訓練
メリナは日増しに元気になりました。今ではお向かいのレオン君とともにお外で駆け回るくらいにです。もう熱も咳も出ません。
私の特製薬を飲んだ後、毎晩メリナは姿を消します。私はそれを転移魔法か転送魔法だと認識しています。
メリナ自身が使っているのか、他の誰かが使っているのかは分かりません。
ただ、何にしろ私は森の神様に感謝致しました。絶対にお礼をしないといけません。
私だけでなくメリナ自身もちゃんと神様に頭を下げるべきだと思います。それが礼儀です。
森の神様に会いに行くには森を深くまで突き進む必要がございます。となると、幼いメリナは魔獣と遭遇した途端に食い殺される事でしょう。
戦闘力が圧倒的に足りません。
これは一大事です。命を救ってもらった方に不義理をするのは、メリナの人生において最大の汚点として残り続けるでしょう。
そこで、私はメリナを鍛えることにしました。
ただ今、私達は村の外にいます。
「はい、メリナ。構えて」
「はい」
メリナは拳を軽く握った左手を前に、右手は胸の前で待つ。足も同じく左を前に、右を後ろ。
王都時代、私が所属していた近衛兵部隊の伝統的な格闘技の構えです。
「そのまま」
「はい」
私は前後左右からメリナの様子を伺います。ふむ、何日も繰り返しただけあって様になって来ました。
「もう少し腰を下げなさい」
「こう?」
「そう。じゃ、そのまま我慢」
「えー。お母さん、私、早く石を砕きたいって言ったよね?」
たまにメリナはおかしな事を唐突に言います。せっかく胸の病気が治ったというのに頭が弱くなってしまったのでしょうか。
「聖竜様と石を砕く遊びをしてるんだよね。凄いんだよ、聖竜様。睨んだだけで石を割るんだよ」
毎夜、姿を消すメリナは聖竜様とお会いしていると話します。それが真実なのかどうかは分かりませんが、楽しそうで何よりです。
それが妄想でなければ。夫は本気でメリナの頭を心配しているくらいです。
「まずは構えから。綺麗な構えは相手を怯ませるのよ」
「石を砕きたいのにぃ」
「今からギョームさん達が野犬と戦うから、メリナは頭の中でどう戦うか考えていなさいね」
「……はーい」
さて、と。
私は今日の選抜メンバーの方に向かいます。5人程です。多過ぎると農作業の人手が足りなくなりますから。
目の前には、前夜に生け捕りにした野犬が1匹、私が構築した炎の檻の中に居ます。本能で触ると焼け死ぬと知っているのでしょう、真ん中で身動きはしませんが、低い音で唸り続けております。
「皆さん、体調はどうですか?」
「……気合いは入っています。行けます」
ギョームさん一家の長男さんです。手には木で作った鍬が握られています。始まる前から、それを振り上げている姿から戦闘意欲に富んでいることが伺い知れます。
そんな息子と比較して、「こんな大きいヤツに勝てるんですか……? 俺より背が高いんですが……」と、父親であるギョームさんは弱気です。
この発言は仕方ない部分も有ります。
長男さんの自信は野犬を知らないからです。対して、ギョームさんの不安は自分が強くなったことを知らないからです。
「大丈夫です。何かあれば、私が助けに入ります。それに、もし腕を食われたとしてもメリナが回復魔法を唱えます。だから、安心して戦って下さい」
娘の回復魔法はとても良いものです。欠損部位でさえ治せますので、将来は偉大な医者や回復術士として大成するのではと、私は期待しています。メリナは本当に心優しい娘ですし。
「では、犬を放ちますね」
私が魔法を打ち消すと、すぐに野犬が飛び出ました。なお、間違っても逃亡して欲しくないので、周囲には炎の壁を構築しております。
野犬だけでなくギョームさん達も戦うしかない状況を作っているのです。
「ぐぁぁーーー!!!」
いきなり、ギョームさんの長男さんが野犬の前足で弾き飛ばされて、大声を上げられました。
正面から鍬を頭に当ててはいたのですが、残念、その威力では即死させられませんでしたね。
「ナトン! くそ! 仇は討ってやるからな!」
おぉ、ギョームさんが良い踏み込みを見せました。
尖らせた木の棒で思っきり野犬の腹を狙います。
それに鋭く反応した野犬は口を大きく開けて、間合いに入ったギョームさんの上半身を食べようとします。
が、愚かです。
ギョームさんは何回も死に掛ける程の特訓を繰り返すことにより、強くなられています。ジャニス程ではないにしろ、彼の俊敏性が犬に負けるはずが御座いません。
バックステップして、もう一度、踏み込――込まない? ダメですよ、ギョームさん、野犬の口の中に棒を刺せば勝っていたのに、逃げてしまいました。
バックステップしただけでは飽きたらずに後方倒立回転跳び、それでも足りないと思ったか、更に後方宙返りって、曲芸士のつもりですか。
最悪です。敵前逃亡に等しい。
「クッ! やはり強い!」
筋肉隆々なのにおバカです。キリッとした顔で言われたところで、息子の仇から逃げたことには変わりありません。
ギョームさんと立ち代わり、残りの3人が突撃をしますが、致命傷を与えることはなく、逆に腕などを噛み千切られました。
ふぅ。まだまだですね。
ジャニスみたいに成長が早い人は珍しいのでしょう。
野犬は次の獲物にメリナを選びました。
柔らかそうで美味しそうですものね、私の娘。
幼い人間の子供に警戒心を持つことは、知恵のない獣には無理だったのだと思います。
無防備に飛び付いた犬の鼻っ柱をメリナは豪快に殴り付けました。まだ威力はありませんが、良い一発です。
犬は戦意を喪失して丸まってしまいました。
大人しくなった犬を解放してから反省会です。
「ギョームさんは腕立て伏せ5000回。その他の方は腹筋100回した後に遠くの山を眺めながら精神統一。メリナはそこの石に回復魔法の練習を気絶するまで」
「ルーさん! 俺だけ死んでしまいます!」
「大丈夫です。ギリギリでメリナが回復させます」
「メリナちゃんは気絶するまで回復魔法なんですよ! その後に俺が死に掛けたらどうするんですか!」
「死になさい。そんな不運なヤツは遅かれ早かれ死にます」
ギョームさんが抗議してきますが、私は微笑みながら返します。
私は彼の才能をかっているのです。先程の体術は中々に良いものでした。それを攻撃に利用できるように磨くべきだと思っているのです。
「あの本に書いてあったでしょ? はい、ナトン君、私は何の事を言っているでしょうか?」
「はい! 痛め付けられ、苦しみ続け、それでも、なお、生き続けるんだという意志を持つことが成長に繋がります!」
「はい。正解」
"瀕死状態こそチャンス! 「俺は生まれ変わるんだ!」「素敵な男になってみせる!」「絶対に敏感になって生きるんだ!」。そんな想いが少年を育てる。諦めてはいけない、絶対に! 君の精霊が必ず助けてくれる!!"
そんな事が激マブ本に書いてありました。夫の言っていた「本は未来を切り開く」は本当でした。信じられませんが激マブ本でさえ役に立ちました。奇々怪々です。
メリナは幼いながらも毎日重い症状と戦い、遂には打ち勝ちました。魔道大百科にも"臨死状態で精霊と邂逅する例は少なくない。邪法ではあるが、多大な魔力を身に付ける手段となり得る"と書いてありました。
だから、私は毎日、村の男衆と希望する女性を鍛え抜いて、強くしてあげようとしているのです。大百科には"但し、そのまま死す者も多数"と有りますが、今のところ、死者は出ていません。
さて、日も陰り始め、今日の修行は終わり。
息も絶え絶えなギョームさんですが、私が才能を感じている通り、見事にノルマをやり遂げました。
着々と村の方々も強くなりつつ有り、私は嬉しくなっています。
 




