15:祝いのクラッカー
砂糖の試行錯誤を始め、ようやく納得がいく形で完成を迎えた。
四度の失敗を糧に、五度目の挑戦にしてようやくである。まったく、何本の甘露草を無駄にしたことやら……。
やはり重要だったのは、煮詰めるときの温度。もとの世界と違って、細かい火の温度調整は苦難を極める。弱火・中火・強火の概念しかないからね。
あと、鍋を直接火にかけたのがまずかった。
対策として温度が最高でも100℃までしかあがらない水の性質を利用し、湯煎をして水分を飛ばしたのが功を奏したのである。
粘りがでるまで煮詰めたら火から外し、最後は天日に干して残った水分を蒸発させる。すると焦げることなく、黄金がかった色の結晶だけを取り出せた。
時間はかかるが、最後は太陽に任せたほうが綺麗に仕上がったのである。
結晶をすり鉢で細かく砕けば、俺がよく知る砂糖っぽくなった。味を確かめると、ちゃんと甘い。精製していないので真っ白な仕上がりではないが、立派な砂糖である。
完成した喜びで、興奮が治まらない。調子にのった勢いで、さっそくこの砂糖を使ってあるものを作った。
出来上がったのが、『木苺のジャム』。木苺の果実がごろごろと形残る、市販の糊状の製品とは違ったさらりとしたジャムだ。
煮詰めすぎていないため保存は効かないが、そのぶん味は新鮮。木苺の風味がしっかりと生きている。
酸味の強かった木苺に砂糖を加えジャムにしたおかげで、酸味より甘みが勝って最高の一品となった。
砂糖の完成を祝して、自分へのご褒美に作ったジャムをいただくとする。
だがその前に、ジャムをつけるに相応しい食材が欲しいな。なにか主役となるものにつけてこそ、ジャムは本領を発揮する。
登場したのは、もはやおなじみのドングリ粉。おおまかな作り方の手順はクッキーと差異はないが、今回はハチミツは一切いれず、代わりに塩をちょっと大目に入れた。
クッキー生地よりも薄く板状に延ばし、四角く小分けに切って形成。フライパンで焼く。
こんがりと焼きあがったのが、『ドングリ粉のクラッカー』。木苺のジャムを垂れるぐらいたっぷりのせて、ひと口でぱくり。
クラッカーの薄生地がさっくり、噛み心地がいい。塩加減がちょうどよく、ジャムの甘さをより際立たせていた。
クッキーを作って食べたときも感動したが、ジャムのせクラッカーはあのときの衝撃を遥かに上回る。ひとり分の量しか焼かなかったため、お皿はあっという間に空。
最後のひとつを頬張り、愛おしく味わう。
……不意に背後から、冷たい殺気が感じられた。いや殺気というよりも、これは嫉妬だろうか?
恐る恐る振り返ると、そこには腕を組み仁王立ちするシエラが。沈んだ目で俺を見つめ、感情のこもらない笑みを浮かべている。
「美味しそうなおやつね? 当然、私たちの分もあるわよね?」
「今すぐ作ります、だから勘弁してください。抜け駆けしてごめんなさい」
怒らないところが、逆に恐い。
急いで追加のジャムを作り、人数分のクラッカーを焼いた。遅かれ早かれ、皆には振舞うつもりだったのだ。
思い描いていた手順と変わってしまったが、皆の笑顔がみれてよかった。
砂糖作りにひと区切りがつき、気分は晴れやか。
今日は畑をミファに任し、森組に同行している。一緒に行くのはシエラとベータ。
何気に俺ってば、最初の頃に狩りをすると宣言しておきながら、あまり森には出向いていないんだよね。
自分で行かずとも、シエラとゴーレムが採ってきてくれる。それが日常となっていた。
でもたまには、俺も違う空気を吸いたい。そこで今回は同行したわけである。
シエラは弓を携え、慣れた足取りでどんどん進んでいく。ベータは言わずもがな。俺もふたりに遅れまいと、必至に足を動かした。
素早く動ける軍靴のおかげでついていけているが、普通の靴だったら置いてけぼりをくらっていたかも。
先行するシエラが茂みで身を屈め、息を潜める。追いついた俺は彼女に倣って、同じように身を潜めた。
シエラが手振りで、茂みの向こうを指差す。草葉の隙間から覗き込むと、そこには数匹の子鬼が群れていた。
尖った耳鼻に、口から飛び出した牙。大きな目はギョロリとしており、醜悪な顔つきである。肌の色は青く、これまで見てきたどの生き物よりも魔物らしい姿をしていた。
「あれってひょっとすると、ゴブリンってやつ?」
「あら、初めて見るの? その通りなのだけれど、あいつらは普通のゴブリンじゃないわ。上位種のハイゴブリンね」
おおう、上位種。さすがは魔蝕の森か。
下位種の個体よりもさらに狡猾で、凶悪。外の世界では相当手を焼かされる厄介者らしい。けれど魔蝕の森においては、ハイゴブリンといえどカーストの底辺。捕食される側に位置している。
「……あいつらにどれだけ、同胞が辱めを受けてきたか。私たちエルフに限らず、人類であれば誰しも同じ。腸が煮えくり返るような存在の悪魔よ」
辱めと聞いて、嫌な連想をしてしまう。きっと俺の想像は、あながち間違いではないだろう。薄い本でお馴染みの展開が、この世界では現実として起こっているに違いない。
ハイゴブリンを睨むシエラの表情から察して、人族と同等かそれ以上に憎いようであった。まさか見つけ次第、奴らを狩っているのだろうか。
思わぬ残虐な一面を秘めているのでは、と不安になり、シエラに尋ねる。
「まさか。殺したいくらい憎いのは事実だけれど、感情だけでこちらから襲ったりしないわよ。奴らも森で生きる一部。不必要に殺していては、森の均衡を崩しかねないもの」
成り立っている均衡を崩せば、巡り巡って自分たちに咎として返ってくる。シエラはそう力説し、生き物の殺傷は必要最低限に留めておくのが森で生きる基本だと教えてくれた。
自然との共存を根ざす、彼女たちならではの考え方だ。俺も森で生きる一員として、シエラを見習おう。
「ハイゴブリンが移動するまで待つのも面倒ね。……シギ、あなたに面白いものを見せてあげる。ベータ、頼めるかしら?」
面白いもの? シエラは俺に、なにを見せてくれるというのだろう。
彼女の問いかけに、ベータは行動で示す。後方で控えていた巨体を立ち上がらせ、群れるハイゴブリンたちの元へ堂々と進んでいった。
『ギ? ギギィッ!?』
『ギィーッ!!』
ベータが現れた途端、ハイゴブリンは声を荒げて慌てだす。蜘蛛の子を散らすようにして、一目散に逃げていってしまった。
「ふふふ、どう!? 慌てふためくあいつらの姿、滑稽で面白かったでしょう!?」
たいそう嬉しそうに、ご満悦なシエラ嬢。無邪気な笑顔に、どことなく彼女の闇を垣間見た気がした。
森に住まうハイゴブリンにとって、アルファとベータは天敵として認識されていた。
力では敵わず、体の頑丈さから奴らの持つ粗末な武器では歯が立たない。対してゴーレム側は、腕を振り下ろすだけでハイゴブリンを殺せる。単眼を光らせれば、それこそ一掃できてしまう。
よしんぼハイゴブリン側が勝ったとしても、得られるのは勝利の愉悦のみ。ゴーレムの体は石で出来ているため、可食できる部分がないのだ。
これはハイゴブリンに限らずで、ゴーレムは戦うだけ損な相手となっていた。
そりゃ、普通は戦わずして逃げるよね。初日に俺を襲った狼がアルファと対峙したのも、獲物の横取りを危惧してのこと。
縄張りだとか子供を守るためだとか、特別な事情がない限り率先してゴーレムを襲う魔物は皆無。俺が知らなかっただけで、アルファとベータは魔蝕の森に君臨する覇者であった。