救われた命
メリナは6歳となりました。
お外に出ることはほとんど無くなりました。最近は少し歩くだけでも、朝の冷気を吸うだけでも酷い発作が出ます。ベッドで本を読み、疲れたら寝てという生活です。
ずっと一緒に過ごしている私達は何ともないので、感染病の類いではないと判断しています。だから、男性達が野良仕事に出ている間、お向かいのレオン君を見る役目も許されています。
メリナは動き回るレオン君を見て微笑んだりします。メリナは子供の声を煩いと感じる性格ではないですので、レオン君が傍に居ることは気が紛れて良いかもしれません。
しかし、このままではメリナはジャニスと同じく私達から永遠に離れてしまう恐れが有ります。
行商人さんが持ってきた咳止めはどれでも効き目は御座いませんでした。サルマお婆さんが教えてくれた薬草もダメでした。
となると、自作の薬を作るしか御座いません。
このノノン村の名産は、薬草です。ギザギザの葉っぱを持ったそれの薬効は鎮痛と多幸感とか。メリナに必要な物です。夫の本に書いてありました。
最初は細かく刻んだものをお茶と一緒に飲ませていました。しかし、それは全く効果が有りませんでした。
色々と試した結果、乾かした葉っぱを焦げる程に炒め、油を加えたそれを濃いお酒に何日も浸けることで、高い沈静効果が有る物を得られることに気付きます。
そのままでは美味しくないので、その浸け酒を水で薄め、蜂蜜を加えて甘くした物をメリナに毎晩飲ませています。
そうすると苦しそうにしていた娘はすぐに穏やかな眠りに付くのです。
もう私による治療は諦めていました。出来るだけ楽に生きられるように努力するだけです。最初は怪しげな自前の薬を飲ませることを止めていた夫も私の考えに同意してくれていました。
娘が死んだように静かに眠ってから、私は森へと入っていきます。だいぶ前にサルマ婆さんが言っていた森の神様に出会うためです。その神様にメリナの回復を、若しくは、死後の世界での安寧をお願いする目的です。
奇妙な獣の叫びがたまに響く暗い森。月光なんて些細な物は樹下には届かず、私は自分の勘を信じて足を進めます。
光をもたらす魔法を使うことはしませんでした。村の掟を破っていることを皆に知らせることになるかもしれませんので。
毎夜、ただただ真っ直ぐに森を突き進みます。
いつもの森とは違う獣と遭遇しますが、食料の為の狩りとは違いますので、容赦なく粉砕します。しかし、皆が起きる夜明けまでという制限が御座いますので、時間の浪費は避けたいところです。
だから、怒気を周囲に散らすことを学びました。そうすると、獣が自ら去っていくのです。
しかし、森の神様には遭遇できませんでした。森は広くて、どの方角が深部へと向かっているのか分からなかったのです。
空が明るくなる前に村へと戻ります。
今日も神様に繋がる収穫はなく気落ちしていますが、胸は張ります。メリナの前では笑顔です。絶対に泣きません。
「ルーさん、お疲れ様です」
不意に村人に声を掛けられました。森の中では些細な物音や気配にも敏感な私ですが、安全な村に入って油断していたのでしょう。
「あら、ギョームさん。おはようございます」
「……ルーさん、あっちの森に入ったんですか?」
「えぇ」
それを咎めるのなら、仕方御座いません。そもそも、こんな朝っぱらから「お疲れ様」と言われたのです。私が用事を終えたと彼は知っていた訳です。
邪魔は許しません。何に変えても私はメリナの命を選びます。
拳に力が入ります。
「皆、知ってます」
「そうですか」
拳が熱くなるのが分かります。
「ロイさんが言ってました。今の畑の広さだと、増えた住民の腹を満たすのは難しいって。だから、ルーさんが危険を冒して森を切り開いているって」
うん? それは思い違いですが、流れには乗っておきましょう。私は少し拳を緩めます。
「俺、いえ、俺達一家は元の村に戻ります。ロイさんに学んだ技術で、頑張ってみます。ルーさんが居ないから魔獣に襲われるかもしれませんが、それは俺達だけで何とかします」
「そうなんですね」
「だから、ルーさん、どうか娘さんの元に今は居てやってください! 口にするのは失礼ですが、何か悪いことが起きたときに、俺の恩人であるルーさんが後悔することだけは避けて欲しいんです! 娘さんは最期にルーさんに会いたいって言うに決まっています! …………俺の息子がそうでしたから……」
私の真意的には、家に留まるのは足掻くのを止めろってことと同義なんですよね。
……しかし、そっか。そんな誤解を受けていたのですか。
私は戦闘態勢を解きました。
「すみません。私は森の神様に娘を助けて欲しいと願いたくて、森へ入っているだけですよ。全くお会いしてもらえませんけど」
「ルーさんは優しいです。皆が村の守り神と言うのも分かります。俺達に気を遣って、俺達を迷惑にしないように、そんなことを言うんですね」
うん、もぉぅ、話の通じない人です。
「ギョームさん、お話の通り娘が待っておりますので失礼します。……それから、元の村に帰るのは1年お待ちください。戦闘技術を身に付けてからにして下さいね」
「……ルーさんのご厚情に感謝します……。俺の家族、文字も覚えたんです。頂いた本で勉強したんです。ロイさんにも手伝ってもらいました。全く本当に興味のない内容でしたが、それだけに文字の勉強にはなりました」
そう言ってギョームさんは私に深く頭を下げました。肩も震わせています。
「お止めください。私達は同じ村に住む仲間です。困ったときはお互い様。では、失礼しますね」
私はスタスタと自宅へと進みました。
家に帰ると、珍しくメリナが立っていました。
「おかえり、お母さん。お腹空いた」
「あら? 今日は大丈夫なの?」
言いながら彼女の様子を観察します。病苦が続いた結果として痩せてはいますが、顔色がこれまでになく良いです。
足取りもしっかりしています。
「うん。白いりゅーさんに出会ったの」
ん? 白い竜ってことね。
「そうなの? それは良かったわね。夢の中でかな? メリナが好きな聖竜様だったのかな?」
「ううん。すごく怖い感じだったから、聖竜様じゃないと思うよ。絵本の聖竜様、もっとまぁるいもん。でも、優しかった」
メリナは満面の笑みで続ける。
「メリナ、お腹空いたから、お肉と卵が食べたいな」
「はいはい。ちょっと待ってね」
平然と答えはしましたが、私は余りの元気の良さに驚いていました。そして、更に信じられない事にメリナは自分の足で歩いて、食卓に座ります。
私が急いで調理した朝食を完食。お代わりまで要望されました。
何が起きたのか理解できていませんが、私は酷く喜びます。
その晩、咳を出さなかったメリナですが、予防的な意味で例の特別な自作の薬を飲ませます。
すっと眠った娘を夫ともに観察していたら、なんとメリナは消えたのです。
「……何が起きたんだい?」
「神隠し……かな?」
「信じられないものを見たよ。メリナは帰ってくるのかい?」
「分からないわ。分からないけど、邪悪な感じはしなかった」
メリナは朝方に姿を現しました。また「せいりゅー様とお会いした」と彼女は言います。
たくさんの朝食を用意しながら、私はジャニスの葬式でも流さなかった涙を溢しました。夫もメリナに抱きついて咽び泣いていました。