9:空を仰ぎ見る少女
エルフ娘たちが住まう家が完成し、彼女たちは新居に移住。旧アーガス宅が少し寂しくなってしまった。
とはいえ今後も食事は一緒にとるし、日中だって誰かしらと顔を突き合わせている。本当に寂しさを感じるのは、夜ひとりで眠るときくらいか。
新居完成から早くも数日が経ち、新たな生活の基盤が整いつつあった。
シエラは主にゴーレムに付き添って、森へと狩りに出かける。彼女のおかげで、これまで融通の利かなかった部分が大幅に改善された。
例えば鶏肉が食べたいと要望を伝えれば、リクエスト通りに鳥の魔物を持ち帰ってきてくれるのである。
またこれまではゴーレムの認識外だった食材を、シエラが採ってきてくれるようにもなった。
「え、このキノコって本当に食べれるの? 毒持ちにしか思えないんだけれど……?」
「食べられるわよ。お湯で半日煮込み続ければ、毒が抜けるの」
「え、この木の実は本当に食べれないの? とても美味しそうに見えるんだけれど……?」
「食べたらお腹を壊すわよ。燃やした煙が虫除けになるの」
彼女の自然に関する知識には頭が上がらない。おかげで使える食材が増え、料理のバリエーションが広がった。
とくにオレンジやレモンといった、柑橘類に似た果実を見つけてきてくれたのはありがたい。
畑については、ミファが積極的に手伝ってくれるようになった。
両親の畑仕事を手伝っていたのかと期待したが、別にそういうわけではないらしい。単純に興味本位なだけのようだ。
「えぇー!? 畑にポーションを撒くのカ!?」
「うん、肥料代わりにね。成長が早いし、素人が作っても美味しく実るんだよ」
「も、もったいない使い方だゾ……」
何気に定期的に撒いている、この赤い上等級のポーション。買おうとすれば金貨を要求される額なんだっけ。
ポーションメーカーが毎日調合してくれるので、貴重感が皆無。必要な材料はゴーレムが逐一集めてきてくれているし、途切れる気配がない。
とくにアーガスさんが亡くなってからは消費が追いつかず、どんどん氷室に在庫が増えていっているほど。空き瓶のストックがなくなったら、そこで一旦稼動を止めるべきかな。
「そもそも、あのぽーしょんめぃかぁ? っていう魔道具からして、意味不明なんだゾ。薬師の婆ちゃんがポーションを作っていたけれど、同じ上等級なら完成に一週間はかかっていタ。それを毎日、安定して何本も作れるなんテ……」
今にして明かされる、ポーションメーカーの異質さ。本職の職人が、一週間で製作する薬を毎日複数本作ってくれる。
俺にとってはポーションメーカーこそが基準で疑問すら抱かなかったが、常識のある彼女たちからすれば狂気の沙汰。まさしく規格外、常軌を逸脱しているというほかない。
「まぁ、おかげで余っているし。ミファも遠慮せず、栄養剤代わりに飲むといいよ」
「苦いからいらなイ。あれを飲むと、胸焼けがして吐きそうになル。……本来のポーションは怪我や病気をしたときに飲むお薬で、栄養剤として毎日飲むものじゃないんだゾ」
さりげに勧めてみたが、やっぱり断られた。その上、正論っぽいことまで……。
飲みやすいよう、アーガスさんのレシピに蜂蜜でも加えてみようか? ジュースみたいに飲めるなら、ミファは考えを変えそうな気がする。
ミファの指摘を受けてよくよく考えてみれば、この畑で出来た作物はとんでもない贅沢品なんだよね。
ポーション栽培は素人でも簡単にできる画期的な方法と捉えていたが、本職側の観点からすればあまりにも邪道すぎる。
商売を前提に考えたなら、間違いなく破産確定の赤字。元手がタダだからこそ気楽に行っていたが、世の多くの農家さんにとっては実現不可能な手段でしかない。
農家さんたちだけでなく、本来の用途で薬を必要としている人たちからも反感を買うのは必至だろう。
草むしりをする手を止め、タオルで汗を拭う。ぶっ通しで雑草を駆逐し続けるミファは、なんてタフなのだろうか。
……お願いだから、作物の芽だけは抜かないように気をつけてくれよ?
ふと視線をエルフ娘たちの家に向けると、開けた木窓からこちらを眺める視線があった。あのおっとりとした優しい瞳は、フィエリだ。
彼女の表情はどことなく寂しげで、まるで喜楽の感情をなくしたお人形さん。
理由は言わずもがな、わかっている。彼女には自由に飛び回れる翼がないのだ。獣に片翼を捥がれた、憐れな籠の鳥なのである。
彼女の姿を見ているだけで切なくなり、堪らずに近寄って声をかけた。
「やぁ、フィエリ。今日もいい天気だね」
「あ、シギ様……。ええ、そうですね。本当に、眩しいくらいのいいお天気……」
快晴の空を見上げ、太陽の眩しさにフィエリは目を細める。彼女に視線の先には、空を自由に飛びまわる鳥たちがいた。
「……家に閉じこもってばかりじゃ、息が詰まるだろ? せっかくいい天気なんだし、外に出ておいでよ」
「でも、私はひとりだと歩けませんし……」
「俺がおんぶしてあげるよ。家に入らせてもらうね」
彼女の返答を待たず、お邪魔しますと家に上がらせてもらう。フィエリは居間におり、窓辺で椅子に座っていた。
彼女の前で後ろを向いて跪き、背中を差し出す。
「ほら、どうぞ」
「あ、でも……」
「フィエリ、外に行こうヨ! 大丈夫、ミファと一緒なら恐くないかラ!」
こっそり俺のあとをついてきていたミファが、フィエリの背中を押す。押し出されたフィエリは前に倒れこみ、俺の背中におぶさった。
すかさず太ももの下に手を回し、立ち上がる。
「ひゃっ!?」
「あはは、フィエリは軽いな。これなら一日中だっておぶっていられるよ」
急に立ち上がったためか、フィエリは小さく可愛らしい声をあげた。視点が一気に高くなり、慣れない恐怖からか首元に回された手に力が込められる。
「ちょ、フィエリ! 苦しい……」
「あ、ごめんなさい!」
しがみつく手の力が緩まり、首絞め状態から解放される。しかし同時に、強烈に感じていた背中の柔らかみも緩まってしまった。ちょっと残念。
ミファが先導し、彼女の後ろに続いて外に飛び出す。外に出るとちょうどタイミングよく、心地よい爽やかな風が吹いた。
風がフィエリの長い髪をなびかせ、どこからともなく飛んできた花びらが香りを運んでくる。ミファは花びらを追いかけ、野原を蝶に混じって駆け回った。
「気持ちのいい風……。シギ様、ありがとうございます。おかげで陰鬱だった気分が晴れました」
「ん、どういたしまして」
面と向かっては言わないが、正直なところ彼女のことが気がかりだった。
生まれたときからではなく、突然片足を失った人がどういった心境に陥るかは、仕事柄少しは理解できているつもりだから。
ある日突然歩く力を失うということは、生きる力を失うに等しい。目の前が真っ暗となり、途端に未来が見えなくなってしまうのだ。
事実、抱いていた大半の夢は閉ざされてしまう。ましてや福利厚生が整っていないであろうこの世界だと、金持ちでもない限りは死刑宣告に等しい。それこそ地獄の日々が待っているに違いない。
それでも地の底から這い上がり、前を向ける強さを人は持っている。立ち直るのに長い時間こそ必要かもしれないが、諦めさえしなければ必ず前に進んでいける。
元いた世界では、足を失くしてもスポーツ選手として活躍する猛者だっていた。なかでも車椅子バスケは有名だろう。
ほかにも片腕を失くしてから格闘家となった人や、全盲ながら数々の明峰を制覇したクライマーと、例をあげればきりがない。
「ほらフィエリ、あそこを見てみなよ」
右手を少しだけフィエリの太ももから離し、近くの草むらを指差す。そこには薄っすらと桃色に染まる、綺麗な花が咲いていた。
さきほど風に乗って舞っていた花びらは、きっと同じ花のものだろう。フィエリの顔は見えていないが、彼女の頬が綻んでいるのがわかった。喜びの感情が伝わってくる。
花の傍まで近寄り、そっとフィエリを下におろす。地面に座り込んだ彼女は、やはり嬉しそうに花を眺めていた。
和やかな、彼女だけが持つ優しい雰囲気だ。
「この花、フィエリによく似合うと思うゾ」
ミファが横から表れ、唐突に花を引き抜いた。なんという空気の読めなさ。
彼女は手にとった花を、そっとフィエリの髪に差し込む。
「あ、ありがとう、ミファ」
礼を述べてはいるが、フィエリの笑顔はぎこちない。ミファもよかれと思ってとった行動なので、咎めるに咎められなかった。
この日はシエラが帰ってくるまで、フィエリを背におぶって敷地内を駆け回った。畑作業はそっちのけになってしまったが、水やりは済んでいるから構わないだろう。
今後も彼女のために、いつだってこの背中を貸すつもりでいる。ちょっとした役得もあるしね。
けど、生涯というわけにはいかない。それはシエラとミファも同様。フィエリにはいつかは自分の意思で、自分の足で、ひとりでも前に進んでもらわねば。
車椅子、義足、松葉杖と道具を使った手段ならいろいろある。松葉杖ならすぐにでもなんとかできそうなので、明日早速作ってみよう。