似た者同士
お母さんは不器用である。特に、針と糸を持たせたらカオスだ。それを本人も十分に承知しているから、お母さんは針と糸には極力近づかないようにしている。だが、年に一、二度はボタン付けをする羽目になる。今日お母さんはおもむろに裁縫箱を引っ張り出し、針と糸を構えた。糸通しまでは順調だ。これをもって、ボタンの取れた割烹着に向き合う。薄紫色の割烹着には刺繍の白い花がいっぱいある。ということで、糸は白だ。
白い糸に通された針がキラキラ光る。私の目もキラキラしてしまう。早速アタック。
「あ~、こらこら」
私の動きを封じつつ、お母さんはボタン付けに取り組む。再びアタック。
「おっと、危ないよ」
これもかわされた。私は目線を逸らせ、耳の後ろをシャカシャカっと掻いてみたり、あくびをして針なんかに興味のないふりをして隙を狙い、もう一度挑戦する。
「ええっ? 何で?」
虚空に向かってお母さんが声を上げた。私が針を取り押さえたからではない。仕上げに玉結びをしようと思ったら、すでに糸の途中に絡まった部分ができていてそれが糸を引く動作とともに、この時まさに大きな玉結びになろうとしていたのだ。実はこれはいつものことで十中八九こんなことになるらしい。今回お母さんはちょっとほどこうとしてみたが、上手くいかないので途中にできた玉結びごと割烹着に縫い付けてしまった。
針と糸は人類の偉大な発明である。縫い針のおかげで人類は氷河期を乗り越え、その版図を飛躍的に拡大させることができたのだ。七万年ほど前ともいわれるその頃に、どこのどなたが発明したのかわからないが、動物の骨を細く削ってとがらせ、石器で糸(と言っても最初は動物の腱だったのかもしれないが)を通す針穴をあけていたのか。その方がもし、このように洗練された針と糸をもって苦戦する現代人を見たらどう思うだろうか。そんな私の妄想をよそにお母さんは、
「こう見ると、玉結びが小さいお花みたいだな」
なんて頷いている。これには呆れた。が、お母さんは私を見下ろして続けた。
「そういえば、思いがけず絡まっちゃうところ、ピイとは似たもの同士かなあ」
えっ、まさか。そう思って尻尾をビュンビュン振り回して抗議する私に、お母さんは頷く。
「ほら、カシャポンとネズミのおもちゃだよ」
カシャポンというのは二匹の薄いプラスチック製のトンボがビヨンビヨンとしなる棒の先についている猫用おもちゃ。ネズミのおもちゃはプラスチックの釣り竿みたいな棒の先にひもが付いていてその先にネズミが付いている。大きいお姉さんとカシャポンで遊んでいた私は、トンボが私の脚に絡まって慌ててしまい、カシャポンを脚に付けたままベッドの下に駆け込んだ。まるで罠にかかった手負いの小動物そのものだ。それ以来、カシャポンはだめ。ネズミのおもちゃは大のお気に入りで、ビューンと空中を飛ぶネズミに向かって私は水族館のイルカみたいに大ジャンプを繰り広げたものだ。だが、お母さんが目を離したすきに置いてあったネズミで遊んでいたら、またまた脚にひもが絡んでしまった。
「ピイ、大丈夫? 落ち着いて」
なんてお母さんは叫んだが、こっちは落ち着いてなんかいられない。再び罠にかかった小動物よろしく、おもちゃを引きづったままベッドの下に潜り込んだ。以来、きっぱりとネズミのおもちゃはお断りだ。だが、それで似た者同士とは。でも、確かに、長いことカシャポンやネズミのおもちゃで遊び続けた先輩は私のような失敗は全くなかったそうだ。やっぱりあるのかなあ、似ているところが……
ねこ暮らしはここでひとまず完結です。また、お話したいことができたら顔を出します。
読んでいただき、ありがとうございました!




