23:家に着くまでが遠足です
町から森へ帰る道中、ガルグの鼻が不吉な臭いを捉えた。
「……どこからか、風に乗って血の臭いが流れてきやがるな。微かだが、悲鳴も聞こえる」
目つきを変え、周囲を警戒するガルグ。俺も彼に倣って耳を澄ませると、確かに自然が生み出す環境音とは違う異音が紛れている。
さすがに悲鳴かまでは俺には判別がつかないけれど、争いごとが起きているのは間違いなさそうであった。
「音は……あっちからか! 行こう、ガルグ! 誰かが魔物に襲われているのかもしれない!」
「あ! おい待てよ、シギ! ……ったく、聞いちゃいねぇ。なんで自分から、厄介事に首を突っ込もうとするかねぇ……?」
駆けていくシギに対し、やれやれと大きな溜め息を吐くガルグ。彼は手ごろな木を探して牝牛を繋ぐと、急いでシギの後を追うのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
身なりの悪い男たちが、数人がかりで転倒した馬車を取り囲む。彼らの手には剣や斧といった凶器が握られており、いずれも例外なく赤く塗れていた。
「生き残っているのは、この女だけか?」
「ああ。雇っていた護衛は三人だけみたいだな。こいつの親を含め、全員始末した。あとは馬車から、金品を頂戴するだけだ」
地面にへたり込む生き残りの少女を、ふたりの男が下卑た目で品定めをする。少女の爪先から頭頂部に至るまで、それこそ舐めるようにだ。
生き残りという言葉は正しくもあり、誤りでもある。なぜなら少女は、ならず者の男たちに生かされたに過ぎない。理由は単純で、少女がの見目が普通より優れていたから。
とくに男たちの興味を誘ったのは、少女の育った胸部。年齢に似つかわしくない発育ぶりで、少女の怯える表情がさらに男たちの嗜虐心をくすぐった。
「へへ、この女も戦利品でいいよな?」
「だな。顔も体も上等だ。人買いに売れば、きっといい値になる」
「ばかやろう、誰が売るかってんだ。こいつは俺のペットにする。愛玩奴隷として、毎日奉仕させてやんだよ。お前も最近はご無沙汰で、溜まってんだろ?」
怯える少女の耳に入ったのは、自身を地獄に突き落とす悪魔の会話だった。
両親を目の前で惨たらしく殺され、そのうえ自分は男たちの慰み者にされる。なぜ自分がこんな目に遭うのか。家族仲良く、普通に生きていたはずなのに。
少女は暗い未来に絶望する。けれど舌を噛み切って死ぬ度胸はなく、そもそも恐怖で体が震え、力が入らない。
「まぁ、最近は稼ぎが悪かったからな。……この女をペットにするのはいいが、お前がちゃんと世話をするんだぞ? それが飼い主の義務ってもんだ」
「へへ、わかってんよ。今夜は宴だ、全員で楽しむとしようや。アジトに帰ったら真っ先に、食事に最低限必要な本数だけ残して歯を抜くか。爪もあったら危ねぇよな?」
え、歯を抜く……? 私の……? お母さん譲りで、綺麗だねってお父さんに褒められた私の歯を……?
なにを言っているの、この人たち。理解が出来ない。その上、爪もだなんて……。
少女の頭の中で、彼らの不穏な言葉が何度も反復される。その度に想像してしまい、湧きあがる恐怖から涙が止め処なく溢れ出ていた。
堰を切って溢れ出たのは、なにも涙だけではない。鼻水だって止まらないし、少女の背中は汗でびっしょりとなっている。
「……ん? なんだこの臭いは? って、ああ!? こいつ小便漏らしてやがる!?」
「うは、汚ねぇ! おいおい、お前が飼い主になったんだろう? だったらちゃんと後始末してやれよな」
「へいへい。じゃあ手っ取り早く、粗相で汚れた服を脱がしちまうか。そもそも、ペットが服を着ているのはおかしいもんなぁ?」
そう言うと飼い主を自称する男は少女の前にしゃがみ込み、おもむろに彼女の服の襟元に手をかけた。乱暴に服の胸部が引き裂かれ、豊かに実った果実が外に零れ出る。
少女は慌てて男の手を払い除け、腕で露出した恥部を覆い隠した。耐え難い恐怖が、彼女の全身を支配する。もはや彼女には恐いという感情以外、なにも考えられなくなっていた。
「……いってぇな、この女。自分の立場がわかってんのか? これはちと、教育が必要だな」
男は払い除けられた手をさすり、仰々しく痛がった。そもそも痛いかどうかは問題ではなく、抵抗した事実こそが彼の癇に障ったのである。
男は腰に下げた剣を鞘ごとベルトから外し、振り上げる。加減はしつつ、折檻のため剣を少女に振り下ろした。
「いっ……!? っ……! あぐっ……!!」
鞘に収められた剣は二度、三度と華奢な少女の体を打ちつけ、そのたびに彼女の口からは嗚咽が漏れる。
もはや少女の目は虚ろとなっており、それでも男は執拗に剣で殴りつけた。
隣の仲間に、最初が肝心だと笑いながら暴力を振るう悪漢。
虚ろな少女の目が、再び振り上げられた剣を捉える。現実から目を逸らすため目蓋を閉じ、来たる痛みに備えて歯を食いしばった。
……けれど不思議なことに、いくら待っても少女の体に痛みが襲って来ない。恐る恐る少女は目蓋を開くと、顔に影が差している。誰かが自分と男の間に割って入ったのだと、すぐに気付いた。
少女は上を見上げ、影の正体を知って理解する。ああ、この人が私を庇ってくれたのだと。
少女を守るようにして、ひとりの男が覆いかぶさっていた。悪漢の振り下ろした剣は、少女ではなく彼の背を打ち付けていたのである。
少女に覆いかぶさった男は、彼女に優しく微笑みこう言った。もう大丈夫だよ、と。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「おい、兄ちゃん。突然割って入ってきて何様のつもりだ?」
「この状況を見て飛び出してくるとは、随分と勇気のある男だな。いい歳して、勇者の真似事とは恐れ入るぜ」
俺が少女を庇ったことで、暴力を振るっていた男たちの機嫌が悪くなる。積み荷を漁っていた奴らの仲間も、何事だと集まってきてしまった。
次々と武器を取り出しているし、発せられる殺気は本物だ。正直、恐くて足が震える。他人との喧嘩なんて、子供の頃以来していないからな。
でも、恐怖に屈して逃げるわけには行かない。奴らに背は向けられない。俺の後ろには、怯える少女が控えている。
飛び出した以上は、なんとしてもこの子を守らなければ。
子供を守るのは大人の務めだと自分に言い聞かせ、怯えを払って奮い立たせる。
左手で『斬影の短剣』を抜き、右手には『穿光の魔杖』を構えた。どちらもいざというときのため、普段から身に着けている俺の装備だ。
本音を言えば目録を開き、もっと威嚇力のある武器を構えたかった。『壊転鋼刃』や『ドラゴン・テイル』ならば、武器の見た目だけで相手を威圧できただろうに。
しかし悠長に目録を開けていられるほど、奴らが待ってくれるとは思えない。格好を見ただけで、ならず者とわかる相手だ。隙を晒せば、必ず襲いかかってくる。
――と、考えている傍から近くの男が剣を振りかぶってきた。咄嗟に『斬影の短剣』を振るい、斬撃を飛ばす。
俺は戦いに慣れていないうえ、状況は多勢に無勢。決して距離を詰められてはいけない。
斬撃は男の脇腹を掠り、小さな切り傷をつける。貧弱な短剣だと侮っていたためか、まさかの飛び攻撃に思惑通り怯んでくれた。
「あの短剣、魔剣の類か。期待していなかったが、こりゃいい金づるが釣れた。おい、野郎ども! 厄介な攻撃をしてくるが、びびんなよ! 所詮相手はひとり、数で押せば楽勝だ!!」
集団のリーダー格と思われる男が、仲間に向けて声をあげる。彼の声でたじろいでいた手下たちは活気づき、士気を上げてしまう。
「と、止まれ! 俺が右手に持っているのは、強力な魔法を放つ杖だ! 冗談抜きに、簡単に人を殺せる! けど俺は人殺しはしたくない、だから大人しく引いてくれないか!?」
頭で無駄とはわかりつつも、勧告をする。
……予想はしていたが、誰も引こうとはしなかった。それどころか、嘲笑までされる始末。
「声が上擦ってんぜ、兄ちゃん。どうせはったりだろう? 魔剣には驚かされたが、肝心の使い手が腰抜けじゃ宝の持ち腐れさ。悪いことは言わねぇ、今ならまだ命だけは見逃してやる。その魔剣を置いて、兄ちゃんこそどっかへ消えな」
だめだ、俺と彼らでは踏んできた場数が違いすぎる。杖そのものははったりじゃないが、俺自身に人を殺す覚悟がないのを見抜かれている。
森で獣型の魔物相手にはさんざん狩りと称して命を奪ってきたのに、なんと情けない。いざ人間に武器を向けるとなると、こんなにも強い覚悟が求められるのか。
ふと、背中を引っ張る感覚があった。俺が身を挺して庇った少女が、震える手で服の裾を掴んでいる。
彼女もまた、助かるために必死なのだ。この子にとって俺は、暗闇に差し込んだ光明。それこそ、本当に勇者といっても過言ではない。
なら、やはり引くわけにいかない。関わったからには、最後まで責任を持たなければ。助けると決めたからには、なにがあっても守り抜く。
定まらない覚悟を無理矢理抑えつけ、俺は『穿光の魔杖』を発動させる。杖先から光が放たれ、槍となって高らかに笑うリーダー格の男を穿った。
男の肩口から血が噴き出し、剣を握った彼の右腕が宙を舞う。
……悔しいが、やはり俺にはまだ人を殺す覚悟ができていないらしい。これでも頭を狙ったつもりだったが、直前になって標準を逸らしてしまった。
けれどさきほどの一撃は、奴らに対して強力な示威となったはず。今の一撃を見て、勇んで向かって来やしないだろう。
「つぅ……!? 痛ってぇぇぇぇ!! 糞が、糞野郎がっ!! てめぇ、絶対に殺してやるからな! おい、野郎ども! いっせいにかかれ!! あいつの首を獲った者には、俺から特別に褒美を出してやる!!」
「おいおい、ここは引いてくれよ!? なんでまだ向かってこようとするのさ……!?」
引き下がるどころか、手下の男どもは褒美と聞かされて逆に士気高揚としている。
もはや相手は、俺を舐めてかかってきすらしないだろう。さっきの半端な一撃が逆に、相手を本気にさせてしまった。
『穿光の魔杖』はフル充填だったが、さっき一発撃ったから残りは二発。依然として目録を開く余裕はないため、魔杖を撃ち切ったあとは『斬影の短剣』が頼みの綱となってくる。
『オリハルコンの薄衣』も服の下に着ているので、剣で斬られても簡単には死なないはず。『剛神のグローブ』があるから、素人の拳であっても戦える。
……あれ? そう考えれば、意外と俺が殺される心配は低いんじゃ? 自分に凶器が向けられるのは恐いが、アムドウルススの一撃をも超える攻撃を受けるとは到底思えない。
というかそもそも、『疾駆の軍靴』を履いているのだから走って逃げればいいじゃん。女の子ひとり抱かかえた状態でも、たぶん余裕で逃げ切れる。なにも面と向かって戦う必要はなくない?
そうと決まれば早速、行動に移すべし。奴らに向けて短剣を振り回して残撃を飛ばしまくり、その隙を衝いて逃げる。よし、これでいこう。
「あ? なんだ、お前は? 今は取り込み中だ。獣人風情が出しゃばってぐあっ!?」
俺が違う意味での覚悟を固めたとき、対峙するならず者集団の後方から悲鳴が上がった。集団がざわめきだし、意識は自ずとそちらへ持っていかれる。
「悪い。待たせたな、シギ。連れていた牛がなかなか言うことを聞いてくれなくてな、手間取った」
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