ハデスと遭遇したただの高校生
おっす。俺の名前は獅子堂 空無。どこにでも居る高校3年生だ。とりわけ俺に取り柄は無い。普通だ。俺が言うんだから間違いない。本当だって。
そんな俺が高校の修学旅行でギリシャ行きが決まったときには、少しはファンタジーみたいな光景が見られるかもって喜んだものだ。ああ、思ったさ。友達とみんなで、
「ゲームの世界みたいな場所なのかな? 異世界とか行ってみてーよな。異世界みたいなもんだろ。ギリシャならファンタジーの舞台さながらだしさ」
なーんて言っていたものだ。わくわくしていたさ。神殿跡やら、実在したものはしたんだから。
それが、まさかあんなことになるなんて。
その日、俺はギリシャの町中の風景を眺めてきょろきょろしていた。ものめずらしさは当然ある。観光客丸出しの動作というやつだ。やる人はやるだろう。周りの景色が見知らぬ異国の光景なのだから。
それは交通安全の為とか周りを注意しての行動ではなかった。むしろ逆だった。色々なものに興味を引かれて注意が散漫になっていた。浮かれていた。
そして、日本と違う交通ルールがわからなかった。
気がついたら、「ドン」という音がしたことまでは覚えている。そこから先の記憶は無い。
真っ暗闇。何も見えない。記憶も途切れている。気絶でもしていたのだろうか。
ふと目を覚ます。暗闇の中、火による明かりが灯されている。…さすがにランタンは現代でも一般的ではないだろうが、ギリシャでは使われているのだろうか?
「目が覚めたか。日本人」
まるで地獄のそこからでも響くかのような低い声。日本語だった。俺は声を受けて辺りを見回す。
「そうだが、あんたは誰だ?」
俺は椅子に座っていた。その正面の高台の上に豪華な椅子があり、そこに座っている・・・者が居るのを確認した。その姿は黒いローブに包まれ、顔はまるで死人のように白かった。内心、その男の全身から黒いオーラが立ち上っているように感じられる。
なにこれ。コスプレ? 日本文化万歳でいいのかな。俺、もしかして歓迎されてる?
「俺様の名はハデス」
なんだか聞いたことがありそうな名前が出てきた。キャラ作りかな。俺も返しの言葉を考えてみよう。…俺、どういう状況なんだろ。
「あぁ、あんたがあの有名なハデス」
「いかにも」
ハデスが満足そうにうなずく。
「俺様も有名なものだ。遠く異国のものにまで知れ渡っているとは」
中々役に入っているようだ。状況はよくわからないが、俺も合わせてみよう。
「そう。あんたは冥府の神として俺達の国でも知られたものだ」
俺はなんとなく知っている知識で話をしてみる。間違ってはいないはずだ。
「それだけではないが、良いだろう。では、お前はなぜここに居るのかを理解しているのだな」
ハデスより唐突にそのような返答が来た。これだと自分は冥府に居ると言う事になる。
「今の自分? …え?」
冥府に居るとでもいうのだろうか。
「お前は死んだ」
「はぁ、さようでございますか」
俺は気の無い返事を返した。なるほど。ギリシャツアーに、ギリシャ神話の体験イベントでもあったのだろう。気がついたら自分は参加していたというあたりか。
「そこまで己の死に無頓着なやつは初めてだな。お前の国のものは皆そうなのか?」
ハデスが興味深そうに俺を見ている。アドリブの利く役者さんだなぁ。
「へぇ、そうでございます。人生至る所に…えーとなんだったかな。青山ありと。どこで死のうとそこが墓だから細かいことは気にするなと言う、こんな言葉だったかな」
ハデスが目を細めて俺を見る。青白い顔色だが体調が悪いのではなく、役作りのための化粧か何かなのだろう。よくできている。周りの椅子やら台座やらランタンやら。
と、そこに誰かがやってくる。全身黒いローブですっぽり被さり、どのようなものなのかわからない。
「主よ、後の者達が支えております。が、そこの者とのやり取りが痛くお気に入りの模様。いかがいたしますか?」
全身黒いローブの男が恭しく礼をしながら傅き、言葉を放つ。
「カロンか。ふむ、日本人よ、しばしそこで待て」
ハデスが俺を手で制し、カロンと呼ばれた者の背後に呼びかけ始めた。
一人の男が現れる。現地の人だろうか。
「お前は善人なのか。俺様は善人を好かぬ。とっとと行くのだな」
ハデスは一目見るなり男を奥の通路へ通した。…どこへ行く通路だろうか。先が真っ暗で見えない。
「次の者。出てこい」
ハデスのその一言で、またカロンの背後から男が出てくる。
「何だ。お前は悪人か。俺は悪人を好かぬ。さっさと行け」
ハデスはまたも一目見るなり男を奥の通路へ通した。…先ほどとは別の通路だが、話の内容から行き先は違うのだろうか。
ハデスは次々と人を通してゆく。やがて、カロンが一礼して消え去った。
「さて、日本人よ。渡し守が戻ってくる間が俺様の自由だ。では尋ねよう。お前を」
なるほど、俺はまだ名乗っていなかった。
「俺の名前は…」
俺は名を名乗ろうとした。
「なるほど、おまえは何者だ」
俺は何を問われたかわからなくなった。