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奥様に捨てられた伯爵様  作者: 美輪 伊織
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 数日前から念を押して馬車の準備は頼んでいた。

 掃除の荒さを指摘したのが気に食わなかったのだろうか?

 家紋の入ったペンデルトン家の馬車に本来は子息も奥方も乗るべきである。だが執事たちはいつもの様に意地悪く嗤った。


『奥様すみません。急で申し訳御座いませんが本日はジークフリード様に馬車を押さえておく様に言い付けられております。ご存知かと思っておりました。

 簡素な物ならご用意できますが如何しましょうか?』

 あろうことかそれは、貴族用馬車では無く使用人たちでも下級の人間が使う幌馬車である。

 家紋の入ったペンデルトン家の馬車は本来、子息も奥方も気兼ね無く使えるはずだ。だが執事たちはいつもの様に意地悪く嗤った。


 ローズはローガンの予想通りだと顔を青くする。


(学院に行くのに目につくと思わないのかしら?他の貴族たちも集まる場所に幌馬車で乗りつけろだなんて常識を疑うわ・・・ペンデルトン家の評価などやはり平民の彼らには分からないのね。全くもってローガンの言う通りになってしまった…………。)



 矢張り作戦は決行されるのだとこんな時でも僅かに婚家に希望を持っていた自分を嘲笑いたくなる。


「そう。

 では良いわ。時間もありますから貸切馬車を頼みます。」

 簡素な乗り物を尻目に大通りに向かうローズに侍女は付かない。


 執事のドリルたちは奥方が『家紋入りの馬車で学院まで連れて行って!お願いよ。』と懇願してくると考えていた。最近少々、奥方が強気に出る時があり、気に食わなかったのでお灸を据えてやろうとみんなで画策したのだ。

 多少拍子抜けしたがどうせ大した金を持っていない。

 貸切馬車は粗末なものしか借りられないだろうと、腹の底で嘲笑った。


 あれほどアルフレッドがドリルに苦言を呈したにも関わらず使用人たちは子供の言う事を軽んじたままである。


(まぁ、だからこそ作戦は順調と言うことね)


 ローガンに渡された金を使い事前に予約された馬車にローズは乗り込み学院へと何食わぬ顔で向かった。


 ローガンはこの事も予測済みで今回の作戦を立てたと言う。


『今日から雲隠れしていれば早ければ1週間で全て上手くいくだろう。』


 ローガンはそう言ったがローズは半信半疑であった。


 今月の誕生日にあわせカークランド家から品の良い濃紺のドレスを贈られていたローズはいつもより背筋も伸び、心持ち結婚前のような気概が表情に表れていた。


 それにしても使用人たちの態度には気落ちしてしまう。

 結婚して10年近く一緒に過ごしていたのに、このような扱いをしてくる彼らに、もう希望は持てないのであろう。

 お茶会を皮切りに自分の状態の異常さに気がついたローズは背中を丸め俯き続けるのを止めた。

 アルフレッドに対してもそれは良くないと受け入れられたのだ。


 自分が蔑ろにされていると言う事実を受け入れ、矜持を捨てると見えなかったものも見えてくる。


 学院時代の友人たちはローズの現状を憂いていたし、手を差し伸べようとしてくれていたのだと改めて理解する。


 カークランド家にも迷惑を掛け続けていた・・・

 兄たちはペンデルトンを良しと思っていないのに自分が声を上げないばかりに社交界でも表面上は仲良くしてくれたし、臨時の出費や支払いの遅延を容認してくれていたのだと義姉から聞かされた。


 モヤモヤした気持ちを抱えつつ愛息子に目を向ける。満面の笑みで班隊長の腕章を着けるアルフレッドの姿に思わず目を細める。

 学院時代にこの腕章を一度でも着けることが出来ればそれは大変栄誉なことだ。


 久しぶりの学院では他家の両親、学長や教師たちが次々とローズに声を掛けてきた。

 皆、勉学に真面目に取り組んでいる親子には真摯に向き合ってくれるのだ。

 どの教師もアルフレッドを褒め、中には『ローズの勝ち気なところがアルフレッド君には遺伝している様だね』とニコニコ揶揄う者までいた。

 今のローズにはそれら全ての声掛けが温かく心に沁みた。




 アルフレッドの競技会は素晴らしいの一言に尽き、柄にも無くハンカチを幾度も畳み直す羽目になる。

 堂々と友人たちに囲まれ、理知的な表情でリーダーを務めるアルフレッド。


 ローズは1人観客席からそれを観戦し涙を零した。

 彼が活躍すればするほどローズの胸は痛んだ。

 ダメな親でごめんなさい。

 申し訳なさに苦しくて苦しくて目の前が涙で霞む。


 全ての発表が終わり、アルフレッドのチームは二位。

 騎士団に入団予定の子息たちが集まったクラスに次いでの順位は快挙である。

 息子の勇姿に心を打たれローズはハンカチを握りしめる。


『あの子の為にも私はやらなければ』


 小さく呟くと自然と丹田に力が篭った。



 アルフレッドの競技会が終わると、ローズ達はペンデルトン家の馬車ではなく(当然そんな馬車は寄越されてはいないが)朝に頼んでいた貸切馬車で学院を後にした。


 打ち合わせ通り帰宅を装い同じ貸切り馬車に乗り込むとそこには行きとは違う御者が乗っている。

「ご安心下さい。

 計画は順調ですよ。」

 四十路の落ち着いた男であった。


 それから2人は2時間ほど馬車で進み、ローガンから指定された別荘に連れて行かれる。

 赤い屋根の手入れの行き届いた屋敷には老夫婦の使用人の用意した温かな食事。


 2人はここで1週間程度を過ごす様に言われている。

 アルフレッドは気兼ねなく優しい老夫婦に直ぐに懐き、久しぶりに笑顔で温かな食事を摂った。


 野菜クズでも固い肉でもない、沢山の品数でお腹も心も満たされた。食べ盛りなアルフレッドを大変満足させその日はゆったりと眠りについた。


 ローガンからは翌日から手紙が届き始める。


 作戦は順調である。

 冒頭はそう始まった。


 ペンデルトン家は夕方になるとやっとローズ達の帰宅が遅いことに焦り、重い腰を上げたらしい。

 どうすれば良いか分からず、愛人宅で過ごしていたジークフリードを探して取引先を何件か回ったことで取引先の人間たちに大層不審がられたとか。

 ジークフリードは執事たちにも愛人の家に行くことは流石に伏せていたらしく、この日主人の指示を仰ぎたいと願ったドリルたちは右往左往する羽目になった。


 夜に帰宅したジークフリードは執事たちから母子が行方不明だと聞くと流石に青くなった。

 馬車はどうした?付き添いの侍女は?と問いただせば誰もローズに付き添わなかったと俯いて答えた。

 愕然とするジークフリードであったが、数時間後万策尽きてカークランド家に連絡を入れた。


『ローズがそちらにお邪魔していないだろうか?』

 カークランド家の人間は呆気に取られた。


 家の夫人がいないと言うのに夕餉の片付けも終わった時刻に義弟がそのように聞いてくるのだから。

 兄弟はなぜもっと早くに連絡を寄越さないのだ!!と激昂したが

『いや・・・自分たちで探していたので・・・もっと言えば私が仕事が立て込んでいて連絡がつかなかったのです。』と尤もらしく言い訳を並べた。それを聞いて家族は更に青筋をたて、夫人たちは伯爵を睨みつけたそうだ。


 きっと優秀な2人の兄がジークフリードの全てを暴いてくれるだろう、と手紙には端的に記されていた。


 追記として

「女性文官の試験を受ける勉強をすぐに始めなさい。」と問題集が添えられていた。


 睡眠と食事で英気を養ったローズはしっかり頷くと勉強に励むアルフレッドの隣の机で同じくペンを取った。



 ローガンからは簡単にだが報告の手紙や言付けが届き続けた。1日1回、若しくは2回。

 どうやって調べているのかわからないが差細なことまでローガンは知っているようだった。

 行方知れずになったローズ親子をペンデルトン家は漸く事件だと認識したらしく、カークランドは元より他の人々からも非難され始めていると記されている。

 執事たちは馬車を用意しなかった事をカークランドの兄弟に叱責され、下働きの2人が責任を取らされる事になりそうだとも書かれていた。


 本当なら執事と侍女長がうけるべき罰を彼らは下のものに転嫁しているのは明確である。

 元はと言えば馬車の準備を通常通り行い、付き添いの侍女がつけばローズ達は行方がこんなに分からなくなることは無かったはずだ。


 飼い猫の様に『時間になったら戻ってくるさ』と馬鹿にしていた彼らは事件が起こってから大慌てになった様だが後の祭り。


 ジークフリードは馬車の事など自分は知らなかった。使用人たちの落ち度だと兄弟からの矛先を自分以外に向けようと必死だと言う。

 しかも愛人宅にローズと息子が行方不明になったのにも関わらず行ったらしい。


 流石にその部分を読んだ時は手が怒りで震えた。

 自分はまだ良い。

 だが息子が心配ではないのか?!


 その思いが穏やかであったローズの心を燃やした。





 ローズが乗っていた可能性のあった貸切馬車は倒木のそばで横倒しの状態で見つかった。ドアが壊され、馬は消えていることから強盗にあったか、事故に巻き込まれたか…。

 乗っていたとされる御者も行方が分からず何か事件があったのだと地元の自警団は判断した。

 車輪が飛んでいった形跡から乗っていた2人も怪我をしているのではないか?とカークランド兄弟は騒いだ。


 ジークフリードはそんな2人を何とか宥める。


 もし悪漢に襲われたらローズの経歴にもアルフレッドの今後にも傷がつく。どうか少しだけ時間をくれ!と頼み込んだ。


 ジークフリードにはキャセリーヌという愛人が何かしら仕掛けたのではないかという疑いも拭いきれなかった。


 キャセリーヌは可愛い女だ。

 愛人として出過ぎない様にしていたし、月々の手当ても自分の出せる範囲で強請ろうとはしていた。

 一年前までは…


 去年あたりから、社交界でのエスコートを望み、宝飾品も高価な物を記念日には贈れと少し強い態度に出る時がある。


『若い盛りを貴方に捧げているの』と言われて仕舞えば同情してしまい、それもそうかと納得して金を払った。

 自分を妻にと言われるよりはマシだと考えていたからだ。

 家の切り盛りは矢張り賢いローズの方が向いているのはよく分かっていた。


 最近になり『奥様より私の方が愛されてるわよね?』と幾度も聞いてきていた。

 何気ない会話であったが、聞く頻度があまりに多かった。

 それが心に引っかかり、万が一ローズがキャセリーヌに害されたのであれば大変な展開になると慌てたのだ。


 思わずキャセリーヌの家に突撃訪問したが彼女は何も知らない様子で、心底ホッとした。


 カークランド兄弟は日に日に険悪な表情になっていくし、自分の親もギャーギャーと屋敷まで押しかけ応接室でがなり立てる様になる。

「ジーク!!なぜ見つからないのだ?!騎士団にどうして捜索願いを出さないのだ!!」

「父さん。万が一ローズたちが悪漢に襲われていたらどうする?辱めを受けていたら?

 救出してもその後アルフレッドだってまともに貴族として生きていけない。

 事を大きくしては駄目だ。ペンデルトン家が後ろ指さされることになる。それに身代金の要求も来ているわけではない。」

「随分のんびりしているのだな。わが義弟は。

 元はと言えば貴族が外出するのにメイドの一人も側につけず馬車も用意しなかったこの使用人たちのせいだと?」

「今頃ローズやアルフレッドが殺されているかもしれないのにペンデルトン伯爵は心配じゃないようだね?もういい。カークランド家でローズは探す。」

「いやっ!!別に心配していないわけではっ」

 そこまで言ったところでダグラスが胸ぐらをグイッと掴んできた。


「今まで妹の旦那だからと容赦してきたんだ。主人がこのような態度だからこんなことが起こるんだ!なんだこの腐った使用人たちは?!首を洗って待っていろっっっ!!」

 地を這うような響く声が館に木霊した。


 はっきりしない態度のジークフリードに業をにやし、そう怒鳴りつけると兄弟二人は見送りの執事たちを手で押しのけるように出て行った。


 ペンデルトンの前伯爵夫妻も呆気に取られている。


「・・・貴方達・・・ローズに何をしたの?」

 大奥方が青い顔をして執事のドリルの顔を覗き込む。


 彼らは言いようのない恐怖で顔を真っ青にするだけであった。

『首を洗って待っていろ!』

人生で使わなそうなセリフベストスリーに入りそうだけど、使っちゃった。

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