14:甘露草
ガルグを迎えた日の翌日。
朝食を終えた彼は、さっそく外に連れ出してくれと頼み込んできた。
体にハンデを負った人は大抵、最初の頃のフィエリのように塞ぎこみがちになる。逆を行く彼の積極性には舌を巻くくらいだ。やってやるという意気込みがあっていい。
「その前に、この杖をガルグにあげるよ」
「うん? 杖だと? 拳を武器とする俺には不要だぞ」
「いや違うから。間違っても棍棒として使わないでよ? 細いから、簡単に折れるよ」
俺がガルグに渡したのは、視覚に障害を持った人が使用する『白杖』。もっとも、塗装はしてないので白くないけれど。
昨晩夜なべをして、木材から削りだした。取っ手には紛失防止用に紐をつけてある。
「持つのは杖の端ね。持ち手とは反対の杖先を足元に差し出して、踏み出す数歩先の情報を探るんだ。物が置かれていれば杖がぶつかるし、段差があれば気付ける。いわば失った視力の代わりを、杖越しの触覚で補う……って感じかな」
白杖の役割はそれだけではない。所持者が視覚障害者であることを周囲にひと目で理解してもらう役目などもあるが、杖としての用途以外は割愛しておこう。
同居人となったガルグのため、今日から家の中は整理整頓を意識し、散らかさないようにと心がけていく。物が床中に転がっていては、彼が歩きづらくなるからね。
彼が暗闇に慣れて嗅覚と聴覚が生かされるようになるまでは、渡した白杖が頼りとなってくれるはずだ。
白杖の使い方をガルグに教えながら、彼を連れて外に出る。外では、ミファとフィエリがふたりで遊んでいた。
こちらに気付いたフィエリが、杖をついて歩み寄ってくる。
「ふふ、私とお揃いですね。ガルグさん」
「む? その声と臭いは……フィエリか。はて、俺とお揃いとは?」
「私も、シギ様からいただいた杖をついて歩いているんですよ。だから同じ、杖仲間です」
ああ、ガルグにも見せてやりたい。微笑むフィエリの、この天使のような笑顔を。
杖を与えてからしばらく、フィエリは随分と杖での歩行が上達していた。最初は彼女の速度に合わせてゆっくり歩いていたのが、いつしか気にかける必要がないほどまで。
晴れの日はこうして毎日、ミファと外に出て遊んでいるからね。そりゃ自然と上達していくか。
「はは、なるほどな。よろしく頼むぜ、先輩」
うむ。ガルグも問題なく打ち解けているようで、安心する。
話していてわかったが、ガルグは気のいい奴だ。彼と相性が合わないとなれば、相手側がよっぽどアレな性格をしていたときだけだろう。
ガルグは今日一日、敷地内を歩き回って周辺地形の把握に努めるそうだ。木の柵が設けてあるため、知らず知らずのうちに危険な敷地外へ出ていたなんて危険は起こらないだろう。
待機役のアルファも目を光らせているし、なにかあればすぐ彼が駆けつけて未然に防いでくれる。
あ、ちなみにガルグはちゃんと、アルファに礼を述べていた。
その際のアルファの反応だが、単眼を明滅させて感謝の言葉を受け取っている。俺にはどことなく、アルファが嬉しそうに思えた。
今日もミファを手伝いに連れ、畑の雑草むしりに精をだす。フィエリは自宅で日課となった服の仕立て直しを始め、シエラはベータと森に。
この頃には自然と、各自の役割分担ができあがっていた。
新しく加わったガルグにも、そのうちで構わないからなにかしら役割を持たせたい。
彼の場合はフィエリと違い、すべき目標があるので精神面での心配はいらないが、タダ飯喰らいだけはご法度だ。
とはいえ目の見えないハンデと、原始的な生活はすこぶる相性が悪い。視力は行動全般に大きく関わってくるからね。
盲目の絵描きや音楽家はいるけれど、今の生活環境に必要かと問われたら頭を捻る。ガルグも芸術家肌ではなさそうだし。
ガルグに任せられる明確な仕事が思いつくまでは、彼にもできる用事をその都度手伝ってもらうとしよう。
他人ばかりではなく、自分の仕事にも目を向ける。
先日植えたオレモンの種だが、植えた明くる日にはもう芽吹いていた。その後の成長も早く、もう若木と呼べるまで育っている。
肝心の実はまだ実っていないが、収穫に至るまで秒読みの段階だろう。
オレモンの成長が順調なので、続いて新しい作物に手を出す。
次に育てるのは、これまた森で採取されてきた木の実。赤い小粒の実がぎっしりと密集した果物、木苺である。
野生種のためか酸味がかなり強いけれど、可愛らしい見た目と甘酸っぱい味から、エルフ娘たちが大変好んでいる。
そのまま食べてもデザートとして十分成立しているが、ソース状にしてドングリクッキーにかけても美味しかった。
我が家の食卓を彩るためにも、この木苺は量産せねばなるまい。エルフ娘たちからの無言の圧力が、俺の背中を押した。
オレモンを植えた場所の隣を耕し、木苺を育てるための新たな畑をこさえた。手順はオレモンのときと同じ。今から実るのが楽しみだ。
ドングリについても、美味しく食べられるとわかったため栽培する。敷地を出たすぐの場所に、適当に等間隔で植えておいた。仕上げにいつものポーション肥料。
わざわざ森の中まで足を踏み入れずとも、近くで採取できるのならそれに越したことはない。
今日の作業はここまで。森に出ていたシエラとアルファが帰還したので、本日のお仕事はお終いだ。
「シギ。あなたに頼まれていた植物を見つけたから、持って帰ってきたわよ」
「おぉ、本当か!? ありがとう、シエラ!」
彼女から手渡されたのは、アロエに似た多肉植物。土から根っこごと掘り起こし、持って帰ってきてもらった。
この植物もアロエ同様、肉厚な葉の部分を切ると断面から、とろりとした粘りのある液体を出す。どれだけ水分を蓄えていたんだと思うほど、それはもう大量に。
ある日シエラにくっついて森に行ったミファが、この植物の葉を千切って持ち帰ったのがきっかけである。
「――あれ、ミファ。お前、なにをしゃぶっているんだ?」
「草を舐めていル。断面から染み出す汁が、とても甘いんだゾ」
シギもどうだ? と差し出されたので、お言葉に甘えてぺろり。
液体が舌先に触れた瞬間、頭に電流が走った。いや電流はあくまで比喩表現に過ぎないのだが、それほどの衝撃を受けたのは事実。
舌で舐めとった植物の汁は、とんでもなく甘かった。まるで、砂糖を限界まで溶かした水を舐めたかのような甘さ。
この甘さ知ってしまっては、必然的に思いついてしまう。砂糖が作れるのではないか、と。
これまで甘味はハチミツ頼りだったが、どうしても特有の風味がついてまわっていた。ハチミツはハチミツで美味しいけれど、砂糖の代わりを全て務めるには荷が重い。
またハチミツは常に安定供給される食材ではないため、後先考えず使っていれば在庫が枯渇してしまう。
もしこの甘い汁を蓄えた植物が栽培できれば、今後は甘味料が安定して入手できる。となれば、やらないわけにいかないだろう。
あのときミファが持ち帰ったのは、植物のほんの一部だけだった。
千切られた部分だけでは栽培できないとそのときは諦め、後日シエラに森で見つけたら根ごと持ち帰ってほしいと頼んだのである。
あれから数日。ようやくシエラが例の多肉植物を発見し、持ち帰ってくれたわけである。
植物の名は甘露草と命名。明くる日、さっそく根を株分けして畑に植えた。
最初は甘露草の量産に専念。株分けを繰り返して倍々に増やしていき、ある程度の数が揃ったところで砂糖作りにとりかかる。
俺がとった方法は、至極単純。切断面から溢れ出す液を鍋一杯に集めて、不純物を取り除いてから弱火にかけ、あとは時間をかけて煮詰めるだけ。
焦がさないように注意しながら、結晶だけが鍋底に残るまで徹底的に水分を飛ばした。
そうして出来上がったのは、焦げ茶色に変色した塊。舐めると甘みよりもまず先に、苦味が襲ってきた。
明らかに失敗だ。完全に焦げている。
どんどんと焦げ色に変わっていく様子から、作業の途中で薄々失敗を予感してはいた。
弱火ですら火が強すぎたのだろうか? それとも混ぜが足りなかった? 工程を振り返り、なにがいけなかったのかを考える。
この日から俺の日課に、砂糖作りの試行錯誤が加わった。