第2話 おおきな悲劇とちいさな悲劇
『何をしているのです。早く離脱を』
しばらく放心状態だった俺に、エクスカリバーが声を掛ける。ああ、この惨状を見ても何も思わず、離脱を勧めるのか。さすが血も涙もない機械だ。頼りになる。
「やることがある」
自責の念からくる吐き気をこらえながら、ヘルメットを被り、パイロットスーツを気密モードにしてコックピットを開く。
『何をしようというのです』
「責任を果たす」
『あなたはテロの幇助を行いましたが、それは騙されてのものです。あなたに罪はありません』
「気持ちの問題だ。言ってもどうせわからんだろうが」
『はい。あなたの気持ちはわかりません。しかし、あなたのやろうとしていることはわかります。生存者を保護してどうするのです。この機体には収容できるスペースなどありません。コックピットに無理に押し込んでも、最寄りの宇宙港まで、酸素も一人分しか持ちません。探している間にどこかが崩壊して巻き込まれる可能性もあります』
「酸素ボンベならそこらにたっぷり浮いてるだろう。緊急避難だ。盗んでも許される」
『あなたを止める理由が他にも複数ありますが』
「止めても無駄だ。酸素が切れる前には戻る。そこの扉を開けろ」
座席を蹴って、無重力に飛び出すと、無人操作の機体が後ろからついてくる。崩壊した通路入口、隙間を通ろうかと思ったが、こじ開けるほうが安全そうだ。
命令すると機械の腕が伸びて、マニピュレーターが扉にかかる。エクスカリバーが操る強靭な機械の腕が、歪んだ扉を周りの壁ごと引っこ抜く。真空なので音はせず、破片だけが無重力に舞う。
通路に侵入して、ダウンロードした港の地図を見ながら壁伝いに泳いでいく。最初の爆発で壁のあちこちに穴が空き、裂け目から暗い宇宙が覗いている。
バラバラになった死体は爆発で巻き込まれて死んだ人、綺麗な死体は窒息死した人のもの。全部が俺のせいじゃないが、その責任の一端はある。
きらめく指輪をした左手が目の前を通る。こみ上げる感情を抑え込んで、前に進む。
進めば進むほど、テロを起こした連中の周到さがよくわかる。そして怒りが湧く。コンテナは分類タグで仕分けされる。圧縮空気ならば換気ブロックに、食品なら居住ブロックに、機材の部品ならメンテナンスブロックに。その隅々に爆薬コンテナが行き渡った時間を狙って爆破したのだろう。でなければ、これほど全域にわたって被害が及ぶなど考えられない。
……幸か不幸か、生存者は今の所見えない。エクスカリバーの言う通り、俺のシェルは一人乗りだ。収容できるのは一人や二人が限界だろう。もしも何人も生存者がいた場合、俺は彼らを見殺しにしなければいけない。
その覚悟はあるか? と自分に問えば、そんなものはない。だがやらねばならない。
死体以外と出会うことなく避難用シェルターまでたどり着いた。この先に、きっと誰かが居てくれるはず。生きている人が居てほしい。
「オープンセサミ」
エアロックの一枚目の扉を操作。漏れ出た空気に体が押される。部屋の電源は生きていて、構造も歪んでいないおかげで、生身でこじ開けるなんて野蛮な真似はせずに済んだ。
中に入り、後ろの扉をしっかり閉める。ブシュゥ、と空気が注入され、加圧が完了し、奥の扉のロックが解除される。
その向こうからは、少女のものらしき鳴き声が聞こえてくる。分厚い扉越しにも聞こえる、ということはよほどの悲劇が待っているのだろう……それでも進もう。声が出せるということは、生きていることが間違いない、貴重な生存者なのだ。
開扉。赤い球がヘルメットにピチャリとついて、花を咲かせた。拾った布で拭き取って、シェルターの中を見回す。まだ人の形をとどめた死体がいくつか。あとは、腹から尋常でない量の血を吐き出す男性と、それにしがみついて泣き叫ぶ子供。
「パパァ! パバァ!! やだよお! いだいよお!!」
泣き叫ぶ子供を置いて、男性に近寄る……が、すでに事切れている。対して少女は、片目に破片が突き刺さり血を流しているものの、生きてはいる。つまり救助対象だ。関係は子供が叫んでいるように、親子。
「……」
彼の宗教は知らないが、十字を切る。形は違えど、冥福を祈る心はどの宗教でも同じのはずだから問題あるまい。それから死体を漁る。もう片方の親にいち早く子供と彼の死を届けられるよう、身分証になるものを探すため。
右手には血まみれの名刺。書いてあるのは……リチャード・J・マイヤース。宇宙開拓企業の役員、立派な名前に見合う役職。裏面には、連絡先と、手書きで……『遺産はすべて娘に。リチャード・J・マイヤース』……財布もいただいておく。こっちは後で娘さんに渡すためだ。
「エクスカリバー。生存者一名発見。保護した後機体に戻る。空気の補充はできたか」
『できました。これからハッチへ装備を回収しに行きます』
「パーフェクトだ」
武器さえあれば、あの軍用シェルと出くわしても、多少の抵抗はできるだろう。追い払えるかどうかはさておき。
「さて、お嬢ちゃん。お兄さんと一緒に来てもらうか」
「嫌だ! パパと一緒にいる!」
片目が潰れてるのに元気なことだ。
「彼はもう死んでる。連れていけない」
「嫌だ!!」
駄々をこねる子供に、子供用宇宙服を押し付けたが跳ね飛ばされた。ここもいつ崩壊するかわからない、優しくなだめすかしている時間はない。この際多少心象が悪くなっても構わないと、小さな頭を掴んでたぐり寄せる。
「ここに居たらどうなるかわかるか? 腹が減っても食べ物はない。喉が渇いても飲み物はない。周りに居る人たちは皆どんどん腐って、醜く膨れてあがっていく。空気が汚れて、息ができなくなって。今より何倍も苦しい思いをして、最後には君のお父さんや他の人と同じように、死ぬだけだ」
冷静に、淡々と脅す。コレでだめなら絞め落として宇宙服を着せて連れて行く。
「……お父さん、死んじゃったの?」
破片が突き刺さって潰れた右目。血が溢れ、珠になり、左目から出た涙と混ざってまだら模様を描いた。
「ここに居るお父さんは死んだ」
残酷だがこれが現実。バックアップサービスを使っていればまた会えるだろうが。使っていなければ、この娘は哀れにも幼くして親をなくしてしまったのだ。
「死体は持っていけない。残念だが」
「……うん」
「宇宙服を着るんだ。一人で着られるか」
「うん」
「いい子だ。乱暴にして悪かったね」
頷いて、先ほど自分が弾いた宇宙服まで泳いで、四苦八苦しながら着用する。その様を見て思うことは、百の死体を見るよりも、一人の生者を見るほうがよほど辛い。罪悪感から吐き気がしてくる。いっそ死んでいてくれれば、こんな思いをせずに済んだのに。そう思う自分にも吐き気がする。
「エクスカリバー」
『私がいい子なんて、何を当たり前のことを言っているんですか』
「お前に言ったんじゃない。」
『冗談です。ハンガーの武装は回収できませんでした。どれも使い物になりません。テロリストはよほど大量の爆弾を使ったようですね。港のダメージは極めて深刻で、これでは再生は不可能でしょう』
「……武器、買い直したらいくらかかるかね……」
『計算しましょうか?』
「いや、いい。そこらに使えるものがないか探しておいてくれ。少し寄り道する」
計算結果を聞いても虚しくなるだけだ。赤字分は……犯罪スレスレだが、遺品ビジネスでもしよう。道中の死体から指輪や時計、財布を剥ぎ取れば赤字分は埋められる。死体には必要のないもの。
俺は一体、あとどれだけ罪を重ねればいいんだろう。罪悪感で死にそうだ……しかし世界の仕組みには情けがない。生きるためにはどうしても金が必要なのだ。
「あの……着終わりました」
もしこの世に神がいるのなら。この一つの善行で、ここでの罪を許してもらいたい。