先輩は永遠
先輩は一階で過ごすことが多くなっていたが、それでも二階で食事をし、トイレをし、ちょっとくつろぐ。ここで私がすかさず遊んでもらおうとする。すると、先輩はさっさと下に行ってしまう。お母さんも大きいお姉さんもお父さんも先輩を二階に連れて来るのだが、結局下に行ってしまう。でも、ある時から先輩が二階で過ごす時間が格段に増え始めた。お母さんが床の上に放り出していたエプロンの上で日向ぼっこをし、私がその横にくっつく。先輩はちょっと私をなめると、うとうとしたっけ。先輩が二階の階段の手すりでうとうとしていると、お母さんはよく先輩を抱いて、
「にゃんが一番好き」
と言ったっけ。先輩はよく目を細めていたものだ。
でも、それから間もなくのことだった。お父さんがお母さんに、
「面白いんだぜ、にゃんは僕の部屋の段ボールの中にいたんだ」
って言った。
「ふうん」
と答えたものの、お母さんは早速パソコンで猫の最期なんていうのを調べ始めた。いやな予感がしたのだろう。その晩、先輩はすごく久しぶりにお母さんの布団の足元に丸くなった。
翌朝お父さんは言った。
「実は段ボールに入っていたのはおとといの晩からなんだ」
と。
お母さんは迷わず動物病院に先輩を連れて行った。診察の結果は心不全だった。心臓のチェックは一月ほど前にしており、そのうち薬をのませた方がいいと言う話は出ていたが、まあまあということだった。だが、それが今度はどうあがいても先輩の病状はすでに手遅れで、見守るしかないという。まずいことに、その日からお母さんは二泊三日で出かけなくてはならなかった。その間は、大きいお姉さんとお父さんが見守るしかない。でも、二人は昼間は出かけてしまう。私は身をひそめ、先輩を陰ながら見守った。
お母さんが出かけて三日目の夜。居ても立っても居られないお父さんはセカンドオピニオン、ということで、先輩を別の病院へ連れて行った。旅行先からお母さんが受診中の先輩のもとに駆けつける。診察台に蹲っていた先輩は顔を上げた。
「お母さんを待っていたのね」
と看護師さんたちは言ったが、みんなでじんわりしている場合ではなかった。両腕に点滴の管を入れられた先輩は十二時間の点滴を毎日繰り返すことになった。週末に小さいお姉さんも駆けつける。朝お母さんが先輩を病院に連れて行き、夜お父さんが連れて帰る。これを繰り返した。が、先輩は誰が見ても良くなっているとは見えなかった。
六日目、週末また小さいお姉さんが急ぎ帰ってくる。先輩はお姉さんからとろ〇という美味しい液体のご飯をもらって食べた。続けざまに二つも。その頃にはもう先輩は何も食べなくなっていたのに義理堅いことだ。だが、この直後から先輩はシリンダーで口の中に入れる水さえ飲めなくなった。ついに小さいお姉さんとお父さんは病院に行って先輩の両腕に差し込まれていた点滴用の管を抜いてもらった。
家で過ごす先輩は水も受けつけない状態だったが、トイレだけは行く。よたよたとトイレに向かう先輩をお母さんが支えていく。そのうち、完全に後ろ脚が立たなくなったが、前足だけでずるずると這っていく。途中、水の置いてあるところで止まって覗き込むが、そのまま毛布の上に戻る。お母さんはトイレを毛布の隣に置いた。トイレに行きたそうなら身体を支える。出来るのはそれだけだ。私は姿を隠し、お母さんに甘えることもせず、もちろん先輩に絡むこともなく、ひたすら息を殺して遠くから様子を見ていたが、何度かは先輩に近づき、匂いを嗅いだ。だめだ。いつもは先輩のご飯皿に手を突っ込み、キャットフードをくすねる私だが、この時はそんなことはもっての外だとわかっていた。お父さん、お母さん、小さいお姉さん、大きいお姉さん、交代で先輩に付き添う。
点滴の管を抜いて二日目……お母さんが先輩の脇でうとうとしていた真夜中のことだ。目を覚ますと、先輩はちゃんと座ってお母さんのことを見ていた。目を細めて。
お母さんは、
「にゃん、ありがとう。にゃんが一番好き」
って先輩を撫でた。それからお母さんはお父さんと交代した。
三時間後の朝三時過ぎ。
「来て」
というお父さんの声でみんなが集まる。家族が見守る中、間もなく先輩は痙攣を起こし、朝四時にはこの世を去った。この世を去った? 確かに誰も先輩と会えない。触れることもできない。でも、去ったって言えるのだろうか? だって、みんなは毎日のように先輩の話をしているんだよ。




