修行の相手
夫は森の神様から貰った光る玉を怖々と触ったり、叩いたりしていました。
「どうかしら? 森の神様からの贈り物らしいんだけど」
「うーん、分からないなぁ。その神様は何か他に仰ってなかったかい?」
「手打ちにしたいとか言っていましたね」
何のとは言いませんでした。魔物として産まれた子供達の原因だと伝えないといけないからです。濁った感情を純情な夫が持つ必要は御座いません。
「手打ち? 何か確執があったのかな。まぁ、いいや。それならば、これは詫びの証ってことかぁ」
「あとは、『我は形なき精霊』とも言ってたかな」
「精霊? なるほど精霊が神様を僭することは多いらしいよ。あー、家の本に何か書いてあった気がするなぁ」
「では戻りましょうか。あと、あなた、この玉の件はメリナには秘密にしておきましょう」
「うん。そうだね。興味津々に殴るか食べるか、そんなメリナの行動が眼に浮かぶよ」
「うふふ、そうですね。メリナは頭が弱いっぽいから」
「でも、優しくて良い子なんだ」
「えぇ、私達の自慢の娘だからね」
「昨日もメリナはお空をずっと見てたんだ。何をしているのかなって尋ねたら、雲が聖竜様の形に似ているんだって。ロマンチックだよね」
夫も私も笑いました。
光る玉については、村の長老格であるサルマ婆さんに相談しまして、使われていない小屋に隠させて貰いました。
でも、それだけだと夜とかに光が漏れて誰かに不審に思われるかもしれません。なので、床下を掘らせて頂き、その中に納めました。
「ルーよ、これは何じゃな?」
「森の神様がくれたんですけど、夫も分からなくて。悪さはしないと思うんですけど……」
「他の者には秘密にするんじゃな?」
「えぇ。申し訳ないですけども」
「僕からもお願いします、サルマさん」
「分かった。ロイとルーの言う事ならば、儂は従うのみじゃ。行商人が来なくなったのに村が無事なのは2人のお陰じゃからな」
サルマ婆さんはそう言いましたが、私達が助けたのは最初だけで、今の村は私達がいなくても十分に回りそうです。これは村の人全員の頑張りだと思います。
明くる日、私は森に向かって深く集中していました。夫に依頼されたシャールへの道筋を探るためです。
神様の森はシャール伯爵領の辺境で終わっているはずで、そこらに村くらいは存在しているだろうと夫は予想しています。
そして、夫は私の不思議な力を全面的に信じてくれていまして、そこまでの最短ルートを提案して欲しいと頼まれたのです。
無論、私は応えます。
ノノン村から円を描くように意識を広げます。あっ、村のすぐ外にギョームさんの魔力が有りますね。遊びに来られたのでしょうか。しかし、それはどうでも良いことで、シャール伯爵領とは別方向ですので、そちら方面は割愛します。
神様の森を進みます。いきなりの違和感。いつもの黒い霧が御座いません。
……あれかな。神様は村に近い森を渡そうと言っていました。だから、霧状の魔力が晴れたのかもしれません。
ふーん。手打ちねぇ……。こんなことで許されると思っているのかな。私への侮辱じゃないかな、ねぇ、神様?
ちょっと今の居場所を調べるかな。うふふ、あっ、居た居た。なるほどねぇ、黒い霧が濃い所なら自分の居所が探られないと思ったのかぁ。おバカだなぁ。
あっ、ダメダメ。仕事をしなくちゃ。
えっと、黒い霧がない場所まで戻って、んー、山があるのかな、この山を回り込んだら、あー、黒い霧のゾーンに入っちゃうなぁ。
森の魔力に触れた呪いが、あの悲しいお産だった訳で、ここに道を作ると行き交う人達にも悲劇が起こってしまいます。
なので、このルートは避けましょう。
となると、少し距離が伸びるけど、山を左回りに迂回して、それから、真っ直ぐに伸ばしたら、んー、あー、ダメ。この辺りまでが魔力が分かる限界か。
しかし、それでは夫の期待に応えていません。歯を食い縛って、あっ、そうすると魔力を認識できる領域が減りました。
心を研ぎ澄ますのです。雑念を捨てて、森の中に立っているような感覚に……。
見えたっ!
魔獣とは違う微弱な魔力の集団。きっと人間の村がだいぶ先にありました。
あとは、そこまでの最短距離を結んで……。うん! 馬車で2日くらいかな。
神様と戦った場所の方が遠いのに、魔力を感じ取れる距離が短くなっているのは途中にある山のせいなのかしら。
「ねぇ、お母さん、お腹空いたー」
「あら、メリナ。ごめんなさいね。何が食べたい?」
「お肉、お肉! 大きいお肉ぅ!」
「はいはい。じゃあ、一緒に取りに行きましょうか」
「うん!」
私はメリナと共に森へと向かいます。いつも採取に使うところでなく、神様の森の方へ。
楽しそうに歩んでいたメリナの足が森の手前で止まりました。
「どうしたの?」
「そっち、亡霊いたよ? 殴っても効かないヤツ……」
「大丈夫よ。殴り続けたら亡霊も死ぬわよ?」
「信じない。本に書いてあったもん。亡霊は体がないから殴れないもん。取り憑かれて死ぬんだよ」
まぁ、本を読んでばかりで頭でっかちになってしまったのでしょうか。
今からシャール伯爵領までの道程を確認しつつ狩りをする予定でしたが、気が変わりました。
メリナの弱気を解消する方が先決です。この子が将来、何者にも打ち勝てるように育てるために。
「メリナ、付いてきなさい。その怖がりを治してあげるから」
「……うん……」
4日走って、森の神様の所へと辿り着きました。
「すみません。神様、居ますか?」
気配はあるのに火の玉が無くて私は誰もいない森に話し掛けました。
『……我が森に足を踏み入れるなと厳命したはずであるがな……』
「あっ、すみません。反応があって良かった。うちの娘が『亡霊は殴れなくて怖い』って言うんです。出てきて、相手してもらえません?」
『……何様のつもりであるか、お前。我を何だと心得る。亡霊だと? 舐めるのは今日までにしろ』
木々がざわめく突風が吹きました。
そして、今まで見たよりも遥かに大きい火の玉が一つ、空に浮かびます。何か仰っていましたが、姿を現してくれて幸いでした。
「はい! メリナ! まずは貴女から殴ってみなさい」
「お母さん、あんな上にいたら届かないよ」
えー、もう!
神様、すみません。もう少し降りてもらえませんか? うちの娘が我が儘を言うものでして。
『お前の我が儘より遥かにマシであろうが』
はいはい、さっさっと降りてきて下さいな。夫も心配し始める頃合いですし。
『手打ちとは言ったが馴れ合うつもりはないのであるがな』
こちらも無いです。滅ぼし尽くそうと思うくらいに憎んでおります。ただ今日に限っては、娘の修行の相手に丁度良いと思ったのでご協力を願いに来ました。
『……お前!! 我を何だと心得ているって言っておろうが!!』
火の玉が急降下で向かって来ました。
「はい! メリナ! 拳に魔力を込めて、思っきり殴るのよ!」
「えっ? 魔力を拳に? お母さん、なにを言ってるの?」
あー、ダメか。窮地に陥れば、一気に実力が開花するかなと思ったのですが、メリナは両足を横に開いたままで、戦闘の構えさえ取っていませんでした。
神様はもうメリナに肉薄しています。速いですね。娘はそれにさえ気付いていないかもしれません。
「た、助けて! 聖竜様!!」
火の玉に身を包まれたメリナの悲鳴が聞こえました。その瞬間、私が予想していた量を軽く凌駕する魔力が噴出します。眩しく煌めく炎は私の眼を焼きますが、魔力的には真っ黒でして、娘の魔法攻撃だと分かりました。
見えなくなった眼を魔法で回復し、魔力を出しきって動かなくなったメリナを背負います。見事な魔法でした。やはり死地にこそ成長の糧はあるのだと思います。
メリナの潜在能力は素晴らしいです。将来は宮廷魔術師かもしれません。そうなると、メリナはご良縁を得て、幸せな家庭を築く可能性が開けます。明るい未来が待っています。
神様、どうもすみませんでした。お世話様です。また来ますね。
『後悔するぞ、弱き者。我は偉大なる精霊である。次に見えるならば、絶望の底へと叩き落とすのみ』
あらあら、後悔するのは神様の方ですよ。お忘れなく。
『……何たる傲慢……。手打ちをしたではないか。我は精霊玉まで与えたのであるぞ』
あの光る玉ですか? あれ、何だったんでしょう?
『愚かなり。価値の分からぬ弱き者に与えた我も同類か。あれは魔力を付与する物。武具を食べさせてみるが良かろう。そして、我の偉大さと手打ちの意味をよくよく理解しろ』
神様は言い終えると、私達を転送させようとしました。私はじっくりと魔力がどう動くのか観察します。
気付けば、またノノン村の近くに移動していました。