婚約者、襲来。
荷物を取り戻すとクルーシェは少しだけ安心した。
このダサいドレスともおさらばだ。
しかし、他の服もまた、あのお屋敷に似合わないであろう貧相なドレスだ。尚更早くお屋敷の侍女になって制服で隠したいものである。
「遊びたいけど、面倒事を先に片付けないとね。」
イクスがそう言って、残念そうに再び馬車に乗った。
「はい。終わりましたのなら、疲れ果てるまでお付き合いしますわ。」
クルーシェがそういうとイクスは笑う。
「ホント、クルーシェって面白いね。」
そういうものだろか?
クルーシェ自身は自分の面白さは全くわからないが、イクスがそう思うのならばそれでいいと納得する。
わざわざ限りなく庶民に近い男爵令嬢を友人にしたいだと、よほどの変わり者なのか孤独な人なのか、いまいちまだイクスという人物が掴めていない。
屋敷に着き、馬車から降りてくる時だった。
屋敷にいた従者が慌ててやってくる。
「ティアナ様がお越しです!」
只ならぬ雰囲気に、クルーシェもピンとくる。横目でイクスを見るが、今も涼しい顔で微笑んでいた。
扉を開けるとそこには美少女がいた。多分この美少女がティアナ様で、イクスの婚約者なのだろう。クルーシェは目立たぬよう三歩後ろに下がった。
バシッ。
玄関ホールに鞭のような音が響く。
「分かっていますよね。」
頰を叩いたティアナが、頰を叩かれたイクスに語りかける。
「ああ…。」
ティアナは言葉少なく、それだけを言ってイクスを通り過ぎた。
ティアナがクルーシェの元へ近づいていく。
クルーシェは逃げ出したい。しかし怯んで動けない!
少し背の高いティアナが姿勢を正したまま、猫背のクルーシェを見下ろす。
「貴女も気をつけて。あの方はかなりの変わり者ですから。」
冷たい視線がクルーシェを突き刺す。
「確かに…」
思わず本音が飛び出してクルーシェは慌てて口を塞いだ。
恐る恐る視線を上に上げると真っ赤になったティアナがぷるぷると震えていた。
「…貴女に何がわかりますの?あの男のせいで私がどんな思いをしたか、ご存知?いっつも笑っていますけど、あれは仮面ですからね。裏では何を思っているのか。自分が興味がないとあれこれ画策しては早く切り上げようとしますし、かと言って自分から私に何かする気は一切ない、基本的に自己中心的な考えですから。しかも王太子に御不況を買って私共々肩身の狭い思いを…特に昨日のように婚約者を放って帰るなんて…私がどれだけ惨めだったか…」
長いまつ毛が濡れていく。こんな美しい人を泣かせるなんて、イクスが極悪人に思える。
「ティアナ様は美しいだけじゃなく、常識人なのですね。」
また余計なことを言ってしまい、クルーシェは口をまた手で塞いだ。
「そう、私は常識を持っているの!貴族として、王族の婚約者として、ずっとマナーを守ってきたというのにあの男は!」
そう言ってティアナがイクスを睨みつけた。
「しかし、私はその変わり者なところに救われたので…」
イクスへ向かう敵意をどうにか自身に向かうようにとクルーシェが言葉をかける。
「せいぜい、貴女も振り回されるといいわ!」
最後の捨て台詞のように、またまたクルーシェは答えてしまう。
「どちらかと言うと…私が振り回してしまいそうなのですが…」
ハッとした時にはもう遅かった。どうか思ったことを飲み込む忍耐強さが欲しいものである。
「それの方が愉快ね。イクスを散々振り回してちょうだい!」
しかし、結果、平和的に向ってなくもないだろう。
「はぁ…頑張ります…」
最後になるだろう会話をこなして、ぷりぷりしながら屋敷を出て行くティアナをクルーシェは見送っていた。
「ごめん。」
いつのまにか真横に立っていたイクスに謝られる。
「…きっと私に言う言葉じゃないですよ。」
クルーシェが背の高いイクスを見上げ言った。
「君にも言わなければいけない言葉だよ。」
イクスの横顔はいつものように微笑んでいて、ティアナの言っていた言葉が思い起こされた。
仮面の笑顔…
「あの方はきっといい奥さんになる方ですよ。勿体ないことをしましたね。」
ティアナが言っていたことがそのままなら、傷つけたイクスが悪いと思う。
それにティアナは怒りであんな風になっていたが、話していて悪い人じゃないような気がした。
「そうだね。僕が非常識だったばかりにね。でも良かったんだよ、きっとこれで僕とは縁が切れたんだから。」
最初からこれが目的だったのかと、クルーシェはまたもやピンときた。
「ヤマアラシのジレンマ…?」
二人一緒に居れば傷つけてしまうから、か。
「そうだね。」
でもどうにか二人でいられる未来が無かったのか、穏便に済ませることはできなかったのか、疑問は湧いてくるが、それをよく考えてイクスが行動したことなのかも知れない。
イクス様は聡い方だから。
「いつか、傷つかない人、もしくは傷つけられないようにできる人に出会えるといいですね。」
イクスは微笑んでいるがどこか寂しそうな顔をしているようにクルーシェは思った。