海辺の家族
書きながら、ドリルはどうしても『ぎゃふん』いるかな?と思った番外編
「オイオイ!オッサンこんなことも出来ねえのかよ。」
呆れたようにガタイの良い青年がドリルの肩を乱暴に叩く。
陽に焼けた逞しい腕にはドリルより大きな箱を乗せており、額には汗が光っている。
「すみません…すぐ片付けます。」
ドリルは取り落とした木箱の荷物を這いつくばって拾いながらペコペコと頭を下げたが心中は荒れていた。
俺はこんな下働きをするような人間じゃない!伯爵家で働いていた人間なんだ。
こんな港町の学のない男に使われるような小さな男じゃないんだ。
ペンデルトン伯爵家が没落した後、紹介されたのは小さな港町にある商家の経理であった。
ドリルは今年で52歳。
あの家で骨を埋める覚悟で仕事をしてきたのにこの扱いはひどい!と一時酒に溺れ、挙句に少額ではあるが商家の金を使い込んだ。
それが原因で職場を失い、今は日雇いの仕事を港でこなす日々である。
字の読み書きが出来る事、計算が出来る事を言って回ったが、皆ドリルを雇うことを嫌がる。どうも口の利き方や態度に嫌味な雰囲気があるのだ。
直情型の人間が多い港町の男はそういう雰囲気に敏感である。ドリル本人も仕事を選び選び過ごすうちに誰からも相手にされなくなった。
そのうちに貯めていた金も尽き、毎日の食事も儘ならない状況が続いていた。
食べなければ腹は減る。仕方なしに船の積み荷を下ろす肉体労働の仕事を受けるようになったがそこから中々抜け出せずに3ヶ月が経とうとしていた。
力仕事は金払いは良い。朝から日暮れまで頑張れば何とか夕食はきちんと食べられる。
しかし兎に角きつい仕事であった。
「あのなぁ、〈これくらいの仕事〉って言ったけどこれも大切な一つの作業だ。あんた自分にどんだけ自信があるのか知らんが13歳のガキたちの方が真面目に何個も運んでんだぞ?
字が書けても計算できても、真面目にやらねえ人間に誰も給料なんて払いたくねえんだ。」
まだ年若い男はドリルに説教くさい台詞を吐くと荷物をドスンと降ろし再び船に戻って行った。
クタクタになったドリルだが次は皿洗いの仕事が待っている。
世話になった人の良い女将さんが紹介してくれたのだ。
「この辺りじゃちょっと良いレストランなんだよ。だから、おじさんみたいにキチンと計算とか出来る人の方が喜ばれるかもしれないから紹介してあげる。あんたもう少し頑張んな。腐ってないで。」
教えて貰った先は貴族も使うようなレストラン。店構えはかなり高級で一品の価格も庶民が毎日通うような気軽いところでは無い。ドリルは飲食業の経験はないため皿洗いなどの下働きから試しに働かせて貰えることになった。
訳ありの人間でも雇うなんてこの店の格も知れているな…
よれたシャツを着ている癖にドリルはそんな風に見下した。
だが人気店と言うのは本当で休む間がないほど忙しい。
その日、皿を一枚割ることにはなったが仕事はどうにかこなした。
陽が落ちて団体の客が帰った後、店が俄に騒ついた。
「おい、貴族の方が来られている。みんな出す皿とかに汚れがついていないか細心の注意を払えよ!」
給仕頭が厨房に声をかけると皆が気を引き締めたような顔をした。
「貴族の人が来たらそんなに気を遣わなきゃならんのですか?」
ドリルは何とは無しに呟いた。
「はぁ?!当たり前だろ!!貴族様だ!!まあ、この辺に来られている方で横柄な態度を取る人はあんまり居ねえが基本平民と違うんだ。絶対に失礼があっちゃいけねえもんだろ?」
年若い料理人が呆れたようにドリルに返事をする。
ドリルはそれを黙って聞いていた。
前菜にメイン、ワインの追加にデザート、と次々料理が運ばれていく中ドリルは黙々と皿を洗いながら考えていた。
貴族の人間には皿一つピカピカにして出さなきゃならないのか…こんな場末の田舎のレストランの人間だってそう考えているのに、俺は一体何をしてしまったんだ?
思い返すのは上品な新妻の姿だ。
物腰が柔らかく、苦労知らずの手をした女は『これからどうぞよろしくお願いしますね。』と会釈した。
本当に品があった。
白い頸に美しい肌はシミがなく、持ってきている品物は見たことがないような高級品ばかり。
嫁入り道具なのでこれを私の寝室に使ってね、と渡されたカーテンやシーツはペンデルトン家の応接室の布類よりずっとずっと上等なものであった。
何かが狂っていき自分たちの方が偉いのだと錯覚してからが全て悪い方に向かっていったと思う。
初め奥方と乳飲み子しか家にいない日に料理長と結託して食事をあり合わせで出してみた。
しかし、その上品な夫人は少し悲しそうな顔をしただけで黙ってそれを食べた。
なんだ…大奥様が言う通りだ。
付け上がらせてはいけないんだ。
私が家を取り仕切る人間としてあの若い女に思い知らせなければいけないんだ。
それから思いつくままに夫人の自由を奪っていった。
侍女を取り上げたときは爽快な気分にさえなった。
『お前は威張ろうと虚勢をはっているが、自分の世話一つできない人間なんだと思い知れ!』
子爵の地位でも【貴族は貴族】なんだと理解したのはカークランド兄弟が使用人たちを怒鳴り上げて帰った後だ。
弁護士の男が大量の書類を抱えてペンデルトン家に来てから瞬く間に家は没落した。
慰謝料や貸付けられていた金の返済や、出入り業者からのクレーム。
貴族としての体面を保つのは『貴族』じゃないと出来ないことなのだと改めて悟った。
彼らは領地を治める責任を負っているから大きな権限を握っていたのだ。
間もなくローズがいた時には一度だって起こらなかった無理難題が次々押し寄せる。
ジークフリードはパニックになり、使用人も給与が払えないと理解した途端バタバタ逃げだした。
皿の汚れ一つ、貴族には見せない…
自分が蔑んだ店の平民たちはちゃんと弁えているのに自分は全く理解していなかった。
「奥方様がお酒が好きらしい!ノプレス産の20年物ワインが出たぞ!」
給仕が嬉しそうにワインセラーから古いボトルを出してくる。
「あれは高いんですか?」
「高い高い!!俺もあのワインの封が切られるのは初めて見るぜ!俺らの給料の3ヶ月分だ!」
思わずどんな人間がそれを飲むのか気になりドリルはホールを覗き込んだ。
すると窓側の一際大きな照明の下に座る上品な夫人が目に飛び込んできた。
「ローズ奥様……‥…」
光沢のあるドレスを纏い複雑に結い上げられた髪型をした小さな顔の夫人が、幸せそうに男に向かって微笑んでいた。
胸元には大きめのネックレス、耳には揃いのイヤリングが光っている。
背筋はピンと伸びたまま上品な仕草で魚を切り分けるその姿は神々しくもあった。
一緒にいる男はローガン・ゴールドスミスだろう。
背が高く、銀髪を軽く撫でつけて質の良さそうなシャツを着ている。
二人は楽しげに会話を楽しんでおりその声は僅かながらドリルのところまで届いた。
「そうなの!ジョシュったらアルフレッドに悪戯するつもりでバケツに水を入れて仕掛けていたんですって。庭師のライアンがそれを見つけたけどそのままにしていたら、次の日ぜーんぶ忘れて自分で紐を引っ張ったらしくて…」
そこまで話すと堪えきれないようにクスクスとローズは笑い出す。
「で、一人で水を被ったってのかい?」
ローガンも想像したのかハハハハッと笑い出した。
「ね?可愛いでしょう?二人ともそれで大笑い。その後巫山戯っこして服はびしょ濡れよ。」
ローズも思い出したのかクスクス笑い続けている。
ローガンはそんな妻の姿を愛おしげに見つめながら一緒に笑う。
妻は明るく子供達の遊びをなんでも優しく許してしまう。
ローズと結婚して分かったのだが彼女は本来活発な人間だ。だからか男の子の悪戯をかなり寛容に許すのだ。
ミストリアルの実家の母たちとも気が合うようで、武力に物を言わせる父もローズのサッパリした気性をとても好いていた。
ローズは見た目よりもずっと男らしく、そして素直なのだ。ローガンはそんな妻が可愛くて仕方ない。肌を整え、サイズの合ったドレスを着せ、侍女たちに化粧を頼めばローズはどんどん美しくなった。
[素地がいい。]
洋品店のオーナーが口にした言葉だ。
そうなのだ。ローズは育ちの良さと性格の良さが表面に表れるととても雰囲気が出る。目立つ美人では確かにないが、小さな顔と肌の美しさ。少し大きめなポッテリした唇は雰囲気美人なのだと最近理解した。
肌の美しさを引き立たせるために『シルク』と言う素材を薦められたが、彼女にはこれがまたよく似合う。
ローガンは若い時とは違うが彼女に毎日ときめいていた。
そして、結婚生活の楽しさを知った。
一緒に摂る食事を美味しいと共有したり、子供たちの成長や日々の暮らしが二人だと喜びは2倍に感じる。
ローズは社交界に復帰する時『もし、口さが無いことを言われて不快に思われたら遠慮無く私と距離を取ってください。』とローガンを気遣った。
彼女の芯の強さにローガンは惚れ直し、やっぱりこれからの人生を歩んで行く女性はローズしかいない!とハッキリ自覚した。
裁判後なのでローズを批判的に見る古臭い考えの男たちも当然居た。だがそれ以上にローズは女性から支持を受けていた。
女性に囲まれ、柔らかな笑顔を振り撒くローズは誰もが認める程美しかった。
紆余曲折はあった。
しかし今はすっかり生活が落ち着き、子供たちの提案で旅行を決行したのだ。
2週間の行程で計画を立てる二人のスケジュールに、今夜はジョシュが企画した『レストランデート』である。
山小屋に泊まり、港町を訪れ船で島に行く。亀の観察日記をつけた後は海でたっぷり泳ぎ、親は着飾ってディナーに行く。
ローズは海の幸に目がないようでいつもよりお酒も進んでいる。
ほんのり頬を染める妻が可愛らしくローガンはこの休暇を幸せに感じた。場所が変わればいつもの表情と違う面が見られるのだとこのシチュエーションに神に感謝までする。
そしてローズも王都よりラフで、色気のある夫に惚れ直した。
文官でありながら高身長で逞しいローガンは目を引く。銀髪は緩く撫で付けられちょっとワルそうな大人の男だ。
いつもよりお酒も進み、はしゃいだ声でお喋りしてしまった。
「ローズ、結婚してくれてありがとう。」
会話が途切れたその瞬間、ローガンがテーブルにスッと宝石箱を置く。
緑のケースには珊瑚の細工を施したブローチが輝いている。
「私こそ…………。私こそ……………幸せで…………。お礼を言いたいのは私の方だわ。」
二人は暫し見つめ合う。
ローガンはローズの幸せそうな笑顔にこの贈り物を選んで良かったと胸を撫で下ろした。
贈り物を喜んで貰えるだろうか?とソワソワする感情。これもローズと結婚して知ったのだ。
ドリルは知らないうちに涙が流れていた。
「おい、どうした?」給仕長がギョッとした顔でドリルに声をかける。
「す、すみません。ちょっと知り合いに似た方を見たので…」
それだけ言うとトイレに駆け込む。
ドリルは思い出す。
貧しかったペンデルトン家では結婚当初庭師を雇えなかった。ドリルが気を使い庭に自ら種を蒔いた時とても嬉しそうに礼を言ってくれた。
『ドリル、ありがとう。きっと綺麗な花が咲くわ。私花が何よりも好きなの。
みんな薔薇が好きなんでしょう?って言うんだけど、本当はインパチェンスのように小さくて群生で咲かせる花が好き。あのピンクや赤、白の可愛らしい花が一斉に咲く雰囲気が好きなの。』
平民でも気軽に買える花の種をとても嬉しそうに褒めてくれた奥方。金額を喜ぶのではなく、ドリルの心遣いに感謝を示してくれた奥方様。
いい人が嫁いでくれたとあの日は思ったのに……………
(どこで間違ったのか。)
ローガンの贈った珊瑚の細工は庶民でも買える品物だ。だが彼女はとても喜んでいた。
きっと旅行で訪れたのであろう。
この地の思い出をあの細工を見る度に思い出し、思い出の品として贈ったゴールドスミス伯爵の気持ちに喜んでいるのだ。
奥方は変わっていない。
変わってしまったのは自分達だった。
小さな幸せを素直に喜べる人をみんなで寄ってたかって虐め抜いた。
『花が好きよ。ありがとう。』
優しい主人を手放してしまった自分にはもう後戻りは出来ない。
顔を見たからと挨拶も出来ない結果を招いたのは自分だ。
せめて……………
せめて、恥じない生き方をしなければ…………
使い込みを許して解雇だけで済ませてくれた商家の人たちに謝ってもいない自分が恥ずかしかった。
少額を盗んだ自分の小物加減も恥ずかしく思えた。
トイレから出ると既に彼らは退店した後である。
ドリルは片付けられつつあるテーブルに向かって誰にと言うわけもなく頭を下げた。
さて、このようなデートが終わった後、ローガンは妻の色気にスッカリ中てられていた。
馬車の中ローガンは妻を抱きしめたくてしょうがない。もっと言えばレストランでキスしたくて仕方なかった。
酔った妻は可愛らしい……………
少し千鳥足で宿屋に戻ったローズを支えるフリをしてちゃっかり寝室に押し入り、え?とか、あの??とか言うローズの服をどんどん脱がせた。
アルフレッド!お父さんはお前たちの欲しがっていた『妹』を次の誕生日にプレゼントするからな!!(注:どちらが出来るかなんて分かりません)
ローガンの決心は非常に固く、海辺の宿屋の雰囲気は最高にロマンチック。波の音と潮の香りにやたら大きな浴室。
素晴らしい環境が、意図的にかはわからないが用意されていた。
ジョシュが父ローガンを後押ししたのは間違いがなく、アルフレッドがそれを計画したのかは仲良し兄弟の秘密だ。
ジョシュ『絶対妹がいいよな!』
アルフレッド「妹だな!弟が出来ててお父上に似てたらどうする?」
ジョシュ『…………。なんかヤダ。』




