自然の摂理
「ルーさん、今、馬が悲鳴を上げなかった!?」
いざ駆け足と思ったのですが、お向かいのジャニスさんも、扉から顔だけですが外の様子を伺っておられたようで、私に尋ねます。
「きっと魔物ですね。明日は肉パーティですよ!」
「えっ! ルーさん、何を言ってるのよ! 早く家の中に! きっと馬を食べるだけで帰ってくれるから!」
その発言の直後、悲鳴のような鋭い馬の嘶きが再び響きまして、ジャニスさんは慌てて家の中へと戻られました。私も現場へ急ぎます。
廃屋を改築した馬小屋に到着した時には、既に遅くて、数匹の魔獣が倒れた馬を囲んでお食事をされていました。
黒い毛並みの犬型の獣。今までに見たことのないサイズでして、肩の高さは私の背丈ほどあります。それが沢山いるのですから、当分はお肉に困ることは無さそうです。
月の光を受けて光る獣の眼がこちらを睨みます。一匹は鋭い牙を見せつけるように口を開けました。馬の血と思われる赤い液体が糸を引きます。
全く……所詮は獣ですね。
人間様がそんなもので怯むはずが無いのです。
隙を見せた魔物に対して私は距離を詰めていて、その犬の側頭部に肘が隠れるくらいに拳をめり込ませて倒します。更に間髪いれず、そのお隣の犬にも高くから振り落とした踵を入れて、延髄を叩き切りました。
軍服と違って下がスカートですので全力ではないのですが、呆気ないものです。
ただ、更にもう一匹仕留めようとしたところで、残りは「キャキャン」と高い鳴き声を上げて去ってしまいました。
私としては2匹でも当面の食べ物としては充分だと思いましたので、追うことは致しません。
それよりも優先すべき事があります。小屋にいた馬は2頭とも死んでしまいました。今までありがとうございました、と私は短い別れの挨拶を心の中で伝えます。
しかし、このままだと馬とよく遊んでいたメリナが悲しむかもしれません。うーん、自然の摂理を知って欲しい気持ちもありますが、少し早いかなぁ。仲良しだった馬を食卓に並べたら寝込んでしまいそうですし。よし、今回は屍体を隠しますか。
埋めるための穴を掘っている最中に、篝火を持った村の人がやって来ました。
「ルーさん! ルーさん! 無事だったの!?」
ジャニスさんです。彼女の旦那と共に現れました。犬を警戒して体を寄せ合いながら向かってくる2人は仲睦まじい様子で少し羨ましいです。
たまには私も夫に庇われたいと思いました。
「うわっ! 血まみれじゃないか!」
「そうですね。お恥ずかしいです。少し返り血を浴びてしまいました。まだ未熟者ですので」
「……軍隊の人ってのは本当に強いんだなぁ」
「えぇ、村の守り神みたい」
「ロイとルーさんが来てから、暮らしやすくなったものなぁ。でも、ルーさん、もう家に帰ろうか。娘さんの咳が何回も聞こえたんだ」
それは大変です!
もう時間がないので、馬は埋めずに足を掴んで森の方へ投げ飛ばしました。
「何、今の? 俺、夢を見ているのかな。死んでた馬が飛んだ……」
「……ルーさん、本当に凄いね。今のも魔法……?」
「すみません! 娘の様子を見に行きますので、お先に失礼します!」
「ごめんなさい、あなた!」
「あぁ、ルー。大丈夫だよ。まずは君の着替えからかな」
ランプの薄暗い揺れる光の下、苦しそうに咳き込む娘は上体を起こしていて、その背中を夫が優しく擦っていました。
サルマさんに教えて頂いた薬草を煎じた咳止めを飲ますと、メリナは穏やかな寝息に戻って眠ってくれました。私は彼女の汗で濡れた黒い前髪を整えてあげます。
「魔法で病気は治らないものなのかな」
後ろから夫が尋ねてきました。
「軍の先輩は治るものと治らないものがあるって言っていたわ」
メリナの咳と熱は治らない方。色々と試して、そう判断しています。
「そっかぁ。ままならないものだね、人生は」
翌朝、村の人たちが小屋に集まっていました。私が打ち倒した犬を見ての騒ぎです。後始末しておらず、申し訳ないです。
「ルーがやったんだって?」
「すみません。娘が熱を出したのでそのままにしてしまいました。血抜き、腸抜きしないと美味しくないんですよね?」
「……暢気だねぇ、あんたは」
「これ、鎧狼だろ? 鍬も弾くくらいに堅いんだぞ。どうやって殺したんだ」
「カー、軍人ってのは本当に強いんだな。俺の息子も街に出して鍛えて貰うか」
「はいはい。あとは、私達で解体するから、男衆は畑仕事だよ」
私は死んだお馬さんの供養を皆に申し出ました。盗賊さんに頂いてから、この村までの長い道程でお世話になった2頭でしたから、ちゃんとお別れをしないといけないと思ったからです。
それから、昨晩は放り投げてすみませんと心の中でお馬さんに謝りました。
私達家族3人は村外れに彼らを埋めます。墓標として大きめの石も置きました。意外なことに、メリナは馬の死骸を見ても特段驚いた様子もなく淡々としていました。
「お馬さん、死んじゃったねー」
「そうだね、メリナ」
「あの馬たちもあの世で元気にしているさ」
「メリナも死んだら、あの世で元気になれるー?」
「死ななくてもメリナは元気になるよ。ママもパパも付いていますからね」
「ママみたいに強くなりたいなー」
「ハハハ、あんなに強くなったら、パパは肩身が狭くなるなぁ」
「そんな大したことないですって。でも、メリナ、死んだお馬さんを見ても怖くないの?」
もしかしたら悲しみで、そんな感情が出てこなかったのかもしれませんね。
「ううん。前は怖かったけど、慣れたー」
「……あれだ、ルー。ここに来るまでに、いっぱい魔物を殺したろ。僕も血だとか脂だとかその他の液体だとか、とても見慣れてるよ。さっきの馬くらいの傷なら、正直、マシな方だと思ったくらい」
……犬が獲物を噛み千切るよりも私の戦い方が荒いという指摘でしょうか。
夫にそんな風に思われるとはショックです。元軍人のプライドに掛けて、一層精進しないといけませんね。
「ママが『フンッ』って言うだけで、頭とかお腹が吹き飛ぶのー」
「ほら、メリナは平気だよ。平気で良いのかとも思うけど」
その日の夜、野犬達の遠吠えが激しく、メリナが怯えて、なかなか寝ませんでした。
なので、私は村の外へ出向き、群れを駆逐しました。もしかして、多数ならば私に勝てると思い違いをしていたでしょうか。知恵の浅い獣ならではの愚かさです。
全て逃さず、殲滅致しました。
夫のコメントに奮起していた私は、掌底から衝撃波を出して体内を破壊する技を新しく編み出したので、犬が死んでいる姿もまるで寝ているかのようですし、返り血で服を汚すこともありませんでした。