第4話 宇宙のグルメ
撤退から二十時間がたち、アラームが半睡眠状態の夢心地から意識を叩き起こした。
「んな……」
『おはようございます。救助隊の艦艇レーダー波を探知しました。あちらの受け入れ準備はできているようです。相対速度を落とし、合流準備をします。対ショック』
「あぁ……はいはい。起きろ、お嬢ちゃん」
寝ぼけたまま隣の少女の肩を揺らす。
「う……ぐ、いたっ」
起きてすぐ、うっかり目を擦ってしまい、小さく悲鳴を上げた。
「え、あれ、誰!?」
「お前を助けた欲の強いお兄さんだ。ベルトをしろ、減速する。エクスカリバー、できるだけゆっくり減速するんだぞ。傷が開く」
『善処します』
YESと言わないのは、NOということだ。精密操作だから調整はできないと。仕方ない、とため息をつく。
女の子がベルトをギュウと掴む。不安なのだろうか。不安なのだろう。見知らぬお兄さんと密室に二人きりだ。怖くないはずがない。お兄さんは少女の誘拐犯呼ばわりされないかが怖いよ。
『減速開始』
機体の姿勢が変わり、減速。二十時間前、カタパルトで打ちだされたのとは逆方向のGがかかる。体が引っ張られ、吹っ飛びそうになる体をベルトが押さえつける。
「っ!」
小さな吐息、血の玉が無重力に浮かぶ。優しく、とオーダーしたはずだが。それでも衝撃で傷が開いたようだ。
「痛いか。もう少しの辛抱だ」
「……うん」
無事な方の目に涙を浮かべる少女の頭を優しくなでる。煤と乾いた血が手について撫で心地はあまりよくない。汚れた指同士をこすり合わせて、前方の艦へ救助信号を送る。
『救助艦から通信。回線開きます』
『前方の民間機へ。そちらが二十時間前、三十二番宇宙港より通報し、離脱してきた機体で間違いないか』
「はい。間違いありません」
正面方向、遠くに見えるのは赤い艦と白い艦。赤は救助隊の船で、白が警察のもの。わかりやすい。しかし、遠目に見ても立派な艦だ。中はさぞ快適なんだろう。
『当艦の艦底ハッチを開放する。赤いほうだ、間違うなよ。そこから中へ。負傷者を引き受けよう。速度を落とす。クルーは手近なものに掴まれ! 怪我するぞ!』
「了解」
移動中の艦に、相対速度をできるだけ小さくしながらゆっくりと接近。船体に触れるほどの距離になってから、スラスターを操作して艦の正面から下部にぐるりと回り込む。
艦底中央部分に光の漏れ出す穴があり、そこから棒が飛び出ていた。たぶんあそこだろう。棒に位置を合わせて、機体の腕を伸ばして掴む。すると穴の中からアームが飛び出て、肩と足が固定され、そのままゆっくり中へと引き込まれた。
機体が完全に中へ収納されると、ハッチが閉じる。中の空間は広く、市販の最大サイズのシェルが三つ分入るくらい。標準サイズのこの機体なら、壁にぶつける心配はなさそうだ。
『空気の注入を開始する! 完了まで六十秒! それまで外には出るなよ!』
通信に男性の怒声が割って入る。六十秒の間でベルトとヘルメットを外して待つ。隣でごそごそと動き続けてたのを見て、外せないのか、と思ってついでに少女の分も外してやる。
『空気注入完了。コックピットを開いてください』
座席下の、コックピット解放レバーを引く。少しずつ正面の装甲がずれていき、完全に開くと、若い男性が顔を覗かせた。
「けが人はどこに?」
「こいつだ」
少女の背中に手を回して、コックピット外へ軽く押し出す。それを男性が優しく受け止めて、担架に寝かせて体を固定。そのままどこかへと運んでいった。
「さて、俺も降りていいかな。長い間缶詰で体が石みたいだ」
「もちろん。最寄りの宇宙港まで、好きなだけ休んでください」
機体の電源を切り、エクスカリバーを携帯モードに変更。コックピットから這い出して、伸びを一つ。バキベキ、とえげつない音が体の内側から鳴り響く……笑ってしまう。
ともあれ、これで一仕事終わったわけだ。
「ところで、機内に散らかってるこの……色んなものは?」
「ああ……犠牲者の遺品だよ。ほっといたらデブリになるから拾えるだけ拾っておいた」
「宇宙であろうと、拾得物の横領は犯罪ですよ」
「わかってる。遺族に渡すつもりで回収したんだ」
もちろん少しだけ、善意の行動への礼はもらう。タダ働きさせられて、テロの片棒担がされて、命からがら逃げだしても、今月の家賃を払える分の金はない。いくら「いいこと」をしても、金がなければ家を追い出される。英雄ってのはつらいね。
「警察に任せればよいのでは?」
「どのみち警察には情報提供しなきゃならん。そのついでにどうすりゃいいか聞くよ。ところで、食堂はどっちだい? 暖かい飯が食いたいんだが」
「……こっちです」
艦のクルーに先導されて、食堂へ。広くて、清潔で、立派な食堂だ。狭くて汚いコックピットで食うより余程うまいんだろうな。期待に胸が躍る、美味い飯というのはいつだって心を豊かにしてくれるものだ。
「クレジットカードを通して、好きなメニューを頼んでください。私はやることがあるので失礼します」
「ありがとう」
廊下をするりと泳いでいく職員を見送ってメニューを眺める。
『ご主人様。並行する警察艦より事情聴取の要請があります』
「飯食ったら行くと返事してくれ」
『今すぐ来い、と』
なんて横暴だ。こっちは辛い思いをしてここまで来て、ようやく暖かい飯にありつけるというところなのに。全く何様のつもりだ……警察様か。
「通話モード起動」
『了解』
「こっちは二十時間もガキと二人で狭いコックピットに缶詰だったんだぞ。飯くらいゆっくり食わせてくれても罰はあたらないだろ?」
『情報は一秒でも伝達が早いに越したことはない。食事ならかつ丼を用意しよう。そちらの艦のものより美味いぞ』
「すぐに行きましょう」
うまい飯とあらば行かざるを得ない。とん、と壁を蹴って来た道を戻り、ガレージへ急ぐ。
『現金ですね』
「うまい飯は大事だぞ。機械にゃわからんだろうが」
『味はわかりませんが、食事には単なる栄養補給以外にも、精神衛生上重要な意味があることはわかります』
「わかってるじゃないか」
『ただ、警察にかつ丼というと、予測検索の一番に取り調べが出てきます。犯人と疑われているのではないでしょうか』
「知らずにテロの片棒を担がされたのは間違ってないが。あれは虚偽依頼で、俺だって被害者だ。話せばわかってくれる」
『その言葉を残した人は、話し合いの前に殺されましたが』
「……大丈夫、相手は警察だ。暴徒じゃない」
『警察も暴徒も人間ですが』
「行くぞ。飯が待ってる。それに、いずれ話さなきゃならんのだ。面倒なことは早めに済ませたほうがいい」
『ご主人様がおっしゃるなら止める権利はありません。万一の場合に備えて録音はさせてもらいます』
ハッチまでたどり着いて、外出の許可を取る。一分と待たずに許可が出たので、機体にもぐり、コックピットを閉じてヘルメットを被る。ケージの中が真空になると、機体を固定するアームが伸びて、機体を艦の外へ運び出す。
さあ行こう、美味い飯が待っている。
……しかし、待っていたのは犯人扱いの尋問だったとさ。カツ丼なんてどこにもなかった。エクスカリバーの機転のおかげでなんとかなったが、もう二度と警察には協力しないと固く誓った。