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奥様に捨てられた伯爵様  作者: 美輪 伊織
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「いい加減にしてくれないか?」

 不機嫌そうにジークフリードは妻のローズを睨みつけた。

 後半刻で愛人との約束の時間になると言うのに、妻のローズは今日だけは子供の競技会を参観しに行かないかと一生懸命に誘ってくる。


 全くもって自分のこれからの行動を分かっているから、それを止めようとしている様にしか思えない。子供(ムスコ)は可愛いが今日は愛人の誕生日。ひと月前から強請られた人気俳優が出演する観劇を予定しているというのに。

 愛人という立場上、日陰に身を置く彼女に後ろめたさを感じる為、せめて誕生日くらいは祝っててやりたいと気持ちが強く出て、縋り付く妻を更に疎ましく見せた。

 夫婦仲は子供の出産をピークに冷え切っておりジークフリードは妻に触れずにもう8年夫婦をやっている。

「お願い、今日はアルフレッドが初めて班隊長を務めて競技会に出るのよ?学年で最後の大会になるわ?」

 そんなことを言いながらローズは、自分と見学に行こうと学院へと誘っている。

 だが、競技会なんて保護者席は遥か遠くアルフレッドはマッチ棒のサイズでしか見えないのだ。

 参加の必要性は全く感じられなかった。

「すまないが、取引先の人との食事会は一月も前から約束してるんだよ?

 仕事の大切さを分かってくれないと困るね。子供じゃないんだから。」

 声音も段々と冷たいものになる。

 出かける理由を『仕事』だと言っていなかったからこんなにごねて居るのかとため息混じりに言えば今日のローズは一段と悲しそうな顔をした。


 化粧っ気の無い妻のそんな顔を見ると余計に苛つく。

(キャセリーヌがそんな顔を見せれば心が締め付けられるように切なくなると言うのに、ローズじゃこの程度か)


 伯爵位の彼が妻のローズと結婚するきっかけは実家の借財だった。

 子爵位の妻の実家の持参金を目当てに自分の両親が婚約させたのだ。


 最初の頃妻のローズは初々しく可愛らしかった。

 しかし、出産を機に少し膨よかになり、ある日エスコートするために握ったその手は白パンのよう。

 ローズは頭もよく会話も楽しかったが、最近は講釈の多い頭でっかちにしか思えず、何だったら自分のことを馬鹿にしているのではないかと思うときも増えた。

 勉強嫌いであった自分を棚に上げて若い愛人が可愛く見えるのは、きっとキャセリーヌの方が若くモノを知らないからだ。

 愛人キャセリーヌはいつも『ジークってば本当に物知りで大人なのね。私は子供っぽくて恥ずかしいわ。』と謙遜する。


 本当に可愛らしい。


 伯爵家はローズの持参金で持ち直し今では財政も余裕が出てきた。

 勿論ジークフリードの小遣いもゆとりが生まれ今ではキャセリーヌに手当てをあげられる程度には成った。


 商売人上がりの子爵家の女なんて娶るのはごめんだと初めは乗り気じゃなかった結婚も、社交クラブでそれなりの財布をチラつかせる事ができると気持ちは変わった。

 嫡男にも恵まれ実家の親たちは悠々自適。修繕が全て行き渡った王都の屋敷でゆったりと過ごせている。

 ローズは子爵家の三番目。待望の女の子だったらしい。

 少し甘やかされて育った妻は疑うことを知らず、世間も知らない。

 淡い栗色の髪に色白の肌。子女が通うにはちょっと高い上級学習院も卒業している才女だ。見た目は化粧気があまりなく、今まで付き合ったような女達のように服や宝石を強請らなかったことから男に関しても非常に無知だった。初夜でも勿論そうだったし、彼女との閨は『子作り』が主だった。家はローズが取り仕切っていたが子爵の真面目な奥方に仕込まれただけあってそつが無かった。そして結構な金額の持参金額。


『幸せだけど、刺激がない。』ペンデルトン伯爵となったジークフリードはそのうち結婚生活に不満を持つようになっていった。


 最初は軽い気持ちで一夜限りの浮気が始まりだったが、今は自宅と彼女キャセリーヌの家を行き来しながら満たされた生活を送っていた。この生活ももう2年目。決まった愛人を持ったのは初めてであったがキャセリーヌが『結婚』を求めないことを良いことに、充実した日々が送れていた。

(貴族の結婚生活に愛を求めてはいけないが意外とうまくやっていけるものだ。妻は従順だし……今日くらい執念いのは珍しかったな。もしかしてキャセリーヌの存在に気がついたのかもしれない。念のため帰りに花でも買って帰って機嫌を取ろう。)

 ジークフリードはキャセリーヌに想いを馳せながらも、ローズの悲しそうな顔を少し思い出しフトそんなことを思いついた。


 帰りは遅くなるが、彼女の部屋に花束を持っていけば機嫌も直るだろう。

 そう閃くとその後の観劇も、情事もいつも以上に楽しめそうだとニヤつきが止まらなかった。





 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>



 キャセリーヌには観劇の後宝飾店へと連れて行かれ、この日は今までで一番高いネックレスを買わされた。ハロコット地方で産出されたその稀少なルビーをいくつも遇らった逸品は確かに黒髪のキャセリーヌにはよく似合っていた。

『これが唯一気に入った物だわ。これ以外は欲しいものは無いの。』そう言われれば買うしかない。

 正にケツの毛まで抜かれると言ったところだ。だがキャセリーヌは嬉しそうに微笑み満足気にこう言った。『こんな高価なネックレス奥様にも買われたことないでしょう?私の方を優先してくれて本当にありがとう。ジークの気持ちを思わず試してしまったの。でも、貴方は買ってくれた!!お礼はベッドの中でするわ!』

 その夜キャセリーヌは娼婦のように猥らで享楽的で、本当にジークフリードを満足させてくれた。


 深夜家に帰ると執事が少し慌てた様子で出迎えた。

 良いくらいに酒が回り、キャセリーヌとの熱い夜を過ごしたジークフリードはその年老いた彼の顔が自分の機嫌と全くそぐわないのを不快に思った。


「アルフレッド様と奥様がまだお戻りになられていません。」


 一瞬何を言われたのか全く分からなかった。

「何だって?」

「はい、ですから奥様方はまだ戻られていないのです。学院に行かれた後お二人でお戻りになられるはずがまだ・・・」

 執事は蒼白な顔を隠しもせず淡々と話し始めた。


 奥様たちの戻られる時間になっても連絡もない。これは何かあったに違いないとジークフリードに知らせようとした。

 しかし、教えられていた連絡先の商会に行ってもご主人様は居らず、仕方なしに取引先の方の貴族のお屋敷に訪問したところ『今日は会う約束はしていない。』と追い返された。

 ご両親の家に行かれているかもと思い馬をやったがご両親も何も聞いていないとのこと。孫のアルフレッド様が行方が分からないと知れば、大奥方様は狼狽しお倒れになってしまった。


 連絡先がひとつも分からず最後の砦とばかりに夜も更けていたがローズの生家、カークランド家に連絡をつけたところ『誘拐の可能性もある』と捜査が始まった。現在、彼らが乗り出しかなり田舎で馬車が乗り捨てられているものが一台見つかっただけ…と言うところまでしか追及が出来ておらず捜査は続行されているとのこと。


「旦那様・・・この一大事に一体どちらに行かれていたのでしょうか?」

 執事は疲れた顔をしてため息と共に白く濁りはじめた目をジークフリードに向けた。


 ジークフリードは答えられなかった。


 当たり前だが愛人がいることはこの屋敷の人間たちには隠している。

 いや、衣服の乱れで聡い人間は分かっている可能性は高いが『どこの誰?』までは追求できて居ないだろう。

 相手のキャセリーヌは没落貴族の男爵令嬢だ。


 社交界にでる支度金が用意できないほど実家は火の車で身売りを覚悟していたくらいなのだから。

 華奢な肢体に黒髪で決して派手な容貌では無かった彼女。仕事を探して彷徨いていたところを声を掛けたのが始まりなのだから全く接点はない。

 友人の何人かはキャセリーヌの存在を知っているが勿論それはお互い暗黙の了解で隠しあっている。

 万が一でも不貞がバレればどの家もいいことなんて一つもないからだ。


 ツイテイナイ・・・


 何故取引先(うそ)の相手をその友人たちの1人にしていなかったのかが悔やまれる。

 執事たちに告げていた偽の連絡先は信憑性を持たせるために、普段から取引のある先を言っていた為自分に連絡が入ることが叶わなかった。

 ジークフリードは保身のことで頭がいっぱいでこの後の惨事など全く想像できなかった。







 >>>>>>>>>>>>>>>>>


「ジークフリード・ペンデルトン伯爵。不貞を認めますね?」

 義理の兄と弟はジークフリードに冷たい視線を送りながら睨みつけてくる。

 目の前には有名弁護士事務所が調べたという書類の束。それを無造作にティーテーブルに投げ出されジークフリードは狼狽えた。


 ローズが見つからなくなって6日目の朝、カークランド子爵兄弟がペンデルトン邸に乗り込んできた。

 兄弟は愛する妹が行方不明になったと日々大騒ぎをしている。

 ジークフリードは心のどこかで自分の不貞がバレたためローズが家出を決行したのではないかという疑いがあるので2人のように大声でローズ達を探す気にはなれないでいた。

 グズグズと腰を上げないジークフリードに兄弟は次第に怒りを露わにし、ペンデルトン家の老いた両親でさえ『息子アルフレッドが心配ではないのか?!』と怒鳴り込んできた。


 しかし、そろそろ1週間だ。兄弟の家にこっそり隠れているのかもしれないという当初の筋読みとはどうも違いそうだと流石のジークフリードも分かってきた。

 知らないうちに兄弟はローズを探すために驚くほど高額な弁護士事務所に依頼を持って行ったようでその行程でジークフリードの浮気が明るみになったのだ。


 その書類にはジークフリードのあの日の行った先々での様子が記されており、恥ずかしくもいちゃつく2人の様子が事細かに記されていた。一体どうすれば自分のことがそんな風にバレてしまうのかと恥ずかしさで頭を抱えたくなる。



 カークランド兄弟はすでにキャセリーヌの自宅にも行った後で、ジークフリードを訪ねて来たと語った。キャセリーヌはカークランド兄弟の訪問を最初は鼻で笑っていた。そして愛人であるということを隠しもせずに2人に喋ると、『私はジークフリードに愛されている』とネックレスを見せつけたそうだ。

 そんな彼女に『不貞を働いた賠償金を請求する』と弁護士が書いた書類を兄弟は投げ渡し、法律の何たるかを立板に水の如く説いた。キャセリーヌは全てを聞いた瞬間小さな悲鳴を上げたそうだ。


 それを聞いたジークフリードは真っ青になった。

「そ!っそんな!彼女はこの件には関係ない。私たちは偶然出会って・・・結婚生活がうまく行ってなかった私が彼女に救いを求めて付き合いを申し込んでしまっただけなんだ。」

 ローズにはすでに愛情は冷め切っていたがキャセリーヌには恋情がある。思わず愛人を庇ってしまったジークフリードに義兄は眉を顰めた。


「ペンデルトン伯爵、貴方はローズとの結婚をうまく行ってないと考えていたのですか?子供もいるのに?ローズは貴方に対して冷たい態度を取ったとでも?ハッ!?

 ローズの悲しそうな顔を私たちが知らないとでも思っているのかな?カークランド家も舐められたものだ。」

 ソファで太い腕を組み直し長兄ダグラスは背凭れに体を預け馬鹿にしたように口端を歪ませる。

 そう言われるとこの威圧的な義兄に二の句を告げることができない。

 子爵家の嫡男と伯爵と言う身分差があるのにも関わらずジークフリードはこの家族に頭が上がらないことを痛感させられた。

 夫婦の営みは8年間行ってはいないが、ローズは妻としての役目を果たしており、自分にも歩み寄ろうと努力していた。

 それをこの兄弟は分かって言ってきているのをヒシヒシと感じる。


 ローズは2人目の子供を欲しがっており、ジークフリードに長男が落ち着いたタイミングで、この3年必死に懇願していた。それを袖にしたのは夫自身だと、もしかしたらこの兄弟に話しているのかも知れない。


 愛人を囲っている貴族は多いが、ジークフリードの場合子爵家からの援助があっての生活基盤であったので分が悪かった。


 何とか言い繕おうと口を開きかけた時、執事のドリルが部屋をノックした。

「旦那様!!奥様が!!奥様と坊っちゃまが戻られました!!」

 カークランド兄弟はガタリと勢いよく立ち上がると我先にと玄関に向かって走り出した。

 ジークフリードも慌てて後を追う。


 玄関ホールには栗毛を結うことなくストンと下ろし、上品な濃紺のワンピースを着たローズと、息子のアルフレッド。そして見知らぬ体格の良い銀髪の男がローズを支えて立っていた。


「「ローズ!!」」

 兄弟は使用人たちの視線も気にせず走り寄ると2人を抱きしめた。

 アルフレッドは嬉しそうに破顔し義兄のペイリーに抱き上げられる。

 9歳になるアルフレッドは決して小さくないが長身のペイリーはいとも容易く抱え上げた。


 ジークフリードは久しぶりに見る息子と妻の姿に安堵したが、同時に爪弾きにされた場の空気に情けなくも棒立ちとなる。

 義兄ダグラスはそんなジークフリードに気付いているのかいないのか・・・(ローズ)を抱きしめた後何度もその頬を撫で、心配そうに瞳を覗き込んだ。高揚した場が少し落ち着くとアルフレッドは母親の手をしっかり握り後ろの男性を手招きした。


「僕たちを助けてくれたのはこちらのローガン・ゴールドスミス伯爵です。この度危ない目に遭ったところを救ってくれたのです。」

 長身の銀髪の大男は伯爵であったのか?!

 ジークフリードは驚きを隠せないまま、だがやっとのことで口を開いた。

「ゴールドスミス伯爵・・・この度は何とお礼を言ったら良いのやら・・・本当に妻と子供を助けて下さって有り難うございます。感謝に絶えません。

 その・・・妻たちは一体この1週間どこにいたのでしょうか?」

 我ながら辿々しいお礼の言葉に恥ずかしくなって来たがジークフリードはゴールドスミス伯爵に一歩近寄り握手を求めた。


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