2人目
今の自分は現在進行形で反抗期というやつだった。巷の高校1年生なんてだいたい親には反抗的だろうが、僕が今一番腹を立ててる相手というのは、目の前でポテチ片手にテレビを見ているこの女だ。
「あ、ジャニーズ特集だって、うわー出たよ、お姉ちゃんが勝手に履歴書送りました、だって〜。私も裕人くんの写真で履歴書送っちゃおうかな。」
「あのさ。」
「げっ、裕人くん聞いてた?やっべぇ〜ぶん殴られる〜〜。」
「ポテチ食いながらソファ座んなって何度言ったらわかるんだよ!!」
「わかってないな〜〜、ポテチ片手にテレビを見ながらソファーにゴロン。これが醍醐味なの。高校生にもなってそんなのもわかんないの?」
「油がソファについたらどうすんだよ!!」
「高校生がそんな世のお母さんみたいな心配しなくていいのに…」
少し同情気味の目でこちらを見る女、もとい紗和により一層腹が立つ。同居を始めて2週間、初めこそ敬語に敬称で紗和を敬っていたつもりだったが、1週間でそんなものは我慢の限界だった。とにかく谷代紗和という女はいい加減で、だらしがなくて、同居に一番向いてなさそうな人間だった。特に潔癖症気味で几帳面な自分にとっては目に余る行為の数々に二週間しか経っていないがもうこの生活にお手上げと言ってもいいほどだった。唯一の救いは、紗和が料理の腕に長けていた事だけだった。それ以外の掃除、洗濯といった家事は紗和が自ら率先してやらないので今のところは僕がその役割を担っている。
入居して3日たった日、紗和が自分の洗濯物を洗濯機に入れたまま放置していた事は、そこそこ遠慮しながら過ごしていた僕にとってあまりに衝撃的だった。
「あのー…紗和さん、申し訳ないんだけど、服とか洗濯したいから…紗和さんのやつはどかしてもらえると助かるんですが…」
「あー!うん、私の分も洗濯しといてくれると助かる!」
その言葉を待っていたと言わんばかりの紗和の回答には思わず敬語を忘れた。
「え…いっしょに洗っちゃっていいって事?」
「うん、水代浮くし。」
「いや…下着とかもあるし…」
「あ、今日は気にせずガンガン洗っちゃっていいよ!ネットは今度買うね!」
「いやそういう事じゃなくて…」
これ以上続けていても拉致があかないのでもう口ではなく手を動かすことにした。反抗期であり思春期でもある僕にとって、女子大生の下着を洗うということに複雑な感情はあったが、それ以上にこれから紗和とシェアハウスをする事に対する不安の方が大きかった。こういった価値観の違いのせいで反抗の対象はものの見事に実の母親から同居を始めて2週間の女子大生に完全に変わった。そんなこともあり、根っからの猫かぶりである僕だったが、紗和のことは内側の人間とみなし、悪態を吐くのが常になっていた。
本来ならば紗和という人間は自分にとっては恩人に値する人だった。
母と父の離婚が決まったのは半年ほど前のことだった。離婚の理由は分からなかったし、子供である自分が知る必要もないと思っていた。もともと父は仕事中心に生きている人で、一緒に過ごす時間も決して多い方ではなかった。だから、自分は必然的に母についていくものなんだろうと思ったし、事実そうなった。これから1人で自分を育てていくであろう母に感謝をすれこそ憎むことなど一生ないと思っていたが、状況は変わった。
離婚してわずか4ヶ月で母は別の男と結婚した。あまりに早い再婚に頭は理解に達しなかったし、「法律が変わって100日経てば再婚できるんだって」などと述べている母をみて吐き気すら覚えた。母を嫌いになってはいけない、なるべきではない、助けあって生きなきゃいけないんだ、と脳内に染み込んでいた感情がドロドロとした別のものに変わっていく。この嫌悪感の正体を突き止めてはいけない。それをしてしまったらおしまいだ。そう自分に言い聞かせたけど思考に身体が追いつかなかったようで、中学卒業を控えた頃に体調を崩した。母の再婚を機に今まで住んでいた家は売って、再婚相手の男と暮らすと聞いて、口が勝手に動いていた。
「一人暮らししようかな。」
正直一人暮らしでなくても、なんでもよかった。母と、その男と3人で生活をする事さえ避けられれば。
母の反対に反比例するように、自身の別居に対する欲も高まった。どんな形でもいい、母親が思い描いている、新しい父を迎えた幸せな暮らしを壊せればもはやなんでもよかった。父方の祖父母宅に住むことも考えた。実際に頼み込もうと思って祖母の家まで行ったが、その日は要望を言い出すことが出来なかった。
それからというものの、何度も足を運んでいたら、母にバレた。親権がどうのとかいう理由で祖父母と会うことを禁じられ、これで会うのが最後になるのかなと思った日に祖母から提案を受けたのが、ルームシェアだった。
紗和がどんな理由でルームシェアを始めたか、そんなことは知らないし、まさか自分を助ける為ではなかっただろう。それでも、あの状況から救い出してくれたのは紗和とのルームシェアだという確信はあった。
だから、感謝しなきゃいけない、それは重々わかっている。
「わかっちゃいるけど…あの女どんだけ生活スキル低いんだよ!!!!!!」
女性ものの下着を片手に、それを地面に叩き付けたい衝動に駆られた。
どうやら高校生という生き物はいつだって忙しいらしい。
裕人君はいつだってバタバタと...いや、ドタバタと...?忙しなく動いている。
例えば今日の朝だって、自分の部屋からリビングへ向かい、寝ぼけ眼をこすりながら一言おはようと呟けば、
「起きるのおっせーんだよ!!髪くらいとかしてからこいよな!!本当にアンタ女か?」
と、四文字の言葉に対して十分すぎるほど返事をしてくれた。ほかほかのごはん、タマネギ入りのみそ汁と鮭フレークの瓶、自分の分だけでもいいのに彼はいつも二人分の朝ご飯を用意してくれる。つやつやのお米に鮭フレークをのせて、お味噌汁を一口。1人暮らしを始めてから朝ご飯を食べる習慣がなくなってしまっていたが、やっぱり朝一番に人が作ってくれたみそ汁が飲めるということは幸せなことだ。それを噛みしめ、ありがとう、と言えば裕人君は
「別にお前の為とかじゃねーよ!!勘違いすんなよ!皿は自分で洗っとけ!!皿洗いさぼんなよ!?」
そういって鞄をがさごそとしている。その時間があまりに長いので、どうした?と聞くと、
「イヤホンが見あたんねー…。おっかしいな…。あー!!!もうこんな時間じゃん!!やっべー…」
今日は何も聴かずに登校するか…。そうあまりに残念そうに呟くので、部屋に戻って真新しいイヤホンを取ってきて、彼に差し出してみた。
「ちょっ、お前食いながら歩くなよ。行儀わるいな…。え?なにこれ。貸してくれんの?」
「あげる。」
「は!?これそこそこ値段するヤツだぞ!?」
「バイト先で安く買ったの。私ヘッドホン派だし、いいよ、あげる。」
「いや…でも…」
あからさまな困惑顔を見せる。やったー、とか言って喜んでおけばいいのに、裕人くんはそういうところを妙に気を遣う。
「朝ご飯、洗濯、それと掃除、色々やってもらっちゃってるし、お礼ってことで。」
「…そういうことなら…。ってか!お前も自分のことくらいしっかりやれよな!!まあ…でも、これはありがたくもらっておく…。ありがとう。」
「こちらこそ。あれ?裕人くん照れてる??」
「照れてねーよ!!!!もう俺学校いく!!いってきます!!」
「はーい、いってらっしゃあーい」
少し間の抜けた返事をして、またご飯を一口、うん、やっぱり幸せかも。
大学は今日は昼過ぎからだ。この家に引っ越す前だってノロノロと準備をしていたけど、今はそれに増してノロノロダラダラしている。一人暮らしの時と比べるとやらなきゃいけないこともグンと減った。というか、裕人くんが全部やってくれてしまってる。さすがの私も申し訳なさがあるから、夕飯は作るようにしているけど、彼の口にあってなかったらどうしようって感じ。お、イケメンが料理作ってる…参考にしよう。お昼時のニュース兼バラエティみたいな番組を見ながら、ボーッとそんなことを考えていたら、ポコン、と少し間抜けな音がした。お、LINEかな。送り主は大学の友達からだった。
『今日、夜空けといて!!』
「ええ…今しがた夕飯を頑張ると決めたばっかなのに…」
『夜は無理!』
よし、強めに断ったから今日は大丈夫だろう…なんて思ったのもつかの間、電話が鳴った。ちなみに私の着信音は仁義なき闘いで設定してあって、毎回電話が来るたびにドキッとする。この着信音を設定したのは今まさに私に電話をかけてきた友達だったりする。
「引っ越した?なんでまた」
食堂のカルボナーラを口に含みながら西村加奈子は言う。質問をしてくるわりに彼女の視線の先は常にカルボナーラで、プラスチックのフォークで器用にそれをくるくると巻いている。彼女とは高校時代からの付き合いで、大学は違うもののたまにこうして食堂のメニューを制覇しにやってくる。手短にシェアハウスの旨を伝えると半ば興味なさそうにカルボナーラをつついている。
「でもさぁ、シェアハウスって言うと、やっぱそれなりに人は集めなきゃなりたたないんじゃないの?」
それは一理ある。と言うものの、現時点での住居人は自分を含めて2人。これでは祐人くんと同棲状態っていうか、良くも悪くも実際はそんな雰囲気は微塵もないが、とにかく世間体的にもあまり良い状態とはいえない。「大学で貼り紙でもするか…?」そんなことを呟くと、加奈子が待ってましたとばかりにカルボナーラから目を離し身を乗り出す。
「飲み会いこ!!!!!!」
またそれか…。この友人がわざわざ5駅も離れたこの大学まで出向くのは学食のためだけではない。どちらかというと効率よく行動することを好む彼女には来る時に5駅分の体力と賃金に見合った目的が要する。飲み会は好きだが、最近はそれどころではなかったのでそういった誘いを断り続けていた。それが今回の訪問の根源だったということだ。
「飲み会か…でもなぁ、祐人くんいるし…」「高校生なんだから留守番くらいできるでしょ?てか、保護者じゃないんだしそこまで面倒見なくてもよくない?」
「夕飯は一緒に食べたいの。普段からお世話になりっぱなしだし、夕飯くらいは頑張りたいっていうか」
「お世話になってる??してる方じゃなくて??」
「今の所の家事は9割祐人くんが担当してる」
「というと?」
「掃除、洗濯…あと最近は朝ごはんも作ってくれるな」
「あんた年長者としての…っていうか女としてのプライドとかないわけ?」
辛辣な言葉を放つ友人だが正論すぎてなんともいえない。家事は出来ないわけじゃないし、一人暮らしのときはそれなりにこなしてたわけだからやるべきなのはわかっている。高校生の祐人くんに家事をしてもらってることに多少の罪悪感もある。それでも祐人くんに家事をしてもらうのにはちょっとした理由があった。
父と母と離れて、祖母と二人暮らしを始めた頃だった。