召喚者の行方
ホラー作品の応募にテーマが有ったとは。
今回のテーマは「かくれんぼ」らしい。
→(拡大解釈)→見付かったなら何をされるか分からない鬼。或いは、見失ったなら気になって眠る事も出来無い悪魔。
よし、多分OKだ!
そこには白い部屋が在った。
部屋の中で、男が問答を続けていた。
しかし、男の姿は見えない。
声――いや、思念だけが白い部屋に響いている。
『――成る程、現世での私が死の間際に在った事は理解した。だからと言って、そんな人間をどうやって選別しているのかは理解出来ないが、そこはオカルトだと割り切らなければいけないのだろうな』
――ソウダナ……
男の思念に、白い部屋が応えを返す。
そんな遣り取りも、もうそれなりに繰り返されていた。
男がこの空間にやって来た時、初めは白い部屋の中に注連縄が巻かれた岩が一つ鎮座していた。
物語をこよなく愛していた男は、丸で異世界転生における神の間の様だと直感する。
事実、神のイメージを男の中で変えていけば、朧気な老人の姿にもなり、浮遊する光になりとその姿を変えた。
部屋自体も同じく。茶の間にもなれば、雲の上に建つ神殿にもなった。
男自身の姿もまた同じ。
それら全てを只の演出だと割り切った結果が、この何も無い白い空間なのだろう。
そんな男が口にする「割り切らなければいけない」との言葉は、既に確定した事実を思わせた。
『それにしても、召喚とはな。テンプレと言っていいぐらいに使い古された設定の理屈がこれでは、浪漫も何も無くなりそうだ。世界の狭間を落ちてきた落差分強化されるとなると、デブ程強くなる事になる』
――ソウダナ……
『む? ――成る程、与えられる力が強過ぎても耐えられないのか。まぁ、私の贅肉を力に還元するくらいなら大丈夫そうだ。高校、大学とほぼ五十キロジャストだったのが、就職してから増えるばかりでね。落差に加えてその分の三十キロが加われば――お? ほう! 若返りのコストがこんなに安いのなら、併せて十八の頃――いや、召喚先の成人年齢は十五歳なのかい? 少し戻り過ぎだと思うが、成人して村を出た若者とするなら、十五にしておいた方が無難そうだ。
いやいや、保険だよ。召喚主が正義と限らないのは、最近のラノベのお約束だ』
――ソウダナ……
白い部屋が返す応えは唯の一言に思えるのに、そこに幾千の意味が込められているかの様に男は遣り取りを続けていく。
『ほほう――これは召喚主周りの情勢か。何だね、別に召喚に頼らなくとも、自国の兵士を鍛え上げれば対応出来そうなものじゃないか。まぁ、死んでいた筈の身分としては、多少便利に使われたところで気にはしないが……。
そうだな、折角だから今の内に召喚先の情報を精査しておこうか。恐らくこの場で無ければ手に入らない情報は山と有るだろう。
ふふ、肉体の制約もここでは働かず、どれだけ時間を掛けても刹那と言うのは有り難い事だ。何年でも掛けてみたくなるな』
――ソウダナ……
『う~む……剣と魔法の世界でステータスやレベル、それにスキルが有るのか。有り勝ちだな、珍しくも無い。しかし、我が身の事となると丸で訳が分からんぞ?
……まぁ、恐らくはこの部屋と同じで物質だけでは無く概念も世界に影響を及ぼしているのだろうが……。自分の能力を数値や記号で表せられたならと言うのは、誰しも考える事だろうからな。
落差と贅肉分をステータスやスキルに割り当てるとしても、既存のスキルや常識をもっと調べなければ駄目か』
――ソウダナ……
『――ぐっ!? 何だこれは!? 魔物の勢力増大を魔王の所為にしているが、魔族やらは全く関係していないぞ!? 只の周期的な変動では無いか! 召喚の前提がそもそも成り立っていない!
大した情報網が無いなら仕方が無いかも知れないが、それに乗っかる協会も酷いな! 他は大体剣と魔法の世界で考えられそうな常識が通じそうだが、宗教周りは要注意だぞ!
――はぁ、地球でもエクソシスト辺りの映画で思った事だが、子供はブリッジが出来る様になったらそれで動き回れるかを遊びにするし、なんならその状態で階段の上り下りが出来る様になれば自慢する様に親に見せ付けるだろう。そしてそれを恐怖の眼差しで見られたなら、悲鳴を上げて恐怖に泣き叫ぶぞ? 落ち着いて話し掛ければ馬鹿な自慢を語ってくれるだろうにな。
ちょっと考え直さないといけないな。こんな常識が罷り通って、それを教会が支持しているとなると、召喚された勇者なんぞ要らない恨みを買うだけだ』
――ソウダナ……
『ぬぅ~~……どうやら召喚後に身に着ける事が出来そうなのは、既存のスキルぐらいのものか。となると、融通を利かせたスキルが欲しければ、ここで設定するしか無いな。
もしも私が魔族だとすれば、こんな憎むべき召喚は即刻潰すだろうな。となると欲しいのはコンティニュー機能だが……流石に既存のスキルには無いか。周囲のマナを利用した新たなスキルを設定するとして――復活に数十年!? いや、自分の死体を再利用すれば――……それでも数ヶ月掛かるのか。……待てよ? デスペナルティを導入してレベルを一つ下げて復活――ならその場で復活出来るな! 復活までは霊体の状態で待機として、タイミングは復活可能となった時点で任意、復活場所は死んだ場所から視線の通る位置……いや、スキルレベルで距離を伸ばせる様にしよう。序でにスキルレベル分の復活エネルギーも溜めれる様に出来るな。レベルが一の場合も有るからデスペナの有無は選択可。マナが濃い場所ならレベル一でも即座に復活出来そうだ』
そうして男は一つ目のユニークスキルを創り上げる。
『次は――死の危険が無くなったとしても、捕らえられ死なない様に封印されては終わりだ。まずは、個人を特定出来なくさせる擬装系のスキルと、スキル封じなどを防ぐ攪乱系のスキル、囮にも使えて万が一の自決にも使える分身系のスキル。似た物は既存にも有るが、融通が利く様にアレンジしておこう。――復活までの霊体状態が一番の弱点だな。擬装に隠形も組み込む必要が有るか。
だが、これで生存の為のスキルは充分間に合いそうだ。なら次は私が生き易くする為のスキルだが、定番はアイテムボックスと鑑定か……。禁じ手になるが声で何らかの感情を誘発出来れば交渉事には無敵だな。しかし、出来るなら私も潜り込んで拠点と出来る亜空間が良いし、鑑定もここの事を知ってしまえば――』
そして他にもスキルを創り出し、または設定していく。
既に、召喚された先で駆り出されるだろう戦いでは無く、自らの安寧の為に組まれていくスキル達。
長い長い時間が過ぎて、殆どの設定を終えた男は、ふと思い出した様に口にする。
『しかし、曲がり形にも死ぬ筈の運命に先を頂いた者としては、出会う前に見限るのもどうかと思ってしまうな。
――いや、私を選んだのは召喚主では無く、この部屋の主と考えても良いのか?
それなら――ふむ、いやいやここの主も、こんな茶番に付き合わされて、実は辟易としているのでは無いかね?』
――ソウダナ……
『おお! やはりな。それならば私が、主の為にも一肌脱ごうでは無いか』
当然男にも、白い部屋の応える言葉に意味など無いとは既に分かっている。
しかし男は、それはそれとして割り切る事にしたのだった。
~※~※~※~
オセド大陸の東二割を占める、シルワナ聖帝国の首都シルリアロンでは、凡そ五十年振りとなる勇者召喚の秘儀が執り行われようとしていた。
極秘とされている為に首都の様子は見た目普段と変わりが無いが、そろそろ勇者召喚の時期である事は誰もが理解していた為、静かな興奮が街を包んでいた。
それは、道を行く人々が、首都の中心でも一際高い宮殿へと、目を向ける回数となって現れている。
宮殿の窓から見下ろせば、必ず誰かが顔を向けて、期待と不安を顕わにしていた。
「全く以て忌々しい。五十年前に凌げた物で、今危機に陥る訳が無いだろうが」
道理を弁えない民衆に、つい舌打ちが漏らしたのは、宰相ロブル。
勇者召喚反対派の一人である。
「そう言うな、ロブル。お前が防備を固めている事は知っているが、過信は禁物だぞ? 実際お前が町に配備した弩弓とて、レベルを上げた狩人なら容易く切り払うであろう。五十年前の襲撃でその様な強力な魔物が現れなかったのは、単に運が良かったのだと思わねばならぬ。或いは勇者の御蔭だとな」
「猊下こそ心配が過ぎますぞ! 今の鋼剣と較べれば、五十年前の鉄剣は鈍に過ぎず、況してや三百年前の銅剣など角が付いただけの棒の様な物。それでも魔王を斃せるというのなら、既に勇者も無用でしょう!」
「流石に口が過ぎるぞ、ロブル。我が父祖にして六代前の勇者エイホフが偉業まで貶めるならば、流石に儂も擁護出来ん。エブラに見付かれば破門だぞ?」
「……勇者エイホフ以前にも魔物の襲撃有れど、未だ東域が健在である事自体が、魔王の存在を疑わせしめるのです。そもそも勇者達には様々な神が加護を与えてこの地に送り出されて来たと伝えられていますが、かのエイホフに加護を与えた神は酒樽だったと言うでは有りませんか! 酒を神とする者の言葉にどれだけの信が置けるのか、それもまた疑問でしょう!」
「……落ち着け、ロブル。今更お前が何を言ったところで、勇者を召喚する事は変わらんよ。鋼の製造法が分かろうが、誰しもが読み書き出来る様になろうが、勇者の召喚装置を理解出来る者は未だ現れておらん。ならば、示された星の並びの日に、定められた通りに召喚の儀を行うしか無かろう。召喚さえしておけば、お前の言う様にまずは我々の手で対処を試み、勇者を温存する事も出来る」
「その勇者が我らに友好的である保証は何処に有るのですか!!
魔物を悪とする我らの教えに従い、林に巣食った魔物を根絶やしにすれば、その林が枯れ、周りの土地も痩せました。魔王など存在せず、魔物も悪では無く、勇者の召喚も間違いかも知れないという時に、後生大事に誰が言いだしたかも分からない教えを――」
「だが、正しいかも知れない教えだ。お前の言う通りに間違っているかも知れないがな。そして正しくは何も分かっていないと言うのだ。ならば決め付けず、出来る事を全てするのが賢いやり方とは思わないかね?
そしてそんな事は、大きな声で話すものでは無い。そう思わぬか?」
「……いえ、猊下の仰る通りでございます」
こんな会話が出来るのは、聖帝イワンと宰相ロブルの間柄が良好故の事である。しかしもしも僅かでも其の下の者が混じれば目を剥いて驚愕に叫びを上げただろう。況して民衆に至っては、勇者に助けを求めるのは疑う余地も無い事として信じられていたのだった。
やがて時が満ち、勇者が召喚されるその前日となった。
宮殿奥向きの地下に存在する祭壇は、宮殿が建てられるより遥かに昔から存在する、言うなれば古の祭壇だ。
太古の時代と現代との違いは、魔物が大地に溢れているのか否かの違いでも有る。逆に言うならば、元々東海岸の周りを生活圏としていた人類が、内陸へと開拓を進めた結果が今の時代を造っていた。その過程で、宰相ロブスが言う魔物を斃せば自然が痩せ細る現象が確認され、開拓を進めるのも儘ならなくなっているのが現状である。人口から必要な農作物と、土地を維持する森の存在とが拮抗している状態なのだ。
そしてもう一つ。魔物が身近に存在しない環境では、高レベルに到る者が魔境と呼ばれる森に隣接する村々の狩人達に限られていた。
人口は増え、生産系のスキル持ちは多くなったが、レベルは低い。レベルの低さを技術でカバーして、それなりに良い品が出回る様になっているが、太古より伝わる高レベルの生産者が造り出した品は逆に理解も出来なくなっている。物だけ見れば角の付いた棒に見える銅剣でも、雷を纏い一振りで獲物を黒焦げにするとなれば、そこには畏怖しか感じない。しかし、それを宰相の様に、唯の伝説だと軽く見る者も増えていた。
勇者の召喚装置もそれと同じ。使い方は分かっても、理解の出来ない古の産物なのだ。
地下の祭壇は、大広間の中央に迫り出した八角形の台座と、その各辺の外側に並び立つ八本の柱で成り立っている。柱には大きな宝珠が埋め込まれており、これに魔法の源となるマナが蓄えられる様になっていた。
勇者召喚に必要なマナが蓄えられるのが約三十年。凡そ五十年毎に激しくなる魔物の襲撃を考えるなら、充分に余裕が有る。同じく星の並びが揃うのも五十年に一度というのに何処か引っ掛かりを覚えつつも、聖帝という立場からは余り迂闊な事は言えないと聖帝イワンは苦い笑いを浮かべる。
召喚の儀式とは言うが、何の事は無い、この八本の柱に設けられたハンドルを回して、中央の台座に柱から針を伸ばし、台座へと繋げるだけだ。後は装置がやってくれる。魔術師で無くても出来る儀式だ。
儀式の手順は事細かに残されてはいるが、イワンにとっても子供の頃に一回立ち会っただけでしかない。そして、次の機会はイワンでは無く、今回共に祭壇の間へ同行した息子や孫達が執り行う事になるのだろう。
そう思いつつ、イワンは自身が五十年前に曾祖父から教えを受けた様に、孫達へと勇者召喚の仕組みを伝えていく。
序でに宰相ロブルの懸念も自分の言葉として付け加えるのは、ちょっとした配慮だ。そんな言葉を口にするのは、聖帝にしか許されない事だからだ。
「――え? それでは御祖父様は、魔王の討伐は間違っていると仰るのですか?」
「その魔王にしてもな、エイホフの時代より以前の文献には、そんな存在は出て来ないのだ。飽く迄召喚された勇者は魔物の侵攻に対抗する為の護りであり、魔境を抜けて打って出ようなどとはしなかった。魔王などというのは、全てはエイホフの言葉を拠り所にしているのだが……。
さて、エイホフは酒樽を神と崇める勇者だが、お前達はそんな酒飲みの言葉を何処まで信じるのだね?
我々は何処か召喚される勇者は善人に違い無いと信じ切っているが、三百年前の勇者が酒に溺れた壮言大語の持ち主で無いと誰が保証してくれるのかね?
そもそも視界も悪い樹海の中で、恐らくは言葉も通じないだろうに、出会ったその何者かをどうすれば魔王と断じる事が出来るのかね? エイホフの言葉の所為で、その後の勇者は魔境へ遠征に赴くのが当然とされ、帰って来たのは大怪我を負った三代前のシャールだけだ。それでも時間の経過と共に、襲撃は収まっていったのだ。
何れ聖帝を受け継ぐお前達が持っているべき心構えは、帝族は偉大なる勇者の系譜と自惚れる事では無く、酒浸りの法螺吹きの子孫かも知れないとの自責だ。故にこそ、詐欺師の子孫で有ろうと無かろうと、聖帝として認められるべき振る舞いが求められるのだ。儂は聖帝として何一つ羞じる事は無い成果を積み上げてきたと自負している。お前達にその心積もりは有るかな?」
イワンの視界の隅では、宰相ロブルが感極まった表情を浮かべている。
イワンはそれを見て首を振る。ロブルの言葉も少しは取り入れたとしても、伝説の事物を空想と捉えるロブルとは、その認識は懸け離れていたからだ。
「だが、今回も勇者召喚は行わなければならぬ。技術は磨かれてもレベルは低い。鋭い鋼の剣は出回る様になっても、雷を振り撒く銅の剣は既に伝説扱いだ。開拓は進んだが、逆に言えば前線は広がっている。戦いにおいては有り難くない人類側のこれだけの変化に対して、魔物には大きな変化は無いだろう。
前線が広いだけに勇者一人で賄える物でも無いが、それでも勇者は切り札なのだ。極僅かな間に、恐るべき成長を遂げると言われている勇者はな。仮令悪人であったとしても、旨く操ってその気にさせるのが我々の責務なのだ。
まぁ、此度の勇者に遠征はさせない予定だ。無茶な命令で無いなら、説得するにも勝算は高かろうな」
イワンは宰相を含めて皆が考え込むのを見て、僅かに頬を緩めた。
尤も、顔を顰めている者や、顔に出さずとも不満を抱え込んでいる者も少なくない。
しかし、何れも遠征に赴かずとも襲撃を乗り越えられた暁には、きっと考える様に成るに違い無い。盲信は思考の停止。それこそが国を滅びへと向かわせる毒になるだろう。
そこに一石を投じられただけでも、未来は開けていくだろう。
深夜、定められた通りにハンドルが回され、柱と台座が接続されたのを確認した後に、夜番を残して帝族は皆一旦引き上げる。
台座にマナが満ちて勇者が召喚されるのは夜明けだ。
ならばそれまでに出来る事は何も無かった。
夜明け前、お付きの者に起こされた帝族達が、祭壇の間に集まる。
護衛にその三倍の騎士が付き、物々しい雰囲気を醸し出している。
しかし、勇者が召喚される迄にはまだ時間が有る筈だった。
その為、部屋の隅には椅子やテーブル、軽食の類が用意されていたが、そこで聖帝イワンは不機嫌を隠さず顔を顰めていた。
「――ロブスよ、儂は今も狩人を呼び寄せていた方が良かったのではと思っているぞ」
「またその様な事を。猊下には我が国の聖騎士をもっと信用して欲しい物ですぞ?」
「それはお前が現実を理解しておらんからだ。聖騎士達には魔境で修練させると聞いて安心していたが、今日になって付けられたのがずっとシルリアロンに居た騎士団長と来ては呆れるしか無いわ。近場の森は魔境では無いぞ? レベル一でも何とか斃せる程度の魔物を、誰がここまで恐れる物か!」
「さ、流石にそれは考え過ぎで御座いましょう!?」
「そこの騎士よ。先程お前はレベル三だと言っていたな? 今のお前がレベル一の嘗ての仲間を相手にして、一度にどれだけ相手に出来そうか思うところを述べてみよ」
「は! ――恐らくは、二十人を相手にしても負けは無いかと」
「聖騎士団長ジルコよ、レベル六となったお前ならどうだ?」
「ぬ……分かりませぬが、百や二百では相手にもなりそうには無いでしょうな」
「ひ、ひぇ!? そ、それは頼もし――」
「因みにな、森に出る魔物程度では、精々がレベル一桁よ。魔境の魔物はレベル二十から出るぞ? もしもその一頭が抜けてきたならば、このジルコ程度が百人二百人集まろうとも相手にならぬと蹴散らされるであろう。儂とした事が迂闊だった。まずはお前を魔境近くへ放り込んで、現実を見せるべきだった」
「ひぃ!?」
「そして勇者とは前線に行き成り放り込んでも戦果を上げるからこそ勇者なのだ。
――良い、レベル一での常識しか持たぬお前には荷が勝ち過ぎていた様だ。見抜けなんだ儂の責だな。しかし平時ならば兎も角、魔境との戦いとなるこれからの世には害悪となるだろう。前線を知る者を補佐に付けなくば、お前には宰相を外れて貰うぞ?
……これでは聖騎士も護衛たり得ん。数名を残して下がらせよ。
女子供も下がらせたいが――キリルよ、次の召喚はお前の仕事だ。残れるか?」
「は、はい! 御祖父様!」
「良し。ならば他は下がれ。――いや、案内が必要となればメイドの二人は必要か。肝が据わった者を寄越す様に伝えよ。食い物の匂いがするのも失礼だ。下げよ。そして全員扉側に寄り、直ぐ逃げられる様に扉は開けておけ!」
「「「は!」」」
この時聖帝イワンは、召喚の直前という時に思いも掛けない状況を聞いた事から、慎重過ぎる程の指示を出した。
時間が過ぎ落ち着いてくると、焦り過ぎたかと我に返ったが、出した指示は取り消さずにじっとその時を待っていた。
イワン自身も、その遣り過ぎな警戒が功を奏するとは全く考えていなかった。
しかし――
召喚のその瞬間は、見た目にもはっきりとして分かり易かった。
イワン自身が五十年前に見たのと同じく、祭壇の台座が眩い光を放ち、そして光が落ち着いた時には台座の中央に一人の男が倒れていた。
俯せで倒れている事を除いても、奇妙に印象が捉え難い。
そして動かない。紅茶が冷める程の時間が過ぎたのに、男は倒れたままだった。
「おい、娘よ。何か目覚めの歌でも歌わぬか?」
「え? え? ええ!?」
酷い無茶振りだったが、頬を赤く染めたメイドは頑張った。
「――張り詰めた~空気~♪ 川面に浮かぶ~霧~♪ 差し込む~朝~日~♪ 目覚める~街並み~♪」
頑張るメイドの歌声が響く中で、変化は起きた。
ゴロリと転がり仰向けになった男。
ぐぐっと仰け反る様に体が持ち上げられていく。
その過程で、見開かれた男の目を見たイワンは、訝し気に眉を顰めた。
虚ろに濁って空洞の様なその眼には、不安しか感じない。
同じ事を聖騎士団長のジルコも感じたのだろう。さっと前にイワン達を庇う位置に出る。
メイド達が既にじりじりと後退する中、仰向けながら四つ足で立ち上がったその奇妙な何かは、世界の全てを穢すかの様な叫声を上げた。
「キィヤァアアアアアアアアア!!!!」
喩えるなら、硝子を何百ものナイフで引っ掻いた様な不快感と、腹の底からせり上がってくる様な恐怖の叫び。
実際にメイド達は頽れて口を押さえ、帝孫のキリルは瞳孔を開いて痙攣し、イワン自身もキリルを抱き寄せる以外には動けなかった。
しかしそこは流石の聖騎士と言うべきか。
聖騎士団長ジルコは聖帝と帝孫、そして宰相の三人を纏めて担いで部屋の外へと撤退し、もう一人の騎士が二人のメイドを引き摺って部屋を後にする。
残った一人の騎士は前に出て、丸で初めからそんな生き物で有るかの様に仰向けの四つ足で突進してきたその生き物を、盾でもって抑えていた。
「キィシァアアアアアアアアア!!!!」
そして一度は盾で押し返したその騎士は、再び向かって来た忌まわしい生き物が騎士に飛び掛かりながら穢れた叫びを上げた事で、思わず反射的に手に持つ槍を突き出してしまっていた。
槍は見事に首元から入って、脇腹へと貫いている。
貫かれた生き物が、待ち望んだ勇者である事は理解していても、誰も言葉を発せ無かった。
その時、槍を突き出した騎士の体勢が不意に揺らぐ。
貫いていた筈の死体が血も残さずに唐突に消えたからだ。
思わず動揺して素早く辺りを見回した騎士は、タパパと肩に落ちてきた水滴へと首を向ける。
「アダー!! 上だっ!!」
アダーと呼ばれた騎士がその言葉に上を向いた時には、柱の一つに逆しまに貼り付いていた涎を垂らしていた生き物が、牙を剥きながら騎士へと向かって落ちてくるところだった。
「ぅ……ぁああ!!」
何とか盾を割り込ませた騎士が、その生き物を押し退ける。
首が折れたらしい生き物が、床を跳ねる。
生き物の姿が忽然と消える。
すると台座の向こうから、死んだ筈の生き物が仰向けの四つ足で台座に這い上ってきた。
しかも、一体、二体、三体と数を増やして。
「アダー!! こっちだ!! 撤退しろ!!」
顔を引き攣らせていたアダーが、はっと気を取り戻して踵を返した。
しかしその横合いから飛び掛かる生き物に、到頭押し倒されてしまう。
「くっ、アダー、待っていろ!」
両外開きの扉の片側は既に閉じられ、開いたもう片側から部屋の中に飛び込んだジルコは、左右と上から間断なく襲い掛かる何体もの生き物に押され、撤退を余儀無くされる。
一旦閉じられた扉を睨み付けながら、増援を叫んだ聖騎士団長ジルコは、待機していた他の五人の騎士が集まるのを待って、数十秒と空けずに再び部屋の中へと突撃した。
「うおおおお!! アダーを救えーーー!!!」
「「「「「おおーーー!!」」」」」
騎士団長を先頭に雪崩れ込んだ騎士達は、しかし十秒と置かずに部屋の中から撤退する。
気合いを漲らせていたその様子を、張り付いた恐怖へと変えて。
必死の形相の聖騎士団長達によって扉が閉じられる直前に見えた部屋の中には、仰向けの四つ足で迫る生き物達の中に、同じく仰向けの四つ足となった騎士アダーの姿が見えた。
そして扉が閉まると同時に、内側から扉を叩く重い音が響いた。
「ぐ……閂だ! 早く閂を!!」
ここに到るまで逃げる事も出来ず状況を追うばかりだった聖帝と宰相が、漸く再起動を果たして担ぎ上げた閂を扉に渡す。
一本目、そして二本目。
そこで漸くジルコが扉から離れるが、内側から叩く音は止まずに続いていた。
「お前達は工作班を呼んでこい!! 扉を押さえる物を忘れるな!!
――猊下達は避難願います」
指示を受けて六人の騎士達がその場から駆け出そうとした時、扉を叩く音がぴたりと止んだ。
そして扉の内側から声が聞こえてくる。
『もう大丈夫だ……敵は居なくなった……開けてくれ……』
体中を虫が這いずる様な声だ。開けられる筈が無い。
「い、行け! 早く増援を呼んでこい!」
慌てて駆け出す騎士達。
聖帝や宰相、メイド達も避難する事となった。
工作班が来て扉を押さえる突っ支え棒を据え付ける間にも、部屋の中からの声は続いていたが、一日が過ぎた時にその様子が変わった。
『団長! ジルコ団長! 聞こえますか! もう化け物は居ません! いえ、消えました! この部屋の中に居ないんです! もしかしたら、もう部屋の外に出ているのかも! 団長! 扉を開けて下さい! 団長!!』
話を聞いて駆け付けた聖騎士団長ジルコは、ぎりっと歯を食い縛る。
しかし、ジルコ達は既に変わり果てたアダーの姿を見ているのだ。
扉は開ける事が出来無い。
「……忌々しい化け物め!!」
「ですが……団長……」
「…………壁に穴を開けろ。鏡を組み合わせて部屋の中を探れ」
「!! はっ!」
せめて部屋の中の様子が確認出来ればとの指示も、恐ろしい程に難航した。
伝説の時代に造られた高レベルの石壁に、鋼で造られた低レベルの鑿は歯が立たなかった。
それでも何とか八日を掛けて指一本通る穴を通し、鏡とレンズを組み合わせた道具で彼らが目にしたのは、一人扉に背中を預けて動かない騎士の姿だけだった。
部屋を塞いでいた道具を取り除いていく間も部屋の中の観察は続けられ、万全の態勢で扉が開けられた時、既に力尽きていたアダーの体が部屋の外へと倒れ出る。
一切の油断無く拘束されたアダーの体は監視下に置かれ、しかし部屋の中に踏み入った騎士達はアダーの他に何の痕跡も見付ける事が出来無かった。
ただ一つ、アダーの体の直ぐ脇に残されていた血文字の他には。
“化け物は放たれた”
地下に有る祭壇の間には、入り口の扉の他には出口は無い。換気口すらも無い。
「何処だ!! 何処に隠れている!!」
聖騎士団長ジルコが声を張り上げても、丸で初めから何も無かったかの様に凡ゆる痕跡が消えていた。
姿を隠した化け物は何処に居るのか。もしやまだこの宮殿の中に隠れているのでは無いのか。
祭壇の間においても台座と柱の接続は切り離され、柱に埋め込まれた宝珠は引き攣る表情で砕かれた。
係わる者達の間に深い深い恐怖を刻み込みながらも、シルワナ聖帝国は勇者の居ない時代へと否応無く舵を切る事となる。
厳しい時代が始まろうとしていた。
お題チェック!
「ホラー」
・全部召喚者の仕込み→法螺~→よしOK!
・そもそもの聖帝国の状況がエイホフの→法螺~→よしOK!
・登場人物は怖がってるっぽい→ホラー→よしOK!
「かくれんぼ」
・最終的には何かそんな状況だ!→よしOK!
ホラーな状況を理不尽では無く理屈で整えると、こんなんになった。
難しいねホラー。企画が終了したらこっそりハイファンタジーにジャンル変更されてるかも?