第二章 指
「高校生、だよね?」
私が高校生の頃、足繁く通う本屋で突然、女性店員に声をかけられた。女性を認識してはいたが、声をかけられるとは思っていなかったので「はい」と答えるのに随分と時間がかかってしまった。
私は本が好きで、本を買わない時でもこの店につい長居をしてしまっていた。家から最も近くにある本屋は通いやすく、少しでもゆっくりと本を見たかったからいつも学校から帰宅すると目についた服に着替え急いで出かけていた。
もう少し、おしゃれをしてくれば良かった・・・
目の前の店員は美しく、綺麗な顔立ちをしていた。肩まである髪は落ち着きのある栗色で緩やかなパーマがかかっており、編み込んでハーフアップにしていた。店の赤いエプロンを着けた女性からはお育ちの良いお嬢さまの雰囲気が漂っていた。自分の顔を相手に見られる事が恥ずかしくなるくらい完璧で整った人だった。
思わず俯くと、はたきを持ったその女性の手が目に入った。七分丈のカットソーから覗く腕は白く無駄毛一本生えていないきめの細かな肌だった。華奢な手首には細いバングルの腕時計が巻き付き、骨に薄い肉を張ったような指は細さが際立ちとても長く見えた。その指が時折はたきの枝を指先で擦っていた。
「本、好きなの?いつも来てくれるね」
好きだからここに居るんです。いささか間抜けな質問だと感じながら、これが彼女なりのファーストコミュニケーションなのだろうと思った。
「好きです。読む事も見る事も・・・見ていると、良い本に・・・出会いますから」
好みの本を見つける事を「出会い」だと心の中で思っているので口に出してしまったがそんな表現をしている自分を恥ずかしく思った。この女性に笑われてしまわないだろうかと心配になった。
「そうなのね。私に会いに来てくれているのかと思ったわ」
その言葉を聞いた瞬間、私は顔を上げたが時既に遅し。店員は踵を返しバックヤードへ向かって歩いて行った。蝶々結びにされたエプロンの紐が解けそうになっていた。腰から太腿へ垂れ下がる赤い紐が白い脚を伝う血液を連想させた。
彼女は、何を言った?
私が彼女目当てでこの店に来ていると思っていた?
当時の私にはそれが本気とも冗談ともとれずどうしていいか分からなかった。でも、嫌な気持ちにはならなかった。
今度は私から話してみよう。
そう思えるくらい、その女性は私の何かをそそった。・・・違う1番気にかかったのはあの指先の動きだ・・・あの象牙のように白く細い指が肉を啄むように動かす様を想像してしまう。
彼女の指で愛撫を受ける相手が自分と想像しても嫌悪感は全くなかった。あの美しく、おそらく少し冷たい指が自分の身体を、背中を、耳を、全身を這ったら気持ちが良いだろうな・・・と、思った。私はきっと恥ずかしさに塗れながら快感に震えるだろう。
当時の私には男性経験がなかった。でも数多の本を読んでいれば何をどうしてどうなるかは分かっていた。女性同士でそうなる場合もあるという事も。
この人としてみたい。
はたきの枝にはいつもレインボーカラーのストラップがついていた。私に話しかける前、エプロンの紐を緩めているのを目にしていた。声をかけられた後、追いかけて紐を結んであげれば良かったのだろうか。
そうすれば、あの白い指に爪先に触れる事ができただろうか・・・
その時ちょうどさっきの女性がバックヤードから本を持って出てきた。私はすぐに声をかけた。
「今度お茶でもしながら、おすすめの本とか教えて頂きたいのですけど・・・」
我ながら壊滅的な誘い文句だと思ったがこれが精一杯だった。
「いいわよ、急だけど今日もうすぐ終わるからこの後でどうかしら?」
「はい、待ってます」
思わず即答してしまった。
私の中の何かが動き出そうとしていた・・・