反乱の知らせ
森の神様が居なくなっても森の瘴気は残っています。妙に事物に詳しいパウスさんが言うには、瘴気は地から湧き出る魔力の一つであって、精霊たちはそれを食ったり操作して生活しているのだそうです。人間の様な生物とは全く違う存在の精霊なのですが、それでも彼らにも生活があるって言うのは面白いと思いました。
今日は雨です。王都で魔族に折られた右腕が少し疼きます。
私の変化に敏感な夫はそれを知っているのか、こんな日は私の代わりにお茶を淹れてくれました。
「ルー、君はもう森に入らないんだね?」
「えぇ。目的は達しましたし」
外を行軍するカッヘルさん達の音が聞こえての質問だったのだと思います。彼らは軍人ですので、悪天候であっても訓練をします。
ナトン君も農作業のない雨の日は修行だと言って、彼らに加わっていまして、私としてはお嫁さんのアニーさんのご機嫌を取るべきじゃないかなとか心配になります。
ナタリアは隣で本を読んでいます。
アデリーナさんとの旅は彼女に良い刺激を与えたようで、早く1人前になるために魔法を覚えるんだと熱心に語ってくれた事も有りました。
村から若者が減るのは寂しいことですが、レオン君含め、旅立とうとする者を止める権利は親にはありません。むしろ気兼ねなく巣立てるように育てるのが親の責務だと思っています。
のんびりとした雰囲気の中、私も久々に魔法大全を読もうと壁に向かいます。
蔵書が増え過ぎて床が抜けてしまったので、夫が改修したんですよね。今では壁一面が本棚になっているのです。
私の動きに夫が緊張しているのが分かりまして、恐らく、この本棚の中には不埒な書籍が隠されているのでしょう。
しかし、今日は黙っていてあげましょう。ナタリアの教育に悪いような気がしますが、何だかんだでメリナも立派に成長しましたし。
「あっ」
「どうした!? どうした、ルー!! その本棚の右上段は怪しくないぞ!」
なるほど、そこに有ったか……。やっぱり、今晩、焼き捨てておきますね。
「いえ、アデリーナさんとイルゼさんが来られました」
「私、お迎えに行ってきます!」
アデリーナさんに懐いているナタリアが雨にも関わらず、急いで出ていきました。玄関に置いていた新品の傘を持っていった様ですね。
ナタリアの案内で彼女らは私の家にやって来ました。ナタリアは甲斐甲斐しく、タオルを出して濡れたアデリーナさんの服を拭いたり、椅子を引いたり、お茶菓子を持ってきたりとお世話をしていました。
全員が着席したところで、ゆっくりとアデリーナさんが私達夫婦に対して口を開きます。
「突然、すみませんね」
まずは謝罪。それからアデリーナさんが切り出します。
「このイルゼが愉快な事を申したものですから、お二人にも聞いて頂きたくお訪ね致しました」
「はぁ……」
戸惑いながら夫が軽く相づちを打ちます。
「メリナさんが王国に反乱を起こしました」
「メリナが……ですか?」
夫は信じられないという様子で聞き返します。
「はい。留学先の諸国連邦をまとめ上げたメリナさんは王国の一都市であるデュランとともに宣戦布告をされました。神聖メリナ王国の立国宣言と共に」
……神聖メリナ王国……。
頭が痛くなりそうです。娘が祖国に楯突こうとしているだけでなく、何とおバカな国名を付けているのかと。
普通、そういう時は姓の方を使うのが一般的だと思うのです。王国だって、他国からはブラナン王国と王家の姓でもって呼ばれているんですよ。
あー、メリナは姓を持たない庶民だから、そんな名前になったのかなぁ。それにしても酷いネーミングセンスです。
「メリナは何を考えているんだ……」
夫の声が震えます。その感情は理解します。
おバカな国名は笑い話にでも出来ますが、真面目に考えれば、驚くのはそこではない。
私たちは首になったとは言え、国のために貢献する公僕だったのです。誇りを持って仕事をしていました。
なのに、娘が反逆者の首領になるなんて。
これも森の神様の呪いなのでしょうか。
「あの娘、頭が悪いから、きっと自分が何をしているのか分かってないのよ」
「あぁ、でも、でもな。村を出てから一年足らずで、国を作るだなんてメリナは凄いんじゃないか。ほら、バカと天才は紙一重って言うものなぁ。誉めてやっても良いんじゃないかと思ってはどうだろうか」
「何を言ってるんですか! 自分の事を神聖って、おバカに決まっています! メリナは何様のつもりなの」
私の返し言葉に反応したのは夫でなく、それまで静かにしていたイルゼさんでした。
「メリナ様は神聖ですわよ。絶対不可侵の存在で御座います。だから、神聖メリナ王国は極めて真っ当な国名です。我がデュランはメリナ正教の下、より良い発展を目指すことが決定しております」
……あん? 小わっぱが何て言った?
あっ、ダメダメ。思考が汚くなったわね。
一つ息を吐き出して、落ち着かなきゃ。
「ふぅ……。さっき、デュランは諸国連邦と組んだってアデリーナさんは言ったわよね。もしかして、イルゼさん、あなたも王国の敵かな?」
「聖母様、これからの世界は『王国』とはメリナ正教を国教とする神聖メリナ王国を示す言葉になりますわ。だから、私は王国の支持者にして庇護者です」
こいつか。こいつがメリナを利用しているのか?
「イルゼ、ここまでで結構です。デュランにお戻りなさい」
「はい。では、アデリーナ様、戦場で合間見えましょう」
朗らかにイルゼさんが言い終えると、座ったままの状態だったのに姿を消しました。いつ見ても見事な転移魔法です。
でも、イルゼさんと来たということは、アデリーナさんも私達の王国の敵なのでしょうか。
「うふふ、そう睨まないでください。立場上、私はメリナさんを迎え撃たないとなりません。困ったものです」
そう言うアデリーナさんはいつもの澄まし顔でした。そっか、聖女であるイルゼさんを尊重して血祭りに上げなかった訳ですね。イルゼさんより遥かにお強いですが、アデリーナさんは竜巫女ですから、そんな野蛮な事はできないとも考えられます。
「アデリーナさん、私がメリナを止めるわ。いいわね、あなた?」
メリナのせいで戦争が起こり、何人もの不幸な方が出るのは何としても阻止しないといけません。
「あぁ、ルーに任せるよ。でも……メリナが殺されそうになっていたら、ルーが守ってやって欲しい」
「……勿論よ」
夫の娘への愛の深さを知りました。それは私も一緒です。娘の命が危なくなるのなら、それが国に背くことになるのだとしても、苦悶の末に私もメリナを選ぶでしょう。
「ありがとうございます、ルーさん。私の最大の懸念は貴女の動向だったのですが、カッヘルとともに戦場に赴いて頂けるとのこと、大変に感謝致します」
「えぇ、アデリーナさん、とりあえずは、あのバカ娘を殴って躾し直すつもりだから。本当に迷惑を掛けて、ごめんね」
「いえいえ、想定の範囲内で御座いますから構いませんよ。むしろ楽しみで御座います」
ナタリアに家事の面倒が増えることを詫びてから、私は旅の準備に入りました。