!」
と低い声で言い放つ。
何を言ってるんだ!子爵家風情が!とドリルたちは嘲笑いたくなる。
金はあるくせにカークランド家は立場がわかっていない。我らが主人は伯爵位だぞ!!
使用人たちは盛大に心の中で罵る。
唯でさえローズが居なくなってこの兄弟が屋敷内で威張り散らすのが納得いかなかった。
しかし兄弟は怯まなかった。
「まだだ、ペイリー。
アルフレッドたちが見つかるまでは堪えろ。
良いか?確かに君は伯爵位ではある。
だが仕事を軌道に乗せたのは誰だ?
ローズが嫁ぐまでの惨めさを忘れたのか?
使用人の教育もローズにさせず、このように野放しにしてどうやってこの家をやっていく気だ?現実を見ろ!?ペンデルトン伯爵。
良いか?これは忠告だ。
私たちはペンデルトン伯爵家と決して仲良くしたかった訳ではない。
親からどの様に聞いていたのか今までの態度で十分に理解した。
ローズの探索は私たちは続けるが後のことをよく考えておけよ。」
そう言うと足音も荒く屋敷を出ていった。
ジークフリードは大柄な兄弟に威圧的な態度で罵られ呆気に取られたが彼らが居なくなると無性に腹が立った。
『カークランド兄弟はなんて傲慢なんだ!爵位が上の我が家に妹が嫁げただけでも有難いと思え!
あんな地味な女…あの当時婚約者も居なかった女だぞ?!
だから使用人に舐められるんだ。』
カークランド家だって伯爵の自分が居るからと商売上旨味があっただろうに。
そう思うと余計に苛々する。
「ドリル!!とにかくローズたちを見つけるんだ!!騎士団に知られたら王家にもこのことが知られると言うことだ!
ペンデルトン伯爵家の奥方がいなくなったなんて知られてみろ?!
お前たち次の雇い主も見つからないぞ?!」
苛立ちをぶつけられると流石の使用人たちも震え上がる。
王家にこのことが知られるのは良くないことだと流石にわかるからだ。
不名誉な事件が起こった家に王家は厳しい。
家の取り潰しは無くとも、商売も領地も『お前の家には信用がないから任せられない』と軽く見られること請け合いだ。
慌てて侍女長たちは皆を集め、執事は男衆に指示を出す。
忌々しい…………。早く出てこいよ!あの小賢しい坊ちゃんもな!
ペンデルトン家の主人も使用人もローズたちを心中穏やかではなく罵るのを止められなかった。