巫女との出会い
もう数ヶ月でメリナは15歳。私が軍学校に入った歳です。彼女も将来を決めないといけない年頃になってきました。
やはりシャールに行ってみたいと言っていたので、夫と相談しているところです。
幾らなんでも知り合いのいない土地に一人娘を住まわせるのは抵抗があって、恥を忍んで両親に親戚を紹介して貰おうかと考えていました。でも、絶縁状まで出されているからダメかもなぁ。
さて、娘の将来に悩んでいるとはいえ、本日も神様が復活していないか確認のために森に入りました。その帰り道、奇妙な魔物の気配を感じます。
この辺りの森の魔物達は殺意満開の刺々しい気配を纏っているのですが、それに対して、柔らかく包み込むような雰囲気に違和感を持ったのです。
禁止している魔法をメリナが使用して、再び新種の魔物が誕生したのでしょうか。
村の人が騒ぐ前に倒して埋めた方が良いかな。そんな気持ちで接敵します。
「あらあら、こんな所で人に逢うなんて奇遇ね」
あれ? 人? しかも気付かれたのか。
まだお互いに視界に入っていないと思うんだけど、よく私と魔物の違いが分かったなぁ。
……でも、人を騙る魔物も居ます。警戒は解かないでいきましょう。
何せ声が老婆です。こんな森に一人で入るなんて、明らかに不自然。
「こんにちは。私も村の人以外と逢うのは初めてです」
ゆっくりと草を掻き分けながら、進みます。
「何をしに森に入られたのですか?」
「ドラゴンを探しに来たの。珍しいのが居ないかなって」
大きな鳥は何匹も見たことがありますが、竜はないなぁ。
「見たことないですよ。私、10年以上、ここに住んでいますけど、そんな立派な魔物は知らないです」
「あらあらあら、そうなのね。残念。折角の休暇だったのに。んもう、本当に残念だわ」
見えた。白銀色の全身鎧が動いています。
小柄ね。でも、うん、強そう。
老婆の声に、その姿は怪しいなぁ。怪しすぎて、逆に人間だとも思えてしまう。
「どうされます? 私の村に寄って行かれますか? もうすぐ雨だと思います」
疑念は抑えて、友好的態度を続けます。
「まぁ。何て嬉しいんでしょう。甘えさせてもらって良いかしら」
恐らく相手の攻撃範囲に入っていますが、仕掛ける素振りは無し。
うーん、こちらから不意打ちするのも、本当に人間の方なら失礼ですよね。
「どこから来られたんですか?」
「シャールよ。こっち方面に足を延ばしたのは30年ぶりなの。だから、道に迷っちゃって」
あー、時の流れも有りますが、メリナの膨大な魔力放出の影響で、地形自体もかなり変化しているんですよね。沼地が出来たり、平地が丘になったり。
「私はノノン村から来ています。ご案内しますから、付いて来てくださいね」
「まあまあ、本当にすみませんね。これも聖竜様の計らいでしょうね。有り難い事です」
聖竜様? あぁ、メリナが親愛している聖竜様! 慌てて、私は聞き返します。
「失礼ですけど、神殿の巫女の方ですか?」
「えぇ。ほんとに照れ臭いんだけど、巫女なの、私。こんなお婆ちゃんなのに巫女って少し恥ずかしいわよね」
神職なら別に年寄りでもおかしくない、むしろ有難味が増すと思うのですが、シャールの巫女は若い人が多いのかな。
大昔に見た夫のやらしい本が脳裏に浮かびました。
とても失敬な話です。忘れましょう。
何にしろ、遠いシャールの神殿を知っているのですから、行動範囲が瘴気の量で決まる魔物ではないと判断しました。
魔族の線は否定できませんが、その時はその時か。
「それでは急ぎましょうか。この時期の雨は冷たいですし」
「まぁ、そうなのね。それじゃ、着替えましょうか」
そんな言葉の後に、私は不思議な光景を見ました。なんと、鎧が光ったと思ったら、一瞬で黒い布服に変わったのです。
変幻魔法? 転換魔法? 術式も鮮やかで、魔法系統が読めませんでした。
凄い。木々の間を駆け抜けながら、更に私は驚愕します。
私の全速の7割に付いて来れるなんて……。本気のメリナでも2割で息が上がるのに、この人、本当に人間なの?
いえ、思い上がりですね。私は井の中の蛙なのです。辺境の村で強いと言っても、元は軍の下っ端です。
王国北部を代表する大都市シャールの上流クラスに位置する方を凄いと上から目線で評するのがおかしいのです。
私は立ち止まります。あわせて、巫女のお婆さんもストップされました。機敏性も逸品ですね。
「あらあら、どうされたの? 休憩かしら」
全然、息が切れていない。顔に深い皺が入るほどのお歳なのに、若い頃はどれだけ強い人だったのだろう。
「いえ、思う所がありまして。私が魔族かどうかを確認しなくて良いのですか?」
心根の大変に良い人です。疑うということを一切しない方なのかもしれません。
でも、私が人間であることを証明して、この方が持たれているのかどうか分かりませんが、一抹の不安を解消して差し上げたい。そんな気持ちでした。
「うふふ、大丈夫よ。ありがとう。あなたは人間。魔力の色で分かるの」
「魔力の色ですか? 例えば、私はオレンジ色で、巫女のお婆さんは真っ白みたいな?」
「あらあら、本当にあなたは素晴らしいわ。どう、聖竜様のお声を聞いたことない? 夢の中でも良いのよ? 聞いたかな、聞いたような気がする気もするって程度でも何とかなるんだけど」
「あはは、残念ながらありません。昔から信心は持っておりませんでして」
言って後悔。宗教家になんて事を伝えてしまったのでしょう。
「あらまぁ、本当に残念ね。あなたなら良い巫女になれると思ったのに」
良かった。全然怒っておられませんね。
「すみません。それで、私が魔族でないと言うのは?」
「魔族さんはね、大体真っ黒なのですよ」
……メリナと同じ黒か……。でも、メリナが魔族? いいえ、娘は人間――あー! 何だか人間離れした発想をしてる! いや、ちがいます! あれは私の教育が彼女に合わなかっただけで、決して魔族なんかじゃない……はず。大体、私のお腹から産まれたんですから、魔族な訳がないです。……きっと。
「……魔族だとやっぱり退治されちゃうんですかね? シャールだと?」
これは大事な所です。場合によってはメリナには悪いですが、シャール行きを止める必要があります。
「大丈夫ですよ。魔族の巫女さんもいらっしゃいますから」
嘘は言ってない。私は安心しました。
村に着き、家へとご案内します。雨が降ってきたので急ぎ足です。
「お母さん、あの人、誰?」
私がお茶を用意していると、メリナが小さな声で訊いてきました。
「シャールの竜の巫女よ、メリナ。竜の巫女」
「やっぱり! そうだと思った! 昔、お父さんの絵本で見た服と一緒だもん!」
一緒だけど一緒にしたらダメよ、メリナ。あの本は、巫女さん風の格好をした女性が働く男性の為のお店の本ですからね。
「わぁ、凄いなぁ。あっ、本物は金縁だよ。うわぁ、憧れるなぁ」
「メリナ、先に行ってお相手をさせて頂きなさい」
「えっ、あのお婆さんを殴るの?」
……娘のおバカ具合に、思わず眉間に手をやってしまいましたよ。呆れ果てるとはこういう感情なのですね。
「会話のお相手」
「だよね! ビックリした」
私もですよ、メリナ。どこで教育を間違えたんだろ……。
王都で売っているような茶菓子はないので、森で採れた果物を皿に盛り合わせます。あと、サルマ婆さんが作ってくれたチーズにもお出ししましょう。
「あらあら、メリナさんは聖竜様とお話したことがあるの?」
「はい。小さな頃は毎晩、夢の中だったかもしれませんが、お逢いもしたんですよ」
おぉ、メリナがちゃんと喋ってる!
そうですよね! メリナは出来る子ですもの。
うんうん。ごめんね、メリナ。お母さん、少しだけあなたを疑ってたわ。
「まあまあ。それは大変な事ね。良いわ。あなた、神殿に来ない? 私が招待状を作りますからね」
巫女の方は、どうやったのか分からない早業で、ペンと紙を取り出しまして、サラサラと何かをお書きになられました。
「シャールの竜神殿よ。ちゃんと偉い人に説明しておくから、楽しみにしておいてね。私の名前はフローレンス。あなたはメリナさんね、覚えたわ。よろしくね。いつでも来て良いですからね」
「はい。フローレンスさん、分かりました。私、メリナは偉大なあなたの名前を決して忘れません」
感動で頂いたお手紙を持つメリナの手が震えていました。小さな頃からの憧れが叶うんですものね。なんて幸運なんでしょう。
私も少しうるっと来ました。
その後、巫女の方は「雨が止んだから」と仰いましてお別れを致しました。当然、引き留めたのですが、「折角の休暇だから少しでも竜を探したいの」と固辞されました。
竜の巫女の仕事は全然知りませんが、竜にそこまで拘る熱意はよく伝わってきます。
メリナ、しっかりとお務めをするのですよ。