出勤
翌朝。
夫婦になり二日目の朝を迎えた。まだ夫婦である実感はない。
体を起こしてから両肩を回し、痛む体をほぐす。毛布を敷いたとはいえ板の間に寝ていたことから体が痛い。
台所を見ると彼女が見えた。先に起きていたようだ。おはようと声をかける。おはようと返してくる。気持ちが温かくなった。
「あきくん、フライパンも包丁も無いよ?」
彼女は普段の話し方になっている。やはり昨日は緊張していたのだろう。
「料理を作ることが無かったから、フライパンと包丁は無いんだ。あと鍋も無い。炊飯器も無いな。食べ物はレンジで温めるものがあって、ここにごはんと惣菜を置いている。味噌汁はお湯を入れるだけのやつ。」
説明しながら取り出してレンジで温めていく。レトルト食品に慣れていないのか、次々と出てくる料理に彼女は驚いている。出来あがった料理をテーブルに並べて朝食とした。
「今日は会社に行ってくる。事情を話して午後は休みを貰うよ。午後1時には帰るから昼飯を一緒に食べよう。それから取り急ぎ必要な物を買いに行こうか。」
「うん。」
朝食後、着替えるとカバンを持ち玄関に向かう。
「じゃあ行ってくる。帰るときに電話するから。」
玄関のドアを開け、見送りにきた彼女に軽く手を振りドアを閉める。彼女が何か言いたそうな顔をしていたのが気になったが、後でまた会えるので気にしないことにした。
勤務先までは徒歩と電車で家から30分。ラッシュ時の混雑は大変だが電車は1本で行ける。勤務先のあるビルに入りエレベータに乗る。朝のエレベータはいつも満員だ。階段を使ったほうが早いときもある。エレベータから降りて事務所に入り、自席に向かう。課長がまだ来ていないことを見ながら自席のパソコンのスイッチを入れる。出勤した同僚の佐々木に挨拶する。次第に人が増えてきて、課長が始業時間直前に出勤した。
「では朝礼を始める。連絡事項はあるか。」
課長が号令をかけ、朝礼が始まる。いくつかの報告があった後に僕が手を上げ発言した。
「休みを頂いた直後で申し訳ありませんが、今日の午後に休みを頂きます。あ、それと明日も休ませてください。」
「理由は?」
「昨日結婚しまして、急だったのでいろいろ準備が出来ていなくて。」
周りがザワつく。課長は目が点になっている。
「二次元か?」
「いえ、人です。」
「妄想か?」
「いえ、本物です。」
うまく飲み込めない感じの課長は、数秒沈黙した後に続ける。
「作業は問題ないか?」
「休み前に前倒して進めています。明後日から始めても間に合います。」
「加藤主任、間違いないか?」
「はい。それから昨日発生したトラブルは大島が居なくても大丈夫です。」
「わかった。休みを許可する。」
「ありがとうございます。」
僕は課長に一礼した後、皆にも頭を下げる。
「そうか、大島が結婚か。思いもしなかった。」
課長は独り言を言いながら席に付いた。
同期入社の佐々木が、ニヤケ顔でこちらを見ている。
「おいおい、いつの間に彼女作ったんだ、気が付かなかったぞ。いつでも残業できるから相手はいないと思ってた。」
「ああ、従姉なんだ。休みに会って急に決まった。」
「へぇ~」
佐々木は僕をからかおうとしているようだが、加藤主任が割り込んできた。
「大島、結婚したなら総務に報告しておけ。事務手続きにいくつか用意する書類があるから。それから、もし出産の予定があるなら別の手続きになるから合わせて報告しろよ。」
「了解しました。結婚だけです。詳しいですね。」
「ああ、俺は出来ちゃった結婚だったからな。一緒に手続きしておけば楽だったと後から思ったよ。」
そういえば主任は昨年結婚したのだった。
総務に必要な書類を聞いたり、同僚からの質問を受け応えするなどして時間が過ぎ、仕事はメールチェックくらいしかできなかったが、仕方ないと諦めて仕事を切り上げた。
昼のチャイムが鳴り、お先にと声を掛けて事務所を出る。課長から奥さんによろしくなと声をかけられた。なにをよろしくなのか考えながらエレベーターに乗る。
会社から出て携帯電話で彼女に電話を掛ける。少しうきうきしているが、自分では気がついていない。
「今から帰る。一緒に昼食にしよう。」
「ん、待ってる。」
家に到着し、玄関の前で呼吸を整える。何を言おうか考えてからドアを開けたが、彼女の顔を見て、考えてたことは吹き飛んでしまった。
「あっ、おかえりなさい。」
「ただいま。」
ぱたぱたと彼女が駆けてきて出迎えてくれ、その笑顔を見て嬉しくなった。居間に入ると食事の用意が出来ており、ご飯と味噌汁、コロッケとサラダが並んでいる。
「近くのスーパーで買ってきたの、一緒に食べよ。味噌汁は作ったの。お鍋を買ったよ。あ、いまお茶を入れるね。」
「ああ。」
「フライパンと包丁も買ったから、あと欲しいのは炊飯器ね。」
「ああ、買いに行こう。」
彼女が急須でお茶を入れる。その姿を見て落ち着くのを感じた。急須でお茶を注ぐ母の姿を思い出す。
「はい、どうぞ。」
「ありがとう。急須も買ったのか。」
「うん。やっぱりお茶はこっちかなと思って。」
「そうだな。」
お茶を一口啜り、一息ついた。
「食べましょ?」
「ああ、食べよう」
「「いただきます」」
味噌汁を飲む。僕が好きな小松菜の味噌汁だ。味付けも丁度良い。
「うん、美味しい。」
「ん、ありがと。」
彼女は美味しそうにご飯を食べている。僕が見ていると彼女が気が付いた。
「どうしたの?」
「嬉しそうに食べるんだなと思ってね。見てると僕も嬉しくなる。」
「そお?。・・・見られていると恥ずかしいわ。」
「あ、ごめん。」
以前にもこんな場面があった気がする。いつだったか思い出せないが、懐かしい感じがした。