3:大切にします
アーガスさんのもとでご厄介になり始めてから、早くも半年が過ぎた。
何十年ぶりとなる他人との会話がえらく楽しかったのか、アーガスさんはとてもお喋りだった。
俺を驚かせるため魔法を披露してくれたり、かと思えば魔力の扱い方を手解きしてくれたり。俺に習得できたのは火種を熾す魔法だけだったが、教わっている間は学生に戻った気分であった。
アーガスさんとの会話で特に多かったのが、秘蔵の収集品とやらの自慢。それらは鍵のかけられた地下室に保管されており、たびたび持ち出しては俺に見せてくれたのである。
やれいわく付きの剣だの、神が人に託した神器だの、嘘か真か判別のつかない与太話ばかりだったが。
俺は話半分に耳を傾け、常に笑顔で頷いて聞いていた。ときにはこちらから話題を振り、質問を交え、会話が閉塞しないよう心がけるのを忘れずに。
「ワシは子を成さんかったが、孫がいればきっとこんな感じだったのじゃろうて。いや、今のワシの歳なら、ひ孫になるかの?」
そういって微笑む皺くちゃの笑顔を、俺はきっと生涯忘れないだろう。
アーガスさんは時折、酷い発作を起こした。苦しげに咳き込み、ときには喀血を誘発することも。
発作が起こったときには決まって、特製の薬を飲ませている。瓶に入れられた真っ赤な怪しい液体。ファンタジーの定番、万能の医薬ポーションだという。
ポーションはポーションメーカーという魔道具によって、アーガスさんの作ったレシピ通りに製造される。材料はゴーレムが森で調達してきたものをセットしておくだけ。製造能力としては、日に最大で十本。
ポーションは試験管型の小瓶に入れられ、ひと瓶でだいたい百ミリリットルほど。コルクで栓をして氷室に冷蔵される。
アーガスさんに勧められてからは、俺も栄養剤として毎日一本を服用している。おかげで疲れ知らず。味に関してはまさに良薬は口に苦しを地でいく、正○丸を濃くした苦い味だった。
アーガスさんはこれを、毎日二本は服用していた。
本業が介護士だったといえど、常にアーガスさんのお世話ばかりではさすがに息が詰まってくる。
なので暇をみて、農作業に精を出した。生え残っていた野菜類の種や根を畑に植えなおし、ど素人が百姓の真似事を始めたのである。
水をやったり、雑草をむしったり。農作の知識がないので、実れば御の字で適当に。
植えた野菜は三種類で、葉ネギ、ジャガイモ、トマト。どれも俺が知る野菜と似ていたので、勝手にそのままの名で呼んでいる。
アーガスさんにもジャガイモで通じたりするのだから、翻訳機能がうまく現地の名称に変換してくれているのだろう。
最初はまったく芽がでず、やり方が悪いのではと悩んだ。すると見かねたアーガスさんが、とある提案をしてくれた。なんと、ポーションを肥料として畑に撒けと言うのである。
これが効果てきめんで、驚くほど作物の成長を促した。
詳しい収穫期や季節は知らないが、定期的に撒くポーションのおかげでいずれもぐんぐんと成長していった。なんと植え始めてから、1~3ヶ月ほどで収穫に至ったのだ。
収穫した野菜の出来はなかなかによく、素人作ながら熟練の農家が作る味に匹敵する。とはいえ撒いたポーションの副作用というべきか、雑草の生え方も尋常じゃなかったが。
一日でも放置すれば、密林が生まれてしまうほどの恐ろしさだった。
アーガス製のポーションが有能すぎて、本当に健全な代物なのか疑わしい……。
アーガスさんが大きく体調を崩したのは、ひと月まえのことだった。
これまでも発作が起きることはしばしばあったのだが、日が経つにつれ頻度が増していった。
最初の頃はアーガスさんは自分でポーションを飲んでいたのが、誤嚥を起こしてからは俺が必ず付き添っている。
「げほっけほっ……。すまんな、シギ」
「いえ、お気になさらず。また器官に入ると危ないので、ゆっくり飲んでくださいよ」
日に二本だった分量が、いつしか五本を超えていた。
症状は悪化の一途で、ポーションを飲んでも一時的に発作を抑えるのが精々。老化がもたらす体の不調ゆえ、どんな名薬だろうと完治のしようがないそうだ。
ちょうどこの頃からだっただろうか。アーガスさんは収集品が保管された地下室に、ちょくちょく足を運ぶようになっていたのは。
俺は肩を貸して彼を地下室まで連れて行くのだが、決して中までは入れてもらえなかった。
アーガスさんが地下室でなにを行っていたのか。
俺にはわからなかったが、毎度必ず彼はやつれた顔をして地下室から出て来るのである。酷く体力を消耗した様子で、心配でならなかった。
上記の経緯が拍車をかけたのか、アーガスさんの体は目に見えて衰えていった。半年前は杖をつき元気に歩けていたのに、今ではベッドから起き上がることさえ困難な有様。
食事はいつしか刻み食が日常となり、排泄もひとりではままならず。誰かの介助なしでは生きられなくなっていた。
御歳百五十歳。この世界における平均寿命が幾程か知らないが、少なくとも俺の元いた世界においては、生きていること自体が奇跡の存在といえよう。
この世界を訪れて、七ヶ月目。
季節はいつの間にか冬が明け、春が訪れていた。魔窟の森では降雪が少なく、活動困難なほど積もる日はほとんどなかった。
俺の命を受けたアルファが地面を掘り、敷地内の一角に大きな穴を準備する。ちょうど人がひとり、すっぽりと入れる大きさの穴を。
一輪一輪、慈しみながら摘んできた花を、穴一杯に敷き詰めた。そして神のもとへ旅立ったアーガスさんを、花のベッドにゆっくりと寝そべらせる。
「この世界で初めて会えた人が、あなたでよかったです。どうか安らかに、お眠りください……」
最後のお別れを済ませ、そっと土を被せていく。アーガスさんの亡骸を埋葬し、木材で組んだ十字架を墓標として立てる。
墓標には『大賢者・アーガス ここに眠る』と、日本語で刻んだ。
「あなたのおかげで、俺は死なずに済みました。それだけじゃなく、この先も生きていける下地まで授かりました。感謝の念に堪えません……」
死期を悟っていたアーガスさんは、死の間際に俺に様々な遺産を遺してくれた。
まずは二体のゴーレム、アルファとベータの主従権の移譲。
そして住処となるこの小屋と、所有していた様々な物品の譲渡。地下室に保管された自慢の収集品を含む、全て。
『この目録に、ワシがお主に譲る収集品が羅列されておる。この目録自体もまた魔道具の一種で、ワシの代わりに詳しい説明をしてくれよる』
羊皮紙のような素材で出来た、巻物型の目録。丸まった状態から開くと、いくつもの収集品の名称らしき名が羅列されていた。
アーガスさんの説明に従って、記された内のひとつを指でなぞる。すると空中に彼が書いたと思われる、選んだ収集品の説明文が浮かんだ。
・『ドラゴン・テイル』:古代級
赤竜の素材で作られた、竜の尾を模した蛇腹剣。
ひとたび鞘から抜けば刀身は炎を纏い、振るえば灼炎を撒き散らす。
炎は使い手すらも容赦なく焦がすため、扱いに注意。
古代級とあるのは、その品のレアリティを現しているのだろうか。アーガスさんに尋ねたくとも、喋ることさえ辛そうな姿を前にしては好奇心を押し殺すしかない。
説明文の下部には、『はい』と『いいえ』の選択肢が白く光っていた。
『はい』を選ぶと選択していた『ドラゴン・テイル』が地下室から転送され、目の前に現れた。再び目録から同じ収集品を選択すると、地下の保管庫に送り返すことができる。
『……何度も話したと思うが、ワシの所蔵する収集品の中には、世界の均衡を崩しかねない危険な代物がいくつかある。シギ、お主なら悪用せんとは思うが、くれぐれも扱いには注意せいよ』
アーガスさんが死の間際、俺に残した遺言。
これまで冗談半分に聞いていたし、俺は本気に捉えてはいなかった。けれど今では、アーガスさんの語っていた話は与太話ではなかったと核心している。
譲られた遺産の重さに、手が震えた。
付き合いの浅い俺に、そんなご大層なものを本当に譲っていいのか再三尋ねたが、アーガスさんの答えはいつも同じ。
『なぁに、例えなにかの間違いで世界が滅ぼうと、ワシはその頃にゃとっくにくたばっておるでな。無責任じゃが、あとはワシの知るところではないわい。それに悪人ではなく、ワシの見定めたお主が引き取ってくれるんじゃ。安心して逝けるってものじゃよ』
一部の本当に危険な代物には、きちんと封がしてくれてあるそうだ。もしくは、能力に大幅な制限をかけてある。
アーガスさんが死期を早めてまで地下室に赴いていたのは、このため。無知な俺がなにも知らないまま使おうとしても、危惧された事態にはまず陥らない配慮がなされていた。
恩人を埋葬した翌日。墓前に花を添え、昨日夜通し考えていた決意を告げる。
「俺はこれまで、沢山の人に尽くして生きてきました。けれどこれからの時間は、自分のために生きたいと思います」
介護士としての俺は、自分から見てもまだまだ半人前。存分に尽くしてきたとは言い難い。
しかし、自己を犠牲にしてきたのは事実。仕事だったからで済ましたくはない。皮肉るつもりはないが、介護職はボランティア精神があってこそだと思っている。
晴耕雨読、という言葉がある。晴れの日は土を耕し、雨の日は家に篭って本を読む。なににも縛られず、悠々自適に生きる生活。
仕事に明け暮れ、疲弊しきっていた頃に思い描いていた理想の生活である。
今まさに、理想の生活を叶えられる機会が訪れたのではなかろうか?
アーガスさんが遺してくれた土地には、必要な条件があらかた揃っている。
他者に干渉されず、食うに困らない静かな環境。
娯楽にこそ欠けるが、瑣末事。なにせやりたいことが山盛りなのだ。なにをするにも自由なのだから、飽きれば別のことをすればいい。
アーガスさんは生前から、ずっとこの辺鄙な土地に留まり続ける必要はないと言ってくれていた。
この地を帰るべき家。拠点とし、いずれは外の世界を旅したっていいのである。
今の俺はもう、やりたいことがあるけど時間がないわけじゃない。やりたいことが多すぎて、時間が足りないぐらいだ。
「……さて、と。それじゃ早速、作業を始める前準備に取り掛かるとしますか」
目録を開き、一覧を物色。生前アーガスさんが自慢げに語っていた収集品のなかで、日常的な使用に適した装備品を選択する。
・『剛神のグローブ』:伝説級
手に着けると、腕の力が何倍にも跳ね上がる。
・『疾駆の軍靴』:伝説級
履くと、走る速度、跳躍力が飛躍的に向上する。
・『オリハルコンの薄衣』:幻想級
着ると、鉄の甲冑すらも超える防御力を得られる。
「ひとまずはこんなところかな。これだけあれば自分の身を守れるし、今後の作業も捗るでしょ」
早速外に出て、性能を試してみる。
まずは『疾駆の軍靴』。跳躍力の向上がどれほどのものか、確かめるのだ。
……結論から述べると、俺の想像を遥かに凌駕していた。
思い切りジャンプしたはいいものの、その跳躍力たるや驚愕のひと言。ゆうに三十メートルは飛び上がったんじゃなかろうか。
「うわ、すごい。この森、こんな感じに広がってるんだー……って、悠長に眺めている場合じゃないってぇぇぇぇ!?」
最大の失敗は、着地を考えていなかったことに尽きる。
いやね、そもそもアホほど飛び上がるとは思わないでしょ。せいぜいが二、三メートルくらいだと考えていた。想定の十倍は軽く飛んだぞ。
控えていたベータが俺を受け止めてくれたため、事なきを得る。しかし体を強く痛めたため、ポーションを三本がぶ飲み。胸焼けがし、吐きそうになった。
「き、気を取り直して、次! 次いってみよう!」
次に試すのは、『剛神のグローブ』。
前々から畑を拡張しようと考えていたので、今回は試運転を兼ねてその作業に取りかかる。農具置き場からクワを持ち出し、柄を握っていざ農耕!
……はい。柄が握力に耐え切れず、速攻で折れました。
試しにそこらに転がっていた石ころを握り締めると、これまた簡単に砕ける。末恐ろしい握力。今ならアイアンクローで、簡単に人を殺せる自信があるぞ。
『疾駆の軍靴』同様、こちらも力の加減が難しい。強化とか補助ってレベルじゃない、向上させすぎじゃなかろうか。そりゃアーガスさんも、危険だと忠告するわけだ。
おかげでこの日は丸一日、扱いの習熟に時間を費やしてしまった。
元の世界ではありえなかった、人智を超越した道具の数々。これだけで、心が躍らないわけがないだろう。
大往生した恩人が拓いてくれた道。与えられた希望を、俺は存分に謳歌してみせる。