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野良

 私が生まれたのはある初夏の夜のことで、場所は建築事務所とカフェの入った、ちょっとお洒落なビルのガレージだった。そこには古い車の他に、角材が積んであって住処としてはちょうど良かった。

 私の他にはきょうだいが二匹。

 縞模様のお兄ちゃんと、私と同じ黒い毛のお姉ちゃんだ。普段はきょうだいでくっついて、じっと外の気配を窺っている。体がむずむずして動きたくて仕方がなくなると、少し、外を覗きに行く。お兄ちゃんとお姉ちゃんは私よりもずっと活発で、怖いもの知らずだ。私の知らないところまで行って、意気揚々と戻って来る。でも、危険を察した時の私の脚だって大したものだと思う。脱兎のごとくという言葉があるが、おそらくそれ以上だ。毛皮の色も手伝って、息を殺せばそう見つかるものではない。

 そんな私たちが心待ちにしているのは、大きくてしなやかな体のお母さんだ。お母さんはすっとやって来ては私たちを包み込み、やさしくなめてくれる。私は一番小さいから、いちばん後回しだ。お兄ちゃんやお姉ちゃんはお母さんからおっぱいをもらうのに夢中だが、私はいつまでもなめていてほしい。ずっと、こうやって温かい体に包まれていたいのだ。しかし、その時間も長くは続かない。お母さんはすっとやって来たその唐突さで、すっといなくなってしまう。私は我慢できなくて大声で呼んでしまう。でも、そうするとすぐにお姉ちゃんにたしなめられる。すると、お兄ちゃんが代わりに私をなめてあやしてくれる。

 私のしっぽはまだまだネズミのようで、お兄ちゃんやお姉ちゃんのようにはいかない。無駄に長い尻尾を抱え込み、その先をなめていると、朝方、大きな体が、お母さんが帰ってきて、ガレージで横になった。横になった……いつもと、少し違っていた。どこが? 何が? 胸騒ぎがし、怖くなって私は角材の家の奥に後ずさりした。お兄ちゃんとお姉ちゃんが近づく。私も後ろから覗いた。毛が、妙に色あせて見えた。その体は重く、しなやかではなかった。落ち着かない気持ちで周りをうろうろする。が、いつものようになめてくれない。お兄ちゃんとお姉ちゃんはお乳をねだったが、お母さんは少し顔を持ち上げただけだ。いやな気持ちだった。私は小さい声で鳴いた。持ち上げた顔がこちらを向いた。その目が私を見つめ、閉じた。大きな体は、もう動かなかった。固くこわばり、もう生きていないのだとわかった。私たちはきょうだいだけになった。

 翌日人間が冷たくなったお母さんの体を持って行った。私たちは角材の隙間で息を殺してそれを見ていた。しばらくするとその人間が帰ってきて何かを置いた。そう言えば、このカリカリ、たまにガレージに落ちていた。それを拾って食べたっけ。気が付けば、お兄ちゃんもお姉ちゃんも食べている。私もかじった。かりかりっといつもの音がした。大方食べてしまうときょうだいで丸くなって寝た。耳を澄ませながら、じっとしていた。いつもの音が恐ろしくて、一つ聞こえるたびに飛び上がりたくなった。

 人間は時々あのかりかりを持って来てくれる。別の人間もやって来た。こっちはもっと小さい。こちらも水やミルク、かりかりを置いていく。が、全て私たちきょうだいの口に入るわけではなかった。このあたりを縄張りにしている白いやつがほとんど食べてしまう。

 お姉ちゃんがいつの間にかいなくなっていた。私は不安で仕方がなかったが、お姉ちゃんはふらりと戻ってきて、探検に行って来たのだと言う。そして何とかやっていけそうだからと言って、そのままいなくなってしまった。私はお兄ちゃんにくっついた。でも、お兄ちゃんもこの頃よく角材の下から出て、どこかへ行く。そして、とうとうその日は帰ってこなかった。次の日も、次の日も。どうしよう、私だけがこの下から出られない。でも、三日目、お兄ちゃんは帰って来てくれた。嬉しくて、嬉しくてお兄ちゃんの耳をずっとずっとしゃぶってしまった。

 翌日、小さい人間の一人が角材の下を覗いた。私たちは後ずさったが、しつこく中を覗いてくる。そのうち、がらんがらんと角材を動かし始めた。驚いた私たちは角材の下から飛び出した。

「そっち、そっち」

「捕まえて」

 いつの間にかもう一人の小さい人間もやって来ている。その手にはかご。捕まるものか。もちろん、脱兎以上の脚力とすばしこさでかごを躱す。が、もう一人がタイムリーに箱をかぶせて捕まった。が、敵が油断した瞬間に箱から飛び出す。小さいと思って馬鹿にしてはいけない。その日は無事逃げ切った。

 次の日、あの小さい人間二人がまた手にかりかりを持ってやって来た。そんなものでは騙されない。でも、おなかがすいている。ついついお兄ちゃんが近づいてしまう。私ははらはらしたが、お兄ちゃんはかりかりを諦めて、この日も無事に過ぎた。そして、さらに次の日。小さい人間はしつこかった。角材下から出た私たちは開けてあった車のボンネットの隙間に飛び込んだ。それが敗因だ。退路を断たれた私たちは引きずり出され、今度こそ厳重に箱に入れられた。お兄ちゃんにくっついていたのに、お兄ちゃんからも離された。もう、終わりだ。お兄ちゃんはお兄ちゃんらしい人間に、私はお姉ちゃんらしい人間につかまってしまった。

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