幽霊とスイーツ
死装束で寝ることが近頃のマイブームである。
白無地の浴衣を着て、襟を逆向きに合わせる。布団の上に仰向けになって掛布団を腹のあたりまで引き上げる。その腕に軽く手を組んで置く。これが一番落ち着いて、よく眠れるのでやめられない。今は三角巾までつけるべきか検討中である。
その日の夜も、死装束で布団に入っていた。満月の綺麗な、静かな夜だった。しかし、私はウキウキしてしまって、心の中が騒がしかったので、なかなか眠りにつけなかった。
なぜなら、その翌日は地元に新しい洋菓子店がオープンするからだった。開店祝いのため、数量限定スイーツも配布される。私は朝から並ぶ予定だった。だから早く眠りたかったが、さすがに心臓の音は自分では調節できない。
腹の上に手を組んで、暗い色の天井を眺めながら、そこに明日発売される予定のケーキを思い浮かべた。いちごのツヤ。ふんわりとしたシフォンケーキ。純白のクリーム。触れそうなほどリアルに頭の中に再現して、口の中をヨダレで濡らした。安らかな気持ちで目を閉じ、夢の中でそれを頬張った。
窓から差し込む光で目を覚ました。空も飛ばそうなほど体が軽くて、気持ちのいい朝だった。壁の時計は午前6時を指している。予定していた通りだった。早く着替えてお店に行かなくては。
そう思って布団から立ち上がった途端、私は驚きと恐怖のために動けなくなってしまった。
今まさに、自分が寝ていた場所に、人の死体があったのである。
白い死装束を着て、腹のところで丁寧に手を揃えている。だらしがないことに、その死体の口元はヨダレでベタベタに汚れていた。顔が全体的に緩んでいて、ああ、この人は美味しいケーキの夢でも見ながら死んだのだなあとちょっと羨ましかった。
それほどまでに幸せな死に顔だった。しかし、私はその顔に見覚えがあった。
「とりあえず救急車……いや、死んでるから警察?」
携帯電話を探して、カバンの中に手を突っ込む。しかし、そのカバンは白い手にひったくられた。
「キャッ、泥棒!」
と叫んで携帯電話を探す。しかし、それはひったくられたカバンの中に入っていたと思い出して青ざめた。そして泥棒の姿を凝視してさらに青ざめた。
泥棒は私の布団で死んでいたはずの人だった。
彼女はカバンの中から財布を取り出すと、ニンマリと笑った。それから寝室に戻り、なめらかな動きでタンスから私の服を取り出した。死装束を脱いで布団の上にほったらかし、軽やかに服を着て、化粧までして、あっという間に外に飛び出していった。
そこまでの動きがあまりの早業で、私は呆然とそれを見ていた。そして、彼女が外に飛び出して行くときにようやく、
「この泥棒! 脱いだ服をほったらかしにするなんて!」
と叫んで、彼女を追いかけた。
玄関まで走って行くと、タイミング悪く扉が閉まるところだった。そのまま扉を押し開いて追いかけようと思った。しかし、扉は開かず、私は前のめりに倒れた。不思議と痛みはなく、難なく立ち上がる。どういうわけか私は部屋の外に出られていた。だが、そんなことを疑問に思っている余裕はなかった。
「こらあ! 待ちなさい!」
私はあの泥棒を捕まえなくてはならない。
泥棒を追っていくと、例の洋菓子店に行き着いた。開店3時間前だというのに、店の前はすごい人だかりだった。6時起きでは間に合わなかったようだ。しかし、この店のスイーツはそうしてまで手に入れる価値のある。私は同志たちに心の中で敬礼を送った。
さて、泥棒はどこに逃げたのかとキョロキョロしていると、なんてことだ。彼女は限定スイーツを求める同志の列に並んだのだ。これ以上どこかに逃げようとはしていない。
「わかったわ! あなた、私から服と携帯を盗んだだけで飽き足らず、私の財布でスイーツを食べようっていう腹なのね!」
私が憤慨して彼女の前に仁王立ちすると、例の泥棒はようやく私のほうを見て、にんまりと笑った。その顔を見て、私はなぜかぞーっとした。
「馬鹿な女。あんたはそれ以上に大切なものを盗まれているのよ」
泥棒はそう言って、私を指さした。私は寝巻のままだった。つまり、死装束のまま。なんて格好で街に出てきてしまったのだろうと恥じたが、周りの人間は誰一人として、私のことを見ていない。
私は改めて、泥棒の姿を見た。彼女は、私だった。見覚えがあるなんてものじゃない。正真正銘、私だったのだ。
「私は、幽霊。この店の限定スイーツを食べるためによみがえったのよ」
私は結局、限定スイーツが顔も知らない幽霊に食べられているのをただ見ていることしかできなかった。その顔の幸せそうなことと言ったら……。
「あなたがいけないのよ。あなたは生きているのに、まるで死んでいるような格好をしているから」
「どんな格好で寝ていようが、私の勝手でしょ」
「……死にたいのかと、思ったの」
気が付くと、私の体は元に戻っている。少し寂しげな声音を残して、奇妙な幽霊は消えた。
私の家には程よい太さのひもがいくつかある。それを首に絞めて、しばらくすると、段々と体の力が抜けていくのを感じる。息苦しさはあまり感じない。だが、喉の奥から、がーっがーっと変な音がして、これがどういうわけか、とても恐ろしい。
私のタンスには一粒の宝石もありはしないし、会社ではそれこそ幽霊のよう。
どうしようもないのに、私は死ぬことができない。だから、私は死装束を着る。寝ている間に死神か何かが私の魂をそーっと持ち帰ってくれるんじゃないかと、そんな馬鹿な期待をするから。
がらにもなく感傷的になった。皿の上には、例の限定スイーツが一切れだけ残っていた。私はそれを大切にほおばった。
幽霊が残していったスイーツは、泣きたいくらいに甘かった。