エピローグ
これで本編完結です。ちょっと物足りない感じなのですが、番外編を明日にアップ予定です。
――――三年後―――――
ローズは文官として王宮で出仕していたが来週から一年半、仕事を休む。
今日は仕事納めとして室長に挨拶に来ていた。
コンコンコンコンとノックすると間髪を容れずにドアが開けられる。
「ゴールドスミス夫人…お待ちしてましたよ。」
小柄な中年の男はニコリともせずにローズを室内に入れた。
来るの待ってたんですよね?と言いたくなるほどドアが早く開いたが不機嫌そうにすぐに背中を向けられたためローズは黙ってその後ろに従う。
王宮の中でも変わり者だと言われる室長は40代半ば。
細身で小柄なためもう少し若く見えるが神経質な雰囲気は相手を威圧するのは変わらない。
「この度は産休制度を設けていただき有り難うございました。」
大きくせり出してきたお腹では綺麗に腰を折ることも叶わないな〜と思いながらローズはペコリと頭を下げる。
すると室長は準備していたのかお茶をすぐに入れるといささか乱暴に二つのカップをテーブルに置いた。
どうぞ、ともご機嫌伺いの挨拶もなく無言で自らのティーカップに口をつける。
お前も飲め!と言わんばかりの視線にローズもカップに手を伸ばした。
やっぱり機嫌悪いんだ……
ローズはため息を吐きたくなるのを必死で堪える。
本当にこの人にはこの三年近く振り回されっぱなしであったが、男女の差別もない人だった。仕事の重圧は凄かったがその分大きな仕事も何度も任せてくれた。
だから半年前に休暇を取りたいと思った時はビクビクものであったが正直に打ち明けたのだ。
ローズは文官試験に受かった後、四箇所の部署で経験を積んでこの室長の元に配属された。
ローズなら彼とも上手くやれるだろう。
人事の人間にそう言われて。
室長は確かに偏屈で気分屋で多くの仕事を抱える人間だ。ローズもアルフレッドをローガンに任せて何度か深夜まで残業することもあった。
しかし楽しかった。
彼は天才肌らしく思いつきで行動することも多かったがその分他部署より多くの立案書をあげることができ、この二年で法案を何度も通すことに成功した。
「ゴールドスミス夫人。また戻ってきてくれるんだろうね?」
室長は視線を合わせることなくローズに聞く。
「はい、勿論です。最初は時間も短い出勤から始めますが主人の理解もありますしここが好きなので待っていただけるなら、復帰後はまたこちらで働かせてください。」
「文官試験の狭き門を通った人間は子供を産んだからと言って簡単に離職されては困るんだよ。代わりが少ないんだから。」
「嬉しいお言葉です。代わりがないなんて。」そう言うとフフフとローズは笑い出した。
相変わらず分かりにくい人だけれど復帰を望んでくれているんだと思えばローズも自然と元気が湧いてくる。
「室長も新人さんに無理を言わないで、上手にお付き合いされてくださいね。
皆辣腕室長を尊敬して集まってくる方達ばかりなのですよ。お仕事ぶりを見せるだけではなく、少しのアドバイスを差し上げてください。私はとても助かりましたから。」
中年の室長は公爵家の三男で地位も高いが未だ独身だ。
言葉が鋭くて男の文官でさえ泣いて部署移動を頼んでくる時もあるらしいがローズは全く平気であった。
「文官試験の点数が良いと聞いたがこんなものか。」
「慌てているからとミミズの這い回ったような字を書くな。恥ずかしい。」
「資料は言われる前に事前に準備しろ。学生でも出来る。」
ジークフリードや使用人の嫌味は悪意があったが、彼からはそんなものは全く感じなかったからである。
悪意のあるなしは大きいのだなぁ〜とローズは感慨深くなったものだ。
だから彼のキツイ言い回しを全く気にも留めなかったし、仕事のアドバイスをされているのだと素直に受け取った。
文官試験に合格した後、ローズはローガンのプロポーズを受けることにした。
あのお祝いの夜。
ローガンはローズを差し置いて盛大に酔っ払い『うんと言ってくれるまで帰さない。』とローズをレストランの一室に軟禁した。そして恥ずかしいほど愛の言葉を沢山くれた。
ローズもローガンのことを好ましく思ってはいたがジークフリードの時のように夫に頼った生活の危なさを痛感したため、試験は絶対に受けると宣言し、見事合格ももぎ取った。
合格者は現役受験者が多い中、ローズが上位の成績を収めたと聞いたのはかなり後だ。
ローガンは仕事をしたいと言うローズを応援してくれている。
アルフレッドは手のかからない年に差し掛かっているし、職場が一緒ならローズとの時間も作りやすい。平日はローガンの執務室で可能な限り一緒に昼食を取り、帰りの馬車は一緒に乗る。
小さな積み重ねであるがローガンがローズを全身で好きだと言っているのだと肌で感じることができた。
愛情深いローガンはローズもアルフレッドも大切に甘やかす。
不自由ない生活を提供し、嫌がることはしない。
ローズ達が家で心を休めることが出来るように最大限の努力を怠らなかった。
それにローズが夫を簡単に信じるのはまだ難しく、男性そのものから無意識に距離を置いていることに気が付いたからだ。
ペンデルトン家でも執事のドリルは執拗な虐めをローズに行っていた。
男が逃げ場のない女性に嫌がらせをすることの異常さを体験していた為、ローズは気がつかないうちに男性不信に陥っていたのである。
夜道を供も付けさせずに歩かせたり、生活費を取り上げて困らせたり、侍女に世話をさせなかったり。
挙げればキリがないことではあるが貴族の女性が平民以下の生活を強いられていたことは普通では無かった。
それにジークフリードも言葉でローズを傷つけて、皆から馬鹿にされるように仕向けてきた。
子供がいるから家を出るわけにはいかない、と歯を食いしばって嫌がらせに耐えていたがそれは偏にローズが強い精神力を持っていたからであろう。
だが、アルフレッドには父親が必要であることも理解していたので、ローズは唯一の絶対の味方に相談したのだ。
『ローガンおじさんにプロポーズされたのだけどどう思う?』と。
アルフレッドは少し考えてこう言った。
「僕は愛してもらいたい。母様は勿論愛してくれるけど、父親の愛情ってものを知りたいんだ。
文官として王宮に勤めたら、母様に他の男の人が寄ってくることもあるかもしれない。
爵位が高くて、独身で、頭のいい人がね。でもその人が母様を愛することがあっても僕を愛してくれるかは分からない。ローガンおじさんは愛してくれる。
それに僕はジョシュを家族として既に愛してるよ。素直で僕のために泣いてくれる人なんてそうそう居ない。」
決断するには十分だった。
自分を窮地から救ってくれたのはローガンだ。
時間もお金も掛かるのにその手を惜しみなく汚して助けてくれた。
ローガンに『私も貴方と一緒に居たい。』と試験結果を握りしめて告げれば飛び上がって喜ばれ、法律で決められた期間を経て二人は籍を入れた。
子供達は手を取り合って喜びゴールドスミス家の使用人達も非常に喜んだ。
子育ては一人でするものだと考えていたローズだが、一番驚いたのはローガンが子供と一緒にどんどん出かけることであった。
馬に乗りに行くよ。
森に狩りに行こう。
鷹を飛ばしてみよう。
母様には秘密で雪山に冒険しに行くぞ!
今夜は私と一緒に寝よう。
ローズが体力的に難しいイベントは逆に留守番させられたが、それはとても楽しい待ち時間であった。
『男の子には男親が要るって本当ね。』ローズはローガンのバイタリティ溢れる行動力にも感動した。
また、ローズも伯爵家の夫人として滞っていた社交を始める。
家族のためにお付き合いを疎かにしてはならないと自らを奮い立たせ、夫人としての役割を果たそうと決意したのだ。
噂の渦中にあったローズである。
本当はずっと隠れたままで居たかったがそうも言ってはいられない。
ゴールドスミス家で長らく開かれていなかった夫人達を招いたお茶会を開き、最終的にはきちんとした夜会も小規模ではあるが自宅で行った。
執事達もローズの計画のもと意欲的に取り組んでくれ、カークランド子爵家からの応援も得られたため、つつがなく夫人としての務めが果たせたとローズは感謝した。
ペンデルトン伯爵家では、『はい奥様』と動く使用人は居なかったのだから。
王宮勤めの文官家族達が主だった招待客であるが、ローガンは彼らとより深く付き合いが出来る様になったと微笑んだ。
貴族だから……
横の繋がりも大切なのよね。
夜会は遊ぶだけではない。
前の夫は夜遊びのために夜会に出掛けていたが、丁寧なお付き合いを望む自分達家族の周りには、同じ考えの人々が集まる。
仕事で貢献してくれた人々を労ったり、次に繋げたりする大切な役割が夜会や茶会にはあったのだ。
ペンデルトンの家では諦めていたことだが、ローズは久しぶりにそれを思い出し、義姉達の元に通って夫人としてのマナーやもてなし方を再度勉強した。
去年ペンデルトン家から何度目かの手紙が届いた。
ジークフリードが王都の家を処分し田舎の別宅へ引っ越すから一度だけアルフレッドに会わせて欲しい、といった内容であった。
ローズはアルフレッドの意思が大切だと思いローガンとジョシュも交えた席で聞いてみた。
「前のお父様に会いますか?」
アルフレッドはハッキリ答えた。
「意味あるんですか?会いません。」
ペンデルトンの祖父母から離婚後初めて誕生日プレゼントが届いたり、学院で必要な文具品がたまに届けられたりしたが全て送り返していた。
「受け取って誤解させたら悪いからね。」
執事に向かってアルフレッドはキッパリと指示を出した。
彼らの薄汚い思惑が分かるから受け取らないのだ。ローガンはアルフレッドの賢さに驚きを隠せなかった。
離婚が成立し、嫡男がいなくなったペンデルトン家は新しい嫁を探したが、カークランド家のような持参金はもう望めず、ジークフリードの希望もあって男爵家からキャセリーヌを迎えることにした。
若い嫁なら子供もすぐにできるだろう。そう言って迎え入れたキャセリーヌはペンデルトン家で半年過ごしたその後、夜逃げするように出て行ったらしい。
前伯爵夫妻は隠居用の住まいをジークフリードの慰謝料のために売り払われ、ペンデルトン邸に戻ったそうだ。しかしキャセリーヌと彼らは毎日皿が割れるほどの喧嘩を繰り返していた。ウマが合わないという言葉では済まされない。
キャセリーヌは愛人時代は隠していたが激しい気性をしていた。
彼女はやってきて早々にペンデルトンの家でもお茶会や夜会を開くべきだと主張し、訳もわからないままに招待状を送りまくった。しかし呼ばれた招待客はどれも仕事に繋がらない人間ばかり。
参加した夫人や令嬢も、自分の利益はないと回が進むごとに理解し、遂には断りの返事ばかり届くようになった。
結婚している男性を略奪しての後妻である。男性はキャセリーヌをそう言う視線で見てしまうし、キャセリーヌも満更ではない態度を取り続けた。そのうち夫が同伴している席でも平気で男の手を取る場面が目につくようになった。
茶会や夜会の失敗は執事のドリルのせいだとキャセリーヌは喚く。あまりに煩いのでジークフリードはキャセリーヌの好きにさせたら、今度はとんでも無い金額の請求書が来て思わず彼女をその場で怒鳴りつけた。
お茶会が失敗したのだから当然招待される回数も減ってくる。
招待された会で色目を使う妻など向こうからしても願い下げなのだ。
夜会の招待状もそれに比例し減っていき、徐々にペンデルトン家の事業にも影響を及ぼすようになる。
カークランド子爵は当然のことながら、ローズが仲をとり持った侯爵家が取引を止めたのをはじめに、潮が引くように大口の取引が消えた。
それでも誠実に仕事を続けていれば良かったのだが、ジークフリードの悪い癖がそこでも出てしまう。
カークランド家にしていたように、支払いの遅延を平気で頼むのだ。
特に伯爵位以下の人間に対してジークフリードはそれを厚顔にも繰り返す。
彼らも馬鹿ではない。
『ペンデルトン伯爵は支払い能力がなくなった。』としっかり噂を流し報復した。
ローズとローガンが入籍を済ませ、一年が過ぎようとした頃。ローガンの友人の弁護士が訪ねて来てこう言った。
「債務処理の案件を持ち込まれたよ。僕としては断りたいんだが、君のところに彼らはまだ支払いは残っているかい?」
ペンデルトン家の債務は婚姻前と同じくらい膨れ上がっていた。
ローガンは友人の書類を確認すると
「いや、もう殆ど残っていないから断りたければ君の意志に任せるよ。態々教えてくれてありがとう。
うちは殆ど一括で支払いをして貰ったからね。
慰謝料は分割だが、もうその件で彼がローズに連絡してくる方が不愉快だから。」と冷たく言い放った。
同じ時期にアルフレッドは学院で呼び止められる。
『ペンデルトン伯爵が田舎に行くんですってね』宝飾店の女生徒はアルフレッドに痛ましそうに言葉をかけた。純粋に父親が困窮している事実を気の毒に思ったのであろう。しかしアルフレッドはこう返す。
「そうみたいだね?でも僕子供の時からその別荘に一度だって連れて行ってもらったことないんだよ。だからよく分からない。
それより今度の休みに鷹を飛ばしに行くんだ!君も一緒にどう?」
女生徒は彼の明るい笑顔に胸を撫で下ろした。
もうアルフレッドは新しい生活に馴染んで前向きに生きているのだ。
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深夜ジークフリードはドリルに持たせるための紹介状を書いていた。
屋敷は五日後に人手に渡ることが決まっており今はベッドがポツンと何個か家に残るだけだ。
使用人は彼とメイド二人で最後。やる気がないのか全く掃除はしてくれず、今夜の食事も薄切りのパンに野菜クズのスープだけだった。
田舎に先に旅立った両親の方がもう少しマシな物を食べているかもしれない。
母親は肺の病気が悪化してきており最近薬代がとても掛かる。
だが、ジークフリードにはもう払う手立てがない。
空気の良い田舎で少しでも改善してくれれば幸運であるが…
ローズは母親の病気を知っていたらしく、定期的にレモンとユーカリの精油を送ってきていたらしい。
両親の家に漂う気持ちの良い香りは肺の病気を軽くしようと努力してくれていたローズの優しさだった。
ペンデルトン家の使用人の評価は今や地の底だ。
裁判で夫人に行った非道な振る舞いが新聞にも掲載され誰もが彼らの行いに眉を顰めている。
聡い下級メイドは、裁判が始まった途端素早く退職し違う職場に移っていたが、古参の人間ほど対応が遅れ再就職先が決まらぬまま退職となった。
ドリルは意地でも辞めないと言い張っていたがペンデルトン家はもう給料が払えない。
館を売った金も自分たちに回さなければ当分食べ繋ぐことも出来なくなるだろうから退職金は当然ながら無しだ。
ふとローズもこんな食事を食べていたのかと頭を過ぎる。
ジークフリードが食卓についている時は肉も魚もテーブルに並べられ、品数も多かった。
しかし自分が居ない時には食事らしい食事は用意されなかったと。
下手をすると使用人たちの方が豪華なものを食べていたと言った証言もとれた。
ある日肉屋の主人が子羊を丸ごと頼まれたので『お祝いですか?』と聞くと料理長が『ええまあ』と曖昧に答えた。
その日アルフレッドたちが食べたのはパンと少しのチーズ。使用人たちはドリルの誕生日を祝って子羊を皆で分け合い蔵のワインもしこたま飲んだらしい。
ローズが請求書の明細を確認して肉屋に駆け込み請求先を変えさせたことをドリルたちは未だに根に持っていると話していた。
法廷でジークフリードは使用人たちの勝手な振る舞いにも驚きを隠せなかったが、ローズがあのような状況でもペンデルトン家のお金が正しく使われるように頑張っていた事実にショックを受けた。
アルフレッドが『お父様帰ってきて。』と頼んでいたのはちゃんとした食事が食べたかったからだと言われたことも傷ついた。
キャセリーヌは貧しい家から来たのに、どこで覚えたのか非常に贅沢な品物ばかり欲しがった。
ドリルも両親も諌めたが、勝手にペンデルトンの会社のツケ払いで購入してきてしまう。これには皆頭を抱えた。
ある朝侍女長は気性の荒いキャセリーヌに火かき棒で殴られ腕を折った。
『こんな生意気な侍女死んでしまえ!!!』
朝の支度の盥の湯が熱すぎたことが原因である。
侍女長はローズが理知的で暴力など振るわなかったから、キャセリーヌを甘く見ていたのだ。
本来、館の女主人に生意気な態度を取るなんて恥ずべき行為で、貴族の女性は使用人には厳しいものだ。
侍女長はまさか手をあげられるとは思ってもみなかった。
折れた腕の痛みに悲鳴をあげ泣き叫んだが、キャセリーヌは『煩い!!』とその顔を今度は平手で打ちつけた。
侍女長の気持ちをへし折るのにはその1日で十分である。翌日逃げるようにペンデルトン家を出て行った。
最初こそ頭の悪そうなキャセリーヌは操りやすそうだと使用人たちから歓迎されたが、愛人を生業とした女はそんなに甘くない。
キャセリーヌはジークフリードに自分の都合の良いようになんでも報告し、叱られそうな案件は使用人のせいだと訴えた。
キャセリーヌを信じきっていたジークフリードは使用人達を厳しく罰したし、肩を震わせて泣くキャセリーヌを毎日必死で宥めた。
流石にお金の使い方にはジークフリードも閉口し、キャセリーヌが勝手に使えないようにしたがそれは使用人たちにも同じであった。
ドリルたちは以前のような贅沢は許されず、給与も減額された。使用人はキャセリーヌの暴力に怯え最初の一年で半数が辞めていった。だが、再就職先がない。
ペンデルトン家から来たとバレると『女主人の言うことに従えない使用人は困るんだ。』と門前払いされる。
彼らはローズにしたことが自分たちに返ってきているのだと俯くしかなかった。
ジークフリードはローズが居なくなってから知ったことが沢山ある。
家の維持費はドリルが握り込んでいたが、帳簿はローズが確認していたため、滅茶苦茶なことには使われずに済んでいたと言うこと。
維持費は伯爵家としては異常に少なかったが、ローズは出入りの業者に支払いを滞ったことは一度もなく信頼されていた。
客用のリネンなどは品質の良いものを揃え、ジークフリードに恥をかかせないようにしてくれていたし、両親が来たときのメニューは二人を思いやった食事で決して手を抜かせなかった。
本来なら洋品店で刺繍がさしてある凝ったカバーなどを使う応接室の布類にはローズが施したレベルの高い刺繍が使われていた。
少しでも安く済むように布だけを準備して、値段が高くなる部分は全て手作業で賄っていたのだと母親は今は居ない嫁を褒めた。
ジークフリードが快適に家で過ごせるように部屋の清掃、片付け、執務室の書類の整理をローズ自らが続けていたことも最近知った。執務室は以前は整然としていた為仕事も捗ったのだ。
ドリルは書類の順番も重要性も何もわかっておらず、『それは前の奥様が勝手にやっていました。』と平気で言ってのけた。
キャセリーヌは入籍の書類が整う前に宝石箱を丸ごと持ち出して姿を眩ました。
使える額が少なすぎると泣き言ばかり言っていたから、次の寄生先を見つけてジークフリードを見限ったのだろう。
夜会に行くにも金が掛かる。
キャセリーヌの散財と養育費の一括払いは資産に大きなダメージを与えた為ジークフリードは自分も以前より我慢を強いられた。
男の服装であるが新しいジャケットやシャツ、タイを用意できずに古い服で皆の前に出るというのは予想以上に精神的苦痛を感じた。
産後にサイズが変わったローズから一度だけドレスを仕立て直したいと懇願されたことがある。
だがジークフリードは『不経済だ。』と一言で断り、サイズの合わないドレスで恥ずかしそうにしている妻を嘲笑っていた。
今なら分かる。
女性が着飾れないなんて本当に苦痛だっただろう。
そして、周囲の目も本当に厳しかっただろう。
前妻の実家はあんなに自分たちに尽くしてくれていた。
キャセリーヌの実家はペンデルトン家に金の無心をするばかりで全く助けてくれない。
嫌われて当然なんだな…
生家を手放すことが決まった後アルフレッドに会いたいと手紙を送ったら返事が届いた。
『貴方に会うと幼少期からの辛い気持ちばかり蘇ってしまう。
いつも腹を空かせていた記憶。お下がりばかりの私服。クラスメイトにバカにされた記憶。母様が宝石を手放しながら苦労していた姿。どれも思い出したくないことばかりだ。
今、僕は毎日清潔なサイズのあった服を着て、愛情深い両親に見守られ、勉強に励めている。
先週は別荘に連れて行ってもらって父親から仔馬をプレゼントされた。
貴方は田舎の別宅に行くのだと手紙に書いていたが、僕はそこに一度も行ったことがない。連れて行ってもらった記憶のない場所のことを言われても何も感じない。
どうかこれ以上母様に迷惑をかけないで欲しい。
アルフレッド 』
自分に似た容姿だと褒められていたアルフレッド。
誕生日に旅行に一緒に行きたいと言っていたのに結局一度もどこにも連れていかなかった。
家族としての楽しい記憶がない自分には最後まで懐いて貰えなかった。
笑顔を向けてくれていた時も多かったが、ローズがきっとアルフレッドに取りなしてくれていたのだと理解する。彼女は父親として至らなかった自分のフォローもしてくれていたのだな……
金が底をついたら爵位も返上になりそうだ。
ジークフリードにはもう流す涙も残っていなかった。
やることやってローズ妊娠…………。
可愛い子供の性別が決まったら番外編を更にアップ予定です。




