娘の旅立ち
今日はメリナが旅立つ日です。
竜の巫女のお婆さんが紹介状をくれてから数ヶ月、メリナは15歳を過ぎました。
夫も私もこの年齢で将来の職を決めました。王都の高等教育がそういうシステムだからという理由もあっての事なのですが、娘にも同じ様に判断力が十分になってから、よく考えて結論を出して欲しいと願ったのです。
彼女自身も思い悩んでいたかもしれません。何だかんだと有りましたが、彼女はノノン村が好きですし、親である私達も愛してくれていると思いますから。
それでも、聞く前から分かっていましたが、彼女はシャールに向かい、竜神殿に勤めることを選択しました。
ただ、夫が寂しかったのか、寒い季節が終わってからにして欲しいと願い、メリナもそれを了解したのでした。
親離れの瞬間が伸びたことに、少しの安堵を覚えた私もいました。
しかし、いよいよ、お別れの日が来ました。小さな頃に病気に苦しめられた、愛しい我が娘も遂に羽ばたくのです。感慨深いものが有ります。
夫はまだ別れが惜しいのか、神殿までの道中を自分の馬車で送ると言いました。メリナが走った方が速いのにとは思いましたが、私は頷きました。
でも、余り立派な馬車ではなくて、メリナが恥を掻かないように、途中の乗り合い馬車が来る所までと約束を交わしています。
村の人たちもメリナがシャールに行くことを知っています。だから、家の外で門出を祝うために集まっています。
夫も私もその賑やかな集団に混じり、娘が準備を終えて出てくるのを待っていました。
「ルー、遂にこの日が来てしまったね」
「えぇ、あなた。寂しいけれども親としての責任も果たせた気がするわ」
「そうだね。僕らのメリナが今から世界に羽ばたくんだよね。ドキドキするよ」
大袈裟な言い様ですが、メリナは竜の巫女になるんですものね。辺境に住む村人からすると大出世です。これからも頑張って幸せになってもらいたいと願います。
「ルーさん、あのメリナちゃんも大きくなりましたね」
声を掛けて来たのはギョームさんです。最近、栄養が足り過ぎているのか樽みたいなお腹になられております。
「わざわざお越し頂き、ありがとうございます」
「メリナちゃんは長年の戦友ですからね。笑顔で送り出してあげたくて」
「どうもすみませんね。これからはメリナの回復魔法無しで森の中ですね」
「……やめて下さい。祝いたいのに、祝えなくするなんて酷い……」
「あはは、冗談ですって」
ギョームさんの隣にはナトン君とアニーさんもいます。彼らは結婚して子も出来ています。少し心配しましたが、普通の赤子が誕生して良かったです。
「親父、情けない声を出すなよ」
「うるせー。俺はロイさんとルーさんには頭が上がらねーんだよ!」
親子の会話を聞きながら、アニーさんは赤ん坊をあやします。うふふ、ジャニスを思い出すわね。
この若い家族なのですが、私の隣に引っ越ししてきました。何でも、メリナやレオン君と同じ様に、その赤子に私の教育を受けさせたいんだそうです。
期待には応えないといけませんので、頑張ろうと思います。
しかし、メリナ遅いなぁ。
朝食は取ったから、後は荷物を持って出てくるだけだったはずなのに。
まさか二度寝してる?
「ほら、メリナ。早くなさい」
2階に向かって、私は声を出します。
「待って! 今行く」
起きてましたね、良かった。
でも、もう十分に待っているんですけど。
ったく、本当にマイペースな子なんだから。そんな事だと、シャールでお友達が出来ないわよ。
荷物を入れた大きな皮袋を背負ってメリナが出て来ました。そして、開口一番にこんなことを言うのです。
「ねぇ、お母さん、重いって貴族っぽく言うにはどうしたらいいの?」
……また唐突に変な質問……。
「たぶん、貴族のお嬢さんは重いものなんて持たないわよ。メリナ、バカ言っていないで、早く挨拶なさい」
私の答えを聞き流して、メリナは並んだ皆の方を向きます。
「みんな、行ってくるよ。次会うときは、立派になってビックリさせるからね」
「もっとちゃんとしなさい、まったく」
そうは言いましたが、メリナらしい挨拶です。今の短い言葉でも皆には気持ちが伝わってくれていると思います。
「メリナ、頑張って来いよ!」
ナトン君が笑顔で語り掛けます。
「メリナ姉ちゃん、俺も大きく強くなったら街に行くからな。よろしくな」
あんなに仲の良かったレオン君ですが、寂しがる様子はないです。強い子ですね。
跳び上がって、メリナとハイタッチまでしています。
「メリナ姉ちゃんだったら、有名な冒険者になれるよ。その時は一緒にパーティ組もうぜ」
あれ? レオン君に巫女の話を伝えていなかったかな。後でちゃんと話さなきゃ。
神殿でお務めは想像するしかないのですが、厳しい修練を積まされると思います。修行中の身なら、実家に帰省するのも数年に一度、家族でもない人間と接触するのは禁止とか、そんな軍隊よりも厳しい決まりが有ってもおかしくありません。
寂しいなぁ。
私が感情を殺している間も、次々と皆がメリナに声を掛けてくれています。
「おい、もういいか」
珍しく夫がぶっきらぼうに言いました。
分かります。メリナが去るのが私と同じ様に寂しくて、その気持ちに打ち勝とうと無意識的に語彙が強くなったのでしょう。私と同じです。
促されたメリナは鞄を夫に預けます。
これでしばらくは会えなくなるね。
私は1歩前に出ます。
「気を付けてね、メリナ。何かあったら帰ってくるのよ」
「大丈夫よ。でも、長いお休みがあったら帰ってくるわ」
「これをどうぞ」
手に隠していた皮袋をメリナに渡す。
中身は金貨と銀貨。
行商人さんに無理を言って、交換して貰ったものです。一般人用の銅貨なら簡単に手に入るのですが、上流階級の方々が揃う神殿で娘がバカにされるのは気分が良くありません。だから、少ないけど、金貨と銀貨。
「あっちに着いたら、色々と入り用でしょ。それで揃えなさいね」
メリナは私に抱きついてきました。私も娘の背中へ優しく手を回します。
大きくなったなぁ。頑張ったね、メリナ。
幌のない荷台に乗ったメリナは見えなくなるまで手を振ってくれました。それに対して、私達も思い思いに声を出したり、手や布を振って応えます。
侘しさが頬を濡らしそうです。さりげなく、目元を拭きます。
隣で号泣するギョームさんを羨ましく思いました。