2:居候させてください
ゴーレムのあとをついていくと、やがて木々の開けた場所に辿りついた。
木の柵で囲われた敷地で、明らかに人の手が加わえられている。人為的に切り開かれた広場だ。敷地の広さはおおよそ、俺が通っていた高校の校庭ぐらいかな。
敷地の中心部には、一本の大樹と古びた一軒の小屋があった。ログハウスのような小屋の屋根からは煙突が突き出し、白煙が空にのびている。
大樹は周辺の木々と比べ背が高く、生命力に満ち溢れていた。白い幹に白い葉を生い茂らせ、神聖な雰囲気を感じさせる。
敷地内にはほかに、小さな畑と井戸があるぐらい。
二畳もない大きさの畑は雑草が生え放題で、荒れ果てている。長らく手入れが行われていなさそうだ。いくつかそれらしい作物は実ってはいたが、お世辞にも美味そうと思えない出来栄えである。
小屋の扉脇にはもう一体、別のゴーレムが立っていた。こちらは家を守る門番かな。
同じ形、同じ造り。二体は同型機なのだろうか。
案内してくれたゴーレムは扉の前まで進むと、単眼を明滅させてなにやら門番と交信をし始める。
大人しく待っていると話がついたのか、横に逸れて俺に道を譲ってくれた。ゴーレムのとった行動は、まるで中に入れと言わんばかりである。
「ええっと、ありがとう。君のおかげで助かったよ」
仮にもこのゴーレムには命を救われた。おまけに人のいる場所まで案内してくれたのだ。彼に心があるかは知らないが、ちゃんと助けてくれた礼は言わねば。
ゴーレムは単眼に灯る光を一瞬だけ強くすると、狼を担いだまま屋敷の裏手に歩いて行ってしまった。俺は門番のゴーレムにぺこりとお辞儀をし、恐る恐る扉をノックする。
……しかし、応答がない。
聞こえていなかったのかな? と不安になり、念のためもう一度扉を叩く。
するとようやく、返答があった。しわがれた老爺の声。予想はしていたけれど、なにを喋っているのか言葉がわからない。
異国よりも遠い地にきたのだ、言語が違っていて当然。あっさり言葉が通じるほど、世の中甘くないよな……。
勝手ながら入室の許可をもらえたと判断して、扉を開く。
小屋の中は酷く散らかっていて、足の踏み場もない有様だった。部屋中に漂う悪臭。仕事柄嗅ぎ慣れた臭いに、恐らく家主は独居の老人だろうと当たりをつける。
案の定、俺を出迎えてくれたのは年のいったよぼよぼの老人ひとり。奥の部屋から杖をつきながら現れ、随分と不機嫌そうなご様子である。
老人の纏うローブはシワだらけで、サイズが合ってなくだぼだぼ。食べ零しや粗相の汚れが散見できる。髭はお腹のあたりまで伸び、髪は遠目からでもわかるほどべたついていた。
有体に言えば、汚い。何日もお風呂に入っていないのが丸わかりな、非常に不清潔な身だしなみである。
「あ、あの。自分でもどう説明したらいいかわからないのですが、気付いたら森の中で倒れていまして……。危ないところを外のゴーレムに助けていただき、彼に導かれてこちらに辿りつきました。ほかに行くあてもなく、申し訳ないのですがしばらくご厄介に与らせてもらえませんか?」
自分ですら状況を理解しきれていないので、端的に老人へと説明しつつ懇願する。ひたすら丁寧に、かつ腰を低く。
住みたいとは思えないゴミ屋敷で、住人は偏屈そうな老爺。本来なら泣いて赦しを請うてでも遠慮したい組み合わせだが、今の俺にとっては地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸。ならもう、縋るしか道はない。
俺の話を聞いた当の老人は、眉間に深く皺を寄せとても訝しんでいた。
「……あー、そういや言葉が通じないんでしたっけね。あはは……どうしたらいいんだろう?」
分厚く立ち塞がる言葉の壁。
必至に身振り手振りを交えて意思疎通を試みるものの、俺の表現力では伝わりようがなかった……。
二言三言老人は言葉を発すると、奥へと引っ込んでいってしまう。怒らせてしまったのだろうか。出迎えてくれたときから、不機嫌そうだったものな。
無理強いをするわけにいかず、また屈強なゴーレムの存在から間違っても短気は起こせない。
……諦めて退散するしかないか。
踵を返し、小屋を出ようとする。すると再び老人が現れ、慌てて俺を引きとめてくれた。
差し出された彼の手には、古めかしい対の耳飾り。小さな赤い宝石がはめ込まれただけで、飾りっけがなく非常にシンプルなイヤリングである。
老人はそれを、手振りで耳に着けるよう促してきた。大人しく彼の指示に従い、耳飾りを両耳に装着する。
「ふむ、よく似合おうておるぞ。どうじゃ、これでお互い言葉が伝わるじゃろう?」
「うおぉ!? 本当だ、あなたの喋る言葉がわかる! 耳飾りをつけただけなのに!?」
「そいつは翻訳の耳飾り。言語の神がもたらしたという魔道具の一種で、秘蔵の収集品のひとつじゃよ」
耳につけただけで、言葉を翻訳してくれるとはなんと都合がいい装飾品だ。
それも聞き取りだけでなく、俺が発する言葉すら翻訳してくれている。でなければ一方通行のままで、俺の言葉は老人に伝わっていない。どういう理屈なのか、検討すらつかないな。
言葉の壁が取り払われ、改めて自己紹介。事情を説明する。
「……ふむ、異なる世界からこの地にやってきた、か。不思議なこともあるもんじゃな」
「信じていただけるんですか……?」
「疑う理由はなかろうて。必至に説明する、お主の目を見ればな」
お爺さんが物わかりのいい人で助かった。
老人の名はアーガス。御歳百歳を越える、大賢者なのだそうだ。……ちょっとどころか、かなり胡散臭いけれども。ついでに息も臭い。
老人が居を構えるこの地は、通称『魔蝕の森』。
危険な魔物がうようよ跋扈し、まさしく人外の領域。おいそれと誰も足を踏み入れない、物騒な場所なのだそうだ。
小屋周辺が安全なのは、敷地の中央に生えていた白い大樹のおかげ。結界樹と呼ばれる特殊な木であり、木が生きている限り魔物を寄せ付けない。
万一の際には番兵のゴーレムも控えているため、不用意に結界樹の範囲外を出歩かなければまず危険はないらしい。
「行くあてがなく、ここで厄介になりたいという頼みじゃったな。ええよ、好きなだけおるといい」
「ありがとうございます。けど、本当によろしいのですか? おひとりで静かに暮らしたいから、人里を離れて住まわれているんじゃ……?」
明らかに不便で、危険な土地。森の外に繋がる道は拓かれておらず、立地は最悪のひと言に尽きる。物好きですら、こんな場所は選ばないだろう。
辺鄙な場所に居を構えるからには、のっぴきならない理由があるはず。
「気にせんでええ。お主が察しておる通り、ワシは他人とのしがらみが嫌になって俗世を離れた。じゃがお主は違う世界の住人じゃろ。ならワシの嫌う奴らとは別じゃて」
眉間に深い皺を浮かべながらも、微笑んでくれるアーガス老。
受け入れてもらえてよかったと、心底安堵する。
「とはいえ条件がある。ワシはもう、体が満足に動かん。見ての通り家の中はこの有様じゃ。掃除洗濯料理と、ワシに代わって家事全般を担ってもらうがええかの?」
早い話が、家政婦。住み込みの対価として身の回りの世話をしろということだな。訪問介護は研修で一度したきりだが、まぁ問題ない。
介護の仕事上、朝昼晩と食事当番があったし、洗濯や掃除も行っていた。世間の主婦様ほど立派にこなす自信はないけれど、そこまで完璧を求めやしないだろう。
見た限りアーガスさんに認知症の症状はみられないし、杖を利用してなら歩き回れる。排泄や入浴には多少の介助を要するかもしれないが、全介助の必要まではない。
つまり殆どの仕事は家事となり、だとすれば楽なものだ。
もとより首を縦に振るしか選択肢はなく、とんとん拍子で話が進んだ。
アーガスさんはまず、二体のゴーレムを紹介してくれた。俺も護衛対象として、彼らに認識させるためである。
狼から俺を救ってくれたのが、アルファ。家の前で警備を担っていたのが、ベータ。彼らは調達と警備の任を、日替わりで行っている。
調達係はさきほどのように、森の中で食料や素材、物資の調達。一方の警備係はというと、ずっと護衛対象の傍で待機。
警備のほうが圧倒的に楽そうなのだが、仕事内容を考慮して交代制にしたわけではないようだ。あくまで磨耗の均等化を図るための処置であった。
俺はひと通りの説明を受け、早速自分のお仕事を開始する。
まずは掃除。酷い散らかりようで、考えただけでも骨が折れる。さらに面倒なのは、危険なものがたびたび床に転がっていること。危ない薬品の入った小瓶とか、嵌めると呪われる指輪とかだ。
キノコの生えたパンツを発見したときは、さすがに笑ってしまった。漫画かよって、思わず突っ込みを入れちゃったね。
ここは小さなダンジョンかと疑いたくなる、摩訶不思議な天外魔境。怯えならがもアーガスさんの監視下のもと、慎重に片付けを行った。
家の掃除を全て終えるのにかかった日数は、丸二日。
俺の寝床は居間に設置されたソファで、真っ先に掃除を済ませた。
食事は食材をゴーレムが定期的に調達してくれており、材料に困る日がなかった。先んじて魚や肉などの要望を伝えておけば、柔軟に対応してくれるのもありがたい。
……まぁ、鳥や猪、赤身魚か白身魚かなど、細かな希望までは対応してくれなかったが。
不満といえば、もうひとつ。
家のすぐ裏手には、地下室型の氷室が併設されている。調達されてきた食材は全て、この氷室へと乱雑に放り込まれているのである。さらには消費と供給の均衡が崩れており、長年の消費し切れなかった分が積み重なっている。
氷室といえど奥の食材はさすがに腐っており、こちらも大掛かりな掃除を要した。肉や魚の腐敗した臭いはなかなかに強烈で、当面は換気をしておく必要がある。
俺が氷室に入れられていた食材を使い、腕を奮った拙い男料理に、アーガスさんはいたく感激してくれた。この数年、彼はまともな料理を口にしていなかったらしい。
ゴーレムに命じて食材に火を通させ、適当に塩で味付けして食べていたそうだ。
料理といっても、俺が作ったものはたいしたものではない。
鳥の骨を砕いて出汁を煮出し、葉物を放り込み柔らかくなるまで火を加え、塩で味付けしただけのスープ。
ニンジンっぽい根菜やアスパラっぽい植物を、薄切りの肉で巻いて焼いた野菜の肉巻き……とかだ。
お年寄りのアーガスさんが食べやすいよう、小さめに切り揃えたり、隠し包丁を入れたりとかなり気を遣ったが、杞憂だった。歳の割に歯は随分と達者なご様子。
むしろ歯ごたえが弱いと、ダメだしまでされてしまった。