19:かたくりの効能
フィエリが風邪を引いた。といっても症状は心配するほど重くなく、本当にただの軽い風邪だ。本人曰く、昨日外で体を冷やしたのが思い当たる原因らしい。
怪我を負ったらポーション。病気になったらポーション。毎日の健康のために、栄養剤としてもポーションだ。いやー、便利だな、ポーションって。
……ふと冷静に我に帰ると、俺って相当なポーション中毒になってる? 正直に言うと、毎朝飲まないと落ち着かない体質になってる。やだ、依存症って恐い。
まあ、俺のことは置いておいて。
風邪を引いたフィエリに、ポーションを薬として飲まそうとしたのだが……。物凄く謙遜し、断られてしまった。
「お気遣いありがとうございます、シギ様。ですがさすがに風邪程度で、高価なお薬はいただけません。そのポーションは、もっと大事が起きたときにお使いください」
「ちゃんと栄養を取って、暖かくして、今日一日寝ていればすぐ治るわ。ポーションは確かに便利な万能薬だけれど、だからって頼りすぎるのはよくないわね」
俺の思考停止なポーション脳が、エルフ娘に全否定されてしまう。
ただフィエリの言っていたように、軽い風邪でポーションを服用するのはあまりにも常識外れすぎるか。
つい忘れがちだが、ポーションは本来なら高価なお薬。世間様的には気軽に飲める薬じゃない。特に赤の上等級品ともなればなおさら。
なので基本的に、この世界の風邪は民間療法で治すのが当たり前なのである。
元いた世界での生活を思い返しても、よっぽどの酷い風邪でなければ市販の風邪薬で済ませ、医者にすらかからなかったもんね。
無理矢理ポーションを飲ますわけにいかないので、素直に引き下がる。風邪が悪化したら飲むようにとだけ約束し、渡すに留めた。
さてさて。そうなればフィエリに体力をつけてもらうため、食欲がなくても食べられる病人食を作るとしよう。
まず思い浮かぶのはお粥。ひとまずは以前ガルグに食べさせた、『ドングリ米のなんちゃってコンソメ粥』を作るとする。なお味付けは控えめで。
面倒で時間のかかるちねり作業は、フィエリを心配するシエラに手伝ってもらった。
彼女が全神経を集中させドングリ粉をちねっている間、俺は別の胃にやさしい飲み物を作る。
「風邪を引いたときって、やっぱり葛湯だよね。食欲に関係なく飲めて、飲んだら体が温まるし」
民間療法に則るのであれば、葛湯は古くから親しまれてきた伝統的な病人食だ。
原料である葛根には発汗、解熱、鎮痛の作用があるとされている。その上とろみがあるため飲みやすく、誤嚥する心配が少ない。
葛湯の作り方は非常に簡単。葛粉を水に溶き、砂糖を加えて甘みをつける。あとは弱火にかけ、とろみがでるまでゆっくりと過熱するだけ。これで終わり。
拘るのであれば、和三盆の砂糖を使えば病人食から高級食に早変わりするし、抹茶や生姜を加えれば美味しい風味がつく。特に生姜は非常に相性がよく、揃って風邪にもってこいな効能を秘めている。
とまぁ、ここまで自信満々に語ったが、肝心の葛粉は手元にございません。
なので代用として、先日作った片栗粉を使う。葛粉のように風邪に利く薬効はないが、とろみがあって飲みやすく、体が温まるという点では同じである。
そもそも元いた世界においても、市販の葛粉の大半は、ジャガイモなどから抽出したデンプンが加えれていたはず。混ぜ物なしの本葛粉ともなれば、ちょっとした高級品だった。
なお片栗粉自体、本来は『カタクリ』という植物が原料な事実に触れてはいけない。現代の片栗粉そのものが、『カタクリ』と名ばかりなのは暗黙の了解である。
作り方はさっき説明した通りなので、さっと作ってしまおう。
葛粉はないが、実は生姜に似た植物はある。森で自然薯てきな山芋はないかと探していた際、偶然発見した。俺の良く知るでこぼこした形ではないが、味や風味はそのまんまだ。
畑でポーション栽培を試みている最中のため数はないが、もともと一度の料理で大量に消費する食材ではないからね。今回のように摩り下ろして加える程度なら、少量あれば事足りる。
生姜は皮のすぐ真下に、重要な成分が多く含まれていると聞いた覚えがある。なので水で表面をよく洗い、傷や汚れのある部分だけ取り除いて皮ごと使う。
生姜は生のままと過熱した場合とでは、成分が違うという。熱を加えたほうが体を温めるのにいいらしいので、過熱前に加えておく。
全てを混ぜ合わせて下準備の済んだ溶き水を、鍋に入れて火にかける。片栗粉で白濁していた溶き水が、徐々に透明感を出しとろみを帯びてくる。
全体が均一に、満遍なく半透明になれば完成だ。
ひと匙すくい、味をみる。
生姜の風味が広がり、甘露草から作った砂糖の甘みがほっこりとした優しい気持ちにさせてくれる。この優しいと思える匙加減が大切。砂糖を入れすぎると、甘みがくどくなるからね。
なお、唾液には片栗粉のとろみをなくす成分があるため、味見に使ったスプーンをもう一度鍋につっこんではいけない。
麻婆豆腐を食べていて、最後のほうでしゃばしゃばになっているのは唾液が原因なんだよね。頻繁にかき混ぜながら食べる人は要注意だぞ。
ドングリ粉のお粥が完成し、『生姜かたくり湯』と一緒にお盆へ載せてフィエリのもとへ。シエラに先導してもらい、お隣さん家にお邪魔した。
思えば、彼女たちの家に俺が入る機会ってあまりなかったな。基本的にはエルフ娘たちのほうが、こちらの家に訪れてくるからね。
失礼とは思いつつも、好奇心からつい家の中を見回してしまう。お邪魔したよそ様のおうちを、じろじろ見てはいけないって訪問介護の研修時に教わったのにね。
それにしても、女性が住まう家にしては殺風景な印象が拭えない。女性らしく可愛らしい小物が所狭しと飾られているものだと、勝手に想像していたからだろうか。新築した当時から、あまり物が増えていなかった。
唯一目に付く女性らしさといえば、棚にちょこんと飾られた小さな犬の人形ぐらい。フィエリが余った端切れで作ったのかな。
まぁ、閉鎖された森の中で可愛い小物をどこから手に入れるんだ、って話だけどさ。
「寝室はこっちよ……って、シギなら知っているわよね。フィエリ! お昼ご飯を持ってきたから、入るわよ!」
「あ、はーい。どうぞー」
シエラがドアを軽くノックして呼びかけると、フィエリが返事をした。お盆で手が塞がった俺のため、シエラがどうぞと扉を開いてくれる。
「フィエリ、具合はどうだー? 食べやすい食事を作ってきたから、食べ……な……?」
「あえ……? シギ……さま?」
ベッドの上で行われている光景を目にし、室内に踏み入れた足がぴたりと止まる。思考も止まる。上半身裸になったフィエリの背を、ミファがお湯に濡らしたタオルで拭いていたからだ。
半裸のフィエリと目が合い、沈黙が流れる。同時に、フィエリの顔がみるみる赤くなっていった。ただでさえ熱のせいで上気していた顔が、尖った耳の先端まで真っ赤だ。
「お、シギ。よく来たナ。ミファはフィエリの汗を拭いているから、今は手が離せないゾ。フィエリ、次は前。む、なんで隠ス? 手が邪魔だゾ」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってミファ!? シギ様が見てる、見てるからぁ!?」
胸元を隠したフィエリの腕を、邪魔だといって無理矢理どかそうとするミファ。フィエリは必死に抵抗するが、力でミファには敵わない様子である。
……色白のエルフ娘らしい、薄いピンク色だった。いや、なにがとは言いませんけどもね。とりあえず、グッジョブミファ、とだけ。
無言のまま後ろに下がり、退室。シエラがそっと扉を閉じた。
「……えっと、フィエリの昼食はここに置いておくね。それじゃ、俺は皆の分のお昼を作りに戻るよ。お邪魔しました」
「え、ええ。なんか、ごめんなさいね? あ、シギは気にしなくていいのよ? フィエリだってちょっと裸を見られたぐらいだし、大丈夫だと思うから」
居間にある机の上にお盆を置き、そそくさとエルフ家からおいとまする。
なんだか微妙な空気になってしまったな。ラッキースケベは嬉しいが、現実で知り合い相手に遭遇すると、ただただ気まずい。
「ねぇ、シギ。間違ってもフィエリに欲情して、襲っちゃだめよ? あなたに限ってはないと思うけれど、もし手を出してしまったら……。ふふふ。そうなったら、今度は私があなたを襲っちゃうかもよ……?」
帰り際にシエラに呼び止められ、笑顔で意味深な忠告を受けた。そのときの彼女の目は据わっており、本気さを窺わせる。どことなく黒い気配を感じたため、とりあえず全力で頷いておいた。
同じ「襲う」でも、きっと違う意味なんだろうな。襲うカッコ物理てきな。
信頼のおける仲間に、後ろから矢を射られる展開だけは回避しよう……。
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