不幸の日々
メリナと共に森に入ってから3年が経ちました。娘はもう10歳でして、 ノノン村の慣習としては一人前の働き手に数えて良い年齢となりました。
私はあれから森の神様にお逢いすることは出来ておりません。妊娠した為です。
ただ、結果としては不幸なお産を2度も迎えることになりまして、産まれたばかりの子達はその日の内に土へ還しました。
生まれてすぐに死んだのです。
このノノン村では珍しいことではないらしく、サルマ婆さんから事前の忠告を頂いていなければ、私の動揺もより激しいものだったでしょう。ジャニスが妊娠に悩んでいたのも、この件があったからかもしれません。
メリナは勿論、レオン君までもが悲しみまして、彼女らはお墓に毎日何かを供えてくれているみたいでした。
普通の死産では御座いませんでした。出産の痛みで朦朧としている中、産声が聞こえない違和感をまず覚えました。
重い体を動かして見た、生まれたての赤子はしわくちゃで、でも、メリナがそうだった様に可愛らしい顔をしていました。
しかしながら、姿形は赤子ですが、一人目は蜘蛛のように四肢で動き回り、二人目は蛭のように全身を伸縮させていました。
明らかな魔物が私の胎内から産まれたのです。
そして、一刻もせずに血を吐いて彼らは両方とも動かなくなりました。2回続けてなのですから、偶然とは考えられませんでした。
苦悶の日々が続きます。
莫大な借金との交換条件でもあったのですが、このノノン村に来た一番の理由はメリナの静養でした。
メリナは完治しました。だから次の子供を望んだのです。その結果が、このノノン村ではよくあると伝えられた死産です。
どうしようない仮定ですが、王都に住んでいたのであれば、あの2人も助かっていたかもしれません。
私達がメリナを選んでしまったが故に、後から生まれた2人を犠牲にしてしまったのでしょうか。
そんな事を悶々と考えてしまいます。
深く重い沈痛は私が負った業の証。
胸が張り裂けそうな日々でした。
何事も自分の力で解決できるという自負は粉々に砕かれ、失意だけが私を覆います。
夫は私より先に普段への生活に戻りました。村を維持していくには彼の知識が必要で、彼も作業をすることで悲しみを忘れようとしたのかもしれません。
割りきれない私は近くの森に入り、昔に大木を木材とした名残である切り株に腰掛けて1日を過ごします。眼を瞑り、自然の音を聞いていると僅かながら気が紛れました。
木々の間を通る風、それに震える葉、飛び立つ小鳥の囀り、そんな音が私の体に沁み込んででいくような感覚です。或いは、私が森の中に溶けるような感じ。
静かに冥福を祈り、赤子達の来世での幸せを願います。
何をする訳でもなく気が済むまで、目に見えず、声も聞こえず、存在するのかも分からない数多の精霊に心の中で語り掛けていました。
もしかしたら心のどこかで死にたい気持ちがあったのかもしれません。あの時に背後から魔獣や魔物に襲われたとしても、私は抵抗したかどうか。
しかし、そんな日々もやがて終わります。時の流れは悲しみを癒してくれるからでしょうか。
仲良く遊んでいるメリナとレオン君の笑い声が遠くに聞こえました。いつも楽しそうです。
この日は、それを聞いて少し心が和らぐことが出来ました。
続いて、レオン君の母親であるジャニスを思い出します。
彼女が側にいてくれたなら私を慰めてくれたでしょうか。それとも黙って一緒に悲しんでくれたのでしょうか。
心細い。……助けて欲しい。そんな本音が初めて浮かびました。
『ルー、いつまで泣いているの?』
ジャニスの声? 幻聴? ……幻聴か……。
ここまで追い込まれていたなんてね。情けない。
悲しいんだから仕方ないじゃない。
そこにジャニスは居ないと分かっているのに、私は言い返しました。
『そうだね。でも、ルーの想いは子供達に十分に伝わってるよ。あなたの子として産まれて来れて嬉しいって言ってるから』
一瞬だけ私の目の前に幼子が2人現れました。年頃的には無事に成長したなら、それくらいという見た目で、私はそれが我が子達だと確信しました。彼らは私の体に手を伸ばし、そして、スッと消えて私の体の中に入っていきました。
何が起きたのかは分かりませんが、結果として、私は救われました。子供達は笑っていました。私を恨んでいませんでした。
そう思いたいという私自身が生み出した錯覚なのかもしれません。でも、それでも、夢の中であっても赤子達と触れ合えた事は私の心を癒しました。
あの子達やメリナに不甲斐ない母の姿をいつまでも見せていてはいけません。
私は立ち上がりました。
それから、気合いを入れるために近くの木を数本殴って倒します。
「わー! お母さん、凄い!」
轟音に気付いたメリナが駆け寄って来ます。
「ごめんね、メリナ。少し疲れていたみたい。あー、お腹空いた」
「このドングリ食べる?」
「食べる。ありがとう」
「うん、もっと取ってくる!」
私は2人目の死産以後、何も口にしていなかったそうです。常識的にそれでは死にますから、メリナの大袈裟な表現だと思っていました。
ただ、顔を洗う際に川面に映った自分の顔を見て驚きます。痩せ細って皮が骨に張り付き、眼だけがギョロリとした相貌は自分のようでは有りませんでした。本当に絶食していたかのようです。
「メリナ姉ちゃん、蛇いるよ!」
「わっ、レオン君、ありがとう! 焼いてお母さんに上げるね!」
メリナ達はニコニコ顔で私のために食べ物を用意してくれました。本当に良い子に育っています。
それから1ヶ月。私の体も元に戻りつつありまして、夫から村の中での散歩を許可をようやく貰いました。ご心配とお手間を取らせたでしょうから、村の方々に挨拶回りを致します。
その時になって、初めてお会いする方や村から出ていった方々がいると知りました。
ギョームさんなど隣村からの移住者達の多くは、元の村へと帰っており、村の活気は減りました。息子のナトン君は冒険者にならずにギョームさんと共に村の復旧を手伝っているそうです。
でも、ナトン君ではない何人かの若者は村を出ていました。消息が分からないままの人もいますが、土産を手に帰ってくる方もいらっしゃるそうで、街との交流は完全には絶たれていませんでした。
しかし、やはり危惧していた通りに新しい行商人の方が村に来ることは無かったのです。
ここしばらくぼんやりとした記憶しかなくて、驚くばかりです。
「ルーが回復してくれて良かったよ」
夫は本に目を遣りながら、椅子に座る私に話し掛けてきました。
「ご迷惑をお掛けしました。気持ちの整理がやっと付いたわ」
「そうかい。でも、無理は良くないからね。ルーは本当に何も食べてなかったんだよ。僕やメリナの言葉にも耳を貸さないし。どうやって生きてたんだろ。軍隊のサバイバル技術は凄いね」
「全然覚えてないんだよね。森に行く度に草でも食べてたのかな、私」
「ははは、そうかもしれないね」
「でも不思議ね」
「何がだい?」
「んー、何て言うんだろ。あなたは緑色、メリナは黒、レオン君は赤。私はオレンジ色かな。そんなイメージが頭の中に浮かぶの。遠くにいても誰がどこにいるのか分かるのよね。ほら、メリナがもうすぐ帰ってくる」
あと、3歩、2歩、1歩。同時に扉に手を掛けて、ガバッと開けて、
「ただいまー! 団子虫で団子を作ってきたよー! ……あれ? わたしを見て、2人ともどうしたの?」
「ほらね」
「凄いね。母の愛なんじゃないか?」
「あはは、そうかもね」
でも、そうじゃないんです。
視覚とは違う感覚でして、集中すれば森の木々やその間を蠢く魔獣なんてのもはっきりと意識できています。一昨日には野犬の群れを駆逐する村の方々なんてのも把握できました。
これ、何なんでしょう。
「あと、メリナ、僕の想像と違う団子を持ってくるんじゃない。手と扉を洗いなさい。虫の体液でベトベトじゃないか。あっ! ダメ! 食べたらダメ! えっ、お母さんに? ダメ! えぇ!? お父さんも食べないよ!」
3年間経っても優しいメリナでしたが、知能の方は成長しているのでしょうか。少し心配です。