娘の帰還
夫が帰ってきたのは、メリナを送ってから4日後でした。娘可愛さに、てっきり私との約束を無視してシャールまで送ると思っていたのに律儀な人です。
早速、森で出会った精霊と彼らの世界について、何か知っていないか尋ねました。
「裏の世界ってのが分からないなぁ。存在次元を上げるとか、ちょっと人間には理解できないから、無視して良いんじゃない。精霊界が実在したくらいで」
「あなたがそう言うなら、そう思うわ」
「精霊に届く言葉ってのは、精霊語かな」
「何それ?」
「魔法の発動方法は幾つかあるけど、詠唱と無詠唱に分けることが出来るよね。ルーやメリナは無詠唱。でも、多くの人は『我は願う。紺碧の砂粒を埋めたる蠻夷なる白鼠へ。何たらかんたら』みたいに詠唱するよね」
「詠唱句、面倒よね」
「……無詠唱発動っておかしいレベルで高度なんだからね……。いや、それは良いや。詠唱を更に人語と精霊語に分けられるんだって。人語発動も何を意味してるのか分からないレベルだけど」
「あなたは本当に何でも知ってるのね」
「精霊語による魔法発動は直接的に精霊に語るから、魔法の精度も威力も術者が願った通りになるんだって。でも、それが出来た人は過去に3人しか確認されてないって」
「ふーん。あなた、魔法学校には通ってないでしょ。どこで知ったの?」
「そこの魔法大全に載ってたよ」
あら、私の本じゃない。こんな面白くない本も読むなんて、どれだけ勉強家なのかしら。
「普通に喋った感じだったけどなぁ。やってみようか?」
実は既に昨日、精霊球を使ってカーフエネルリツィに話し掛けています。少し声が遠かったけど、会話は可能でした。なお、森の神様は隠れたままでまだ見えないと残念な結果に終わっています。
「お願いするよ」
『分かった。どう? 私、精霊語を喋っているかしら?』
「……凄いね。もう僕の理解範囲を越えているよ。王国語にない母音と子音も聞こえたから、精霊語なんだろうね」
実感ないんだよねぇ。夫が言うなら、そうなんでしょうけど。
メリナがシャールに行ってから10日。
ふとした瞬間にメリナを思い出し、特に2人分しか料理を用意しなくて良いと考える時が最も寂しく感じます。
丁度、朝食を終えて、食器をガシャガシャ洗っている時でした。夫は農作業に出掛けています。
突然、神様の森で膨大な魔力が噴出したことを察知しました。
メリナと同じように真っ黒い魔力。巫女のお婆さんが魔族の魔力は黒いという言葉を思い返します。
敵襲。しかも、森の神様よりも遥かに強そう。散乱した魔力が森全体を覆い、私が魔力で敵の居所を探ることを妨げます。
私は外へと出ました。
「メリナの母ちゃん、どこに行くんだよ?」
「森よ。レオン君は?」
「小川。魚を捕るんだ」
良かった。逆方向。
安心しながら私はレオン君と別れて、魔力が暴れ続けている森に向かいました。
木陰の裏に隠れます。この先は地面が一本道に抉れており、その上にあった草や木々も消滅しておりました。非常な異変です。
魔族とやるのは王都の情報局から飛び出してきた女性以来になります。あの時は勝ちましたが、強かったのを思い出します。また、全く罪のない通り掛かりの母子が犠牲になったことも覚えています。村の皆が危ない。
殺るなら一撃。村には近付かせない。
激しい唸り声もたまに聞こえてきまして、魔族でなくパワータイプの魔物の可能性も有りますね。そうであれば、知能は低いので、殺りやすくはあります。
私は魔力を練って、敵が出現次第に殴り付けるつもりでした。
「あら、メリナ?」
近付いて来るにつれ接近する魔力が見え出して、何だかメリナに似ているとは思っていました。
で、実際に彼女でした。まだシャールに向かって間もないのですが、もうクビになったのでしょうか。
「何をしているの、こんな所で?」
「仕事で立ち寄ったのよ。でも、すぐにラナイ村に戻らないといけないかな」
良かった。お仕事だったのですね。
顔に焦りとかは無かったから、嘘でも無さそうだし。
次に、私は2つ目の質問をします。
「その子は?」
メリナは童女を背負っていました。その子の意識はないようで、精気のない顔でグッタリしています。
「ラナイ村の村長のとこの奴隷さんです」
あら、返答が敬語。私は母親なのに敬語。
神殿でしっかりと礼儀を学んでいるのね。
頑張っているのが分かるわよ、メリナ!
了解しました。ならば、母は貴女を全力で助けましょう。
「まぁ、顔が白いわ。とても怖い目に逢ったみたいね。早くお家で寝かせてあげないと」
謎の女の子は二階にあるメリナが使っていたベッドで寝かせ、メリナは一階のダイニングのテーブルに座らせています。
夫は悔しがるかもしれませんね。メリナが戻ってきていることを知ったら。でも、彼女には時間が無いそうなので、まずは事情を聞くことにしました。
落ち着かせる意味で、私はお茶をメリナに出します。
他愛ない会話をしていると、娘が思い出したようにお土産を渡してきました。
大変に嬉しいです。娘が成長していることを強く実感することが出来ました。
「まぁ、美味しそう。メリナも大きくなったものね、ありがとう。近所にもお裾分けするね」
ここに来るまでに中身が散々になっています。でも、そんなことは関係ありません。娘が自分で稼いだお金で親の為に何かを買ってくれた事実が、私を幸せにしました。
「お仕事、大変そうね」
シャール側の隣村へメリナは用事が有って来たそうです。そして、今からすぐに戻らないといけないと言います。だから、私は労りの言葉を掛けたつもりでした。
しかし、少しバツの悪そうな顔をしたのに気付きました。……仕事が大変じゃないってことかな。もしくは、サボっているか……。
「そうだ。ノノン村に竜の巫女さんは来てない? ラナイ村の村長が言っていたんだけど」
話題を変えて来たのは怪しいですよ、メリナ。でも、良いでしょう。聞かないで上げるのも母の愛です。
ラナイ村はシャール側の隣村の村名だったかな。
「来てないわね。巫女さんが道を歩いていたら、村の人間も気付くでしょうね」
メリナが持ってきたお土産のお菓子を一つ、口にします。
まぁ、お上品な味ね。王都以外でもこんなに美味しいお菓子が作られているんだ。
「ノノン村って、元奴隷の人が作ったの?」
こんな質問も受けました。
答えは、たぶん、そう。でも、シャールでもそんな認識なのか。メリナには辛い思いをさせたかもしれません。
「最初に開拓した人たちはそうかな。よく知っているわね」
「それもラナイ村の村長が言ってた。……お母さんも元奴隷?」
「違うわよ。私はメリナを育てるために、ここに来たの」
笑って誤魔化しましたが、借金の件は意図的に伝えませんでした。
そして、話を変えるのに都合良く、二階の娘さんが目覚めた事を魔力の動きで知ります。
「あっ、起きたわね。ちょっと見てくるね」
怪我はしていない様子でしたので、下に連れてきました。足取りはしっかりとしているから疲労もなさそうね。名前を訊いたら、ナタリアと怯えた口調で答えてくれました。
「この子を預かっていればいいの?」
メリナが奴隷奪取という大罪を犯した理由は分かりません。でも、そんな理由は関係ありません。このノノン村まで連れてきたのだから、私に頼みたい用件は分かっていました。
「ナタリアちゃん、ごめんなさいね。メリナが無茶したんでしょ」
「ここは……メリナ、さんのお家?」
キレイな声。年頃はレオン君くらいかな。
「そうよ。当分はあなたのお家でもあるのよ」
レオン君もメリナに代わる友達として喜ぶでしょう。
その後、メリナからナタリアの奴隷としての所有者であるラナイ村の村長から虐待を受けていることを知らされます。
こんな幼い子供になんて事を……。
私は煮えたぎる怒りを面に出さず、メリナに言います。
「メリナ、任せたからね」
「はい!」
気合い良く返事を貰いました。ならば、即行で悪党を倒さないといけませんね。移動時間も勿体無い。
ここは、あの精霊に依頼すべきでしょう。森の神様と同じ精霊ならば、転移魔法もどうにかしてくれるはず。
不安な顔をするナタリアを置いていくのは忍びなくて、一緒に精霊球のある場所へと向かいます。その道中、レオン君と出会いました。
メリナは手を上げて「よぉ」と粗忽な挨拶を彼にします。
レオン君も軽く返し、予想外に早く帰ってきたメリナに「クビになったのか?」と辛辣な言葉を吐きましたが、今は先を急ぐ必要が有ります。
ナタリアをレオン君に預けて、私はメリナと目的の場所へと足を速めたのでした。
古い横開きの木戸をノックして、床を足で鳴らして合図をします。
「なんだ、ルーかい?」
この精霊球、村の命綱となっていますので、村の方々で守り番をしています。今日の当番はサルマ婆さん。
「異常はないよ」
「ええ。ちょっとお願いしたいのよ。少しだけ魔力を使いたいのだけど、いけます?」
1度に使い過ぎると効果が薄くなることが分かっておりまして、無断使用を見張るための守り番です。
でも、今日に限り、私の独断での使用を認めて欲しいのです。
「……あんたが言うんだったら必要なんだろ? いいよ。……って、メリナもかい?」
「お久しぶりです」
ここは大人だけの秘密の空間。メリナを連れてきたことを咎められるかもと思いましたが、そんな事はありませんでした。
「シャールに行ったもんだと思っていたよ」
メリナを大人の一員として認めて下さったみたいです。梯子を降りてくるように手招きをしてくれました。
「で、何に使うんだい?」
サルマ婆さんの問いに、私は転送魔法を使うと伝えました。婆さんに驚きはなく、淡々と魔力が勿体無いねぇと呟くくらいでした。
さてと、またお別れね、メリナ。
「メリナは頭が悪いから、先に言っておくわね」
あー、また失敗した。
優しく言いたいのに。
でも、言い直すのはサルマ婆さんがいるから気恥ずかしい。いいや、このまま続けちゃえ。
「この魔力は危険だから、絶対に触ってはダメよ。あなた、興味本意で変な事ばかりするのだから。もしも使いたくなったら、お母さんに相談しなさい。分かった?」
メリナは黙って首肯く。
強めに嘘も交えてでも言っておかないと、この娘は突発的におかしな事をするかもしれませんからね。
「では、ラナイ村に行ってらっしゃい」
「うん。今度来るときはお父さんにも会いたいな」
「そうだね。楽しみにしているよ」
何年後になるかは知りませんが、お父さんも喜ぶと思うよ。
『カーフエネルリツィ、聞こえる? 転送魔法をお願いしたいの。ラナイ村の近くに竜の巫女さんがいない? そこまで、私の娘のメリナを移動させて欲しい。出来る?』
私は精霊語で語り掛けます。
『勿論だよ。でも、どの人だろう。竜の巫女がいっぱいいるよ』
では、一番年寄りの所へ。その年配の方はフローレンスさんかもしれないから。
でも、一応、娘に確認するから待って。
精霊語の状態を維持しつつ、人間の言葉を喋るのは難しい。うまくしないとカーフエネルリツィとの会話が途切れる予感がしたのです。だから、メリナには出来るだけ要点だけ。
「ラナイ村の近くの森に竜の巫女さんがいるわね。そこに移すよ?」
「よろしく。ありがとう」
オッケー。
「頑張ってね」
メリナへ応援を伝え終え、私はカーフエネルリツィにお願いする。
『そこで良いって。超特急でお願いするわ』
『分かったよ』
術式が発動。魔力がメリナを覆う。
そして、娘は一言。
「ガァナマナ」
……はぁ!?
何とかにっこり笑ってあげましたが、うちの娘は謎の言葉を発した直後に消えました。
「サルマ婆さん、うちのメリナ、何て言ったか分かる?」
「さぁのぉ。元気そうで何よりじゃ」
いやまぁ、そうですけど……。普通は「さよなら」とか「またね」じゃないかな。シャールの流行語かな。