第三章『小さな眠り姫②』
レオニード国王の妹宮を抱え、アランとファングは人目を避けながら大きな橋の下へと避難した。
この状況下でも妹宮は目を覚ますことなく、本当に眠り続ける病気なのだと実感する。
そのことをファングに説明すると、彼は草の上に横たわった少女を見下ろして神妙な面持ちになった。
「この娘はプリンシパルではないと思いますよ」
「えぇ?!」
「国王の言っていたとおり、おそらく病気でしょう。露桟敷の種を飲み込んだものと思われます」
「…そんな病があるのか」
「バフィト国内でも知れた病気ですよ。運び屋にも利用されます」
と言われて、そんな知識のないアランは首を傾げた。
「…運び屋って?」
「露桟敷の種を密輸しようとする人間はあとを絶たない。胃の中に入れれば大丈夫と思う輩もいますが、アレは猛毒で死に至る者も多い。実際バフィトの軍部で働いていた時も、そういう症状の犯人を何人も捕まえました」
「知らなかった。…ではなぜこの娘はまだ生きているんだ? ずっと仮死状態だと聞いたが、いつか死んでしまうのか」
「花槽卿が近くにいるからです。ファミリアの加護を受けているのです。本物のプリンシパルはレオニード国王の方ですよ」
「まさか!」
アランは声を張り上げて、実を乗り出した。
「あの男の体には独特の模様がなかった。彼がケガをした時に見たから間違いない」
「まだ覚醒していないのでしょう。ヴァン殿下のときもそうでしたから」
「──そ、それに…私のことを、覚えてすらいなかった」
「…」
結局はそこに行きつくのか、と思いながら、ファングは落胆するアランを見つめた。
力づける言葉すら見つからない。
アランは河川敷に座り込み、拳を握りしめた。
「プリンシパルとは、あんなに早く成長するものなのか。ヴァンがいなくなってまだ数年…。それにレオンはイーゴルの国王だぞ? もし本当にプリンシパルだとしたら、前・国王はどこに行ったんだ?」
「それはオレにも分かりませんが。レオニード国王が花槽卿なのは間違いないと思います」
「…」
ファングが、そう言うのなら、そうかもしれない。
なにしろ彼は、ヴァンとは深いところで繋がっている。
アランとフェルディナンのような血縁関係はないものの、幼い頃から共に同じ時間を過ごした《同胞》という立場が、深層に訴えてくるのだろう。
「どうしますか」
ファングに尋ねられて、アランははたと顔を上げた。
「え、」
「プルーデンス国王の命令では、イーゴル国王を殺してプリンシパルを取り戻せということでしたよね」
「そんなことできるか。同一人物なのに、殺して救うなんて不可能だ」
「八方塞がりですね。では、こちらから戦争をしかけてレオニード国王を捕虜にするのが妥当でしょう。プルーデンス国王殿下ならそうすると思います」
「…それは、」
困惑したように口ごもり、アランは言い返すことができなかった。
──戦争とは、そういうものだ。
欲しいものがあれば、交渉不可能と判断した時点で、力づくでの強奪になる。
頭では理解しているくせに、レオンがバフィト王国の捕虜になると思うと、それはそれで胸の痛い話だ。
しかもあの新しいプリンシパルは、アランのことを覚えてすらいない。
アランは、傍らで眠る少女を見た。
いまだ眠ったまま。
…しかし、彼女は幽体離脱の能力を持っている。
意識を飛ばすことができるのなら、どこにいてもレオンに見つかってしまう。
「捨て置きますか」
「そんなことできない!」
「ではひとまず宿を探しましょう。こんなところで朝を迎えるわけにはいきませんから」
そう言ってファングが立ち上がった瞬間。
橋の上から金貨が落ちてきた。
「?!」
ぱらぱらと頭上から降ってくる硬貨に驚いて橋の上を見上げると、欄干に立つ1人の女性が目に入った。
宿屋の女主人だ。
思わず、あっと叫んだ瞬間。
ようやくこちらに気づいた彼女は、大慌てで身を翻して逃げ出そうとしていた。
「ファングはここにいろ」
そう言い残して、足早に橋の上へと駆け上がる。
そして寸でのところで二の腕を掴むと、アランは容赦なく路傍に転がして追い詰めた。
「やめてよ、離して!」
女が叫ぶ。
「こんなところで寄り道してるヒマはないのよ。追われているの、捕まってしまうわ」
「──ははぁ」
大まかな状況を察し、アランは落胆した思いで彼女を見据えた。
「なるほど。いつぞや私の部屋に忍び込んだ盗賊は、お前の手引きだったのか。レオンと口裏を合わせて画策したんだな。…えぇと、名前はなんだったかな、女主人」
「…っ」
しかし、彼女は名乗ろうともしない。
そこに蒼白して追いかけてきたファングに気づき、アランは即座に声を掛けた。
「ファング。この女、斬り捨てていいぞ」
とたんに、女は殺されると知って真っ青になった。
「ちょっとよしてよ! ニナよ! ニナ・グリアモール」
「そうか。…では、ニナ」
と、アランは微笑した。
「その金貨はお前のものじゃないだろう。凝りもせずに、宿泊客を狙って盗人を繰り返しているのだな。追われているなら助けてやるが、その代わり一つ頼みがある」
「…っ」
「聞いているのか。──仕方ないな、ファング」
すると、路上に伏し倒されたニナがじたばたと暴れだした。
「分かったわよ! なんでも言うことを聞くから助けて!」
その時だった。
息も絶え絶えな様子で追ってきたらしい被害者の男が、ふらふらと橋の上まで駆け寄ってきた。
「こ、こいつっ、…自警団にしょっ引いて裁判にかけてやる。二度と牢屋から出られないようにしてやるぞ!」
この場で殺しかねない勢いの男に肩をすくめ、アランはニナをかばうように前に立った。
「すまない。私の知り合いなんだ。彼女は、病気の身内を助けるために、仕方なく盗みを働いてしまったのだ。許してくれとは言わないが、ここはひとつ穏便に引いてはくれないか」
「しかしっ、それではオレの気が済まぬ!」
「もちろん、そうであろう」
と頷き、アランはニナが持っていた財布を男に返すと、さらにポケットから懐中時計を取り出した。
「本当にすまなかった。お詫びにこれを預けておく。バフィト王家の紋章が入っているから、もしバフィトの都に来ることがあれば、《アランから預かった》と伝えれば、王家は必ずやお前の力になろう」
「…そ、それならば、…しかたないな。…まさかこれ偽物じゃないだろうな」
「バフィトのプルーデンス国王は、私の従兄だ」
アランはにこりと笑うと、懐にしまっていた短刀を見せた。
柄の部分にも、同じようにバフィト家の刻印が刻まれている。
それで納得したらしい男は、ようやく溜飲が下がったような面持ちで、浮かれ足で立ち去っていった。
あとに残された3人は、脱力したまま。
ファングにいたっては、いきなり遭遇した揉め事に頭を抱えている。
ニナを振り返ったアランは、彼女を立ち上がらせると、得意顔で口の端を曲げてみせた。
「ひとつ貸しだからな、ニナ」
「分かったわよ。それで私に頼みってなんなの!」
「実はもう1人連れがいるんだ。3人分の宿を用意してほしい」
そう言うと、ニナは拍子抜けな顔で目を開いた。
もっと難解な依頼をされると覚悟していたらしく、その表情がみるみる安堵に変わっていくのがおもしろかった。