第1話 オープニング 哀れなるろくでなし
ヘルメットを外して手を離すと、無重力の中でふわりと漂う。それを見ながら、外部から注入された新鮮な空気で深呼吸。固定ベルトを外して自分も宙に浮き、だらりと手足を弛緩させてリラックス。
生きている、という実感がわいてくる。
『一仕事終えてのんびりしてるところを申し訳ないのですが。今回の収支報告をさせてもらってもいいでしょうか』
「……」
ふわふわと浮ついた気分が一気に重力に引き戻され、落差に打ちのめされる。現実を見ないといけない、というのはわかっているとも。
『まあ、ご覧のとおりです』
目の前に映し出されるのは、今回の依頼報酬から使用した消耗品の補充費用、修理費を差し引いた額。丁寧に赤く色をつけて、マイナス記号のあとに数字が並ぶ。
「……口座にいくら残ってた」
『家賃を取るか、食費を取るかですね』
家賃が払えなければ家を追い出される。飯を食わなきゃ生きていけない。どちらをとっても死活問題。
『報酬の増額交渉をしてきます』
「頼りになるな。お前が生身なら結婚したいくらいだよ」
『ボディをご購入なさいますか? セール中ですよ』
「そんな金ない。機体の維持だってギリギリなんだぞ」
『ローンも可』
「さっさと行け、エクスカリバー。名に恥じない活躍を期待してるぞ」
『持ち主が素晴らしければ名前負けしない活躍もできるのですが。残念ながら……』
「俺がどうした」
『行ってきます。良い知らせを期待しておいてください』
AIのくせに、なんと嫌味な性格をしたやつだろう。買った当初はまだマシな性格だったのに、自己学習の末にこんな風になりやがった……悪いのは教師。つまり、俺が悪いということか。クソッタレ。
携帯端末で弾と燃料の補給依頼を出し、コックピットを開いて外へ。全高5メートルほどの、ゴツイ宇宙服《俗名はシェル》を振り返って見れば、あちこちに弾がかすった、当たった痕だらけのボロボロだ。いい加減修理してやりたいが、金がないのでなかなか手が付けられない。
無重力ブロックから有重力ブロックに入る。全身の肉が鉄にすり変わったように重く、鈍くなる。さぁと音を立てて、血液が上から下へと流れ落ち、ひどい立ちくらみが引き起こされた。
「うぅ……」
壁の手すりによりかかって耐えて、楽になるまでそのまま……マシになった。現在時刻は、UTC:16時。出撃前が6時だったから、腹も減っている。
通路を進み、手ごろな値段の店を探して。のっぺらぼうのアンドロイドに案内されて席に着く。さて、何を頼もうか、とメニューのホログラフィーを開いたら、携帯端末がブルブルとポケットの中で震えた。テーブルの上に置くと、音声が流れる。
『ただいま戻りました』
「どうだった」
『マイナスがゼロになったのと、脳の電子チップ化の割引チラシをもらってきました』
「なんでそんなものを」
『うっかり死んでも生き返れますよ。バックアップボディはハードスキン(無機物)とソフトスキン(有機物)が選べるそうです』
「営業熱心だな」
『子《商品》が親《企業》孝行するのは自然なことです』
「考えておくよ」
「おまたせしました、サンド・コーヒーセットです」
アンドロイドのウェイターが、トレーから皿に乗ったサンドイッチとコーヒーをテーブルに並べだしたので、機器を脇に退ける。
「……新しい仕事を受けなきゃな」
『仕事のリストも追加で持ってきてます』
「気が利くな。さすがだ」
『ありがとうございます。これを機に、私のアップグレードをご検討なさってはいかがでしょう。これまで以上にお役に立てますよ』
「はいはい」
とりあえずコーヒーを啜る。マズイ、これなら水を飲んだほうがマシだ。
「さて、次は……何をしようか」
俺たち傭兵に出される依頼の種類は大きく分けて三つ。
定期輸送船の護衛。金払いはいいが、悪党に襲われたら退治しなきゃならない。
緊急宅配便。個人依頼だから手間の割に報酬が安い。
屋外《宇宙空間》作業。輸送船の荷物の積み下ろし等。危険は低く、拘束時間も短い。その分報酬は安い。
サンドイッチをかじる。野菜がしなびてる、パンが水分を吸ってベトベト。さては作り置きだな。
『それで、何の仕事を受けられるのでしょう』
「屋外作業。それしかないだろう」
『リストを表示します』
端末に依頼のタイトルが表示されて、その横に金額が表示される。危険度の少ない仕事だから、報酬もそれなりのはず……なんだが、一件だけやけに高い。具体的には桁が二つほど違う。詳細を開くと……やっぱりスパムだった。
「削除」
その一個下にある安い仕事の詳細を開く。
怪しさのかけらもない、輸送船のコンテナの積み下ろし。とりあえず今週は乗り切れそうだ。
「これだな」
『では依頼取得しておきます。依頼主からの連絡をお待ちください』
この仕事を終えたら、次はもう少しいいものを食べよう。
宇宙での作業をより安全に。より便利に。シェルとはそういう理念で開発されたものだ。
で、実際使ってみてどうかと言うと。本来の使い方だけあって便利。無重力下で大きなコンテナを積んだり下ろしたり。大がかりなクレーンも必要なし。小遣い稼ぎの同業者たちが輸送船に群がるだけで、次から次へコンテナが船外に持ち出されて、ベルトコンベアに磁力で固定される。
一仕事終えてから、少し港外へ出た。通行の邪魔にならない位置に機体を置いて、機内で星を見ながら一服。水だけど。
「エクスカリバー、この港で飯が美味い店は」
『どれも似通った評価です。通常航行で四十時間の別の宇宙港に、少し値段は張りますがいいお店があるようです』
「そうか……じゃあ、家に帰るか」
『荷物は三番ケージにありますよ』
機体を外壁から離して方向転換。行き来する船の合間に割り込もうと、機をうかがう。
閃光、赤い炎が搬入口から柱のように生え出て、行儀よく順番待ちしていた輸送船を、キャンデーを一気に口に入れるみたいに丸のみにした。漏れ出た空気が伝搬した爆発の余波で機体が揺れる。
『警告。港内で空気漏れ、ガス漏れ、火災、隔壁破損、外殻破損が発令されました。状況から推測、テロの可能性があります。直ちに安全な場所へ避難してください』
「な、なに!?」
衝撃と混乱警告に従って、いったんまだ無事な壁を蹴って、そこらを漂うデブリを掴み盾の代わりに港へ向ける。二次爆発への備えだ。
「何が起きた」
『ですから、テロです』
「なるほど」
なんて、言ってる場合じゃない。
『機体操縦権移譲、退避、退避』
機体の操縦権がエクスカリバーに移り、盾にしていたデブリを蹴り飛ばし、船体に大穴が空いた輸送船にもぐりこんだ。
『動力カット。しばらく動かしてはいけません』
機外の様子を映すモニターに、船員たちの死体が浮かぶ。彼らの理不尽な死を悼み、十字を切った。
「それはともかく。なんでいきなり操作を替わった」
『レーダーに反応がありましたので』
眺めていると人工物が、隙間から一瞬だけ覗いた。
軍用シェル。機械化騎兵とも呼ばれるそれは、最初からその用途を殺戮にとがらせて設計されているため一目でわかる。
『どうなさいますか』
「様子を見よう」
どうして軍がここに居るのか。このテロはどこかの軍によるものなのか。それとも偶然近くに居た軍が駆け付けたのか。前者であれば理由がわからないし、後者であれば早すぎる。
ただ、あれがテロリストだとして、正義感にかられて殴りに行く、なんてことはしない。英雄になる前に、ソラに煌くお星さまの仲間入りを果たすだけだ。
『画像の照合が終了しました。現在どこのメーカーが発表している型とも一致しません』
「新型? それともテロリストの改造機?」
『不明。一瞬の画像だけでは判断材料が不足しています』
何度も言うが、どうしようもない。俺にできるのは目撃者として、この事件の情報をしかるべき場所へ報告することだけ。
『誰か、助けてくれ! 正体不明の機体に襲われ』
全周波数帯への通信が入って、途切れる。不運な犠牲者がまた一人、黙祷をささげる。
『通信の識別は、港湾警備隊のものでした』
自分の判断が正しかったことが、たった今証明された。同時に、この残骸に機体を隠してくれたエクスカリバーに感謝する。そうしてくれなければ、真っ先に見つかってデブリの仲間入りを果たしていただろう。
『生存者に告ぐ。今から600秒間、投降を受け付けている。武装を解除し、出てきなさい』
合成音声で投降の呼びかけが行われるが、テロリスト相手にのこのこ出ていったら、どうなるかなんてわかりきっている。機体の中で、じっと動きを止め時間が経つのを待つ。
『……大丈夫だ! みんな出てこい!』
喜びに満ちた男の声。本当に出ていっても大丈夫、と思っているのか。それとも極限状況とは、こうも思考を鈍らせるものなのか。
『駄目ですよ』
「わかってる」
そして、十分が経った。
『協力に感謝する』
残骸の隙間からマズルフラッシュが連続で瞬く。閃光がなくなって少ししてから、シェルが一度目とは逆の方向へ流れていった。さらに数分待って、ようやく外に出た。
まず目につくのは、おびただしい数の、人だったもの。
次にコンテナの破片。それらのいくつかは内側から爆発したように、ひしゃげている。しかもそのいくつかは、俺が依頼を受けて、積み下ろししたもの……食品用コンテナと書いてあったモノだ。
「……畜生がッ! クソテロリストが! テロの片棒担がせやがったな!!」
やり場のない感情の激流をこらえきれず、叫びながら拳に込めて、手近なものに振り下ろした。