第三章『小さな眠り姫①』
イーゴル国からバフィト王国へと送られてきた書簡に目を通し、フェルディナンは思わず絶叫した。
「アランが人質になったってどういうことだ?! なぜファングが同行しなかったんだ。アラン単身で乗り込ませて、山小屋で留守番してたってのか。そんなことは命令していない!」
すぐさま王宮に呼びつけられたファングは、怒り心頭のフェルディナンに責めたてられ、返す言葉もなかった。
心地悪そうにうつむいたまま、フェルディナンと彼の妻サキソライト、そしてリトシュタイン帝国の現皇帝であるシェノアに取り囲まれて、ようやく声を絞り出した。
「アランは、その、ただの偵察だと言っていましたが」
とたんにフェルディナンが、忌々しそうに舌打ちした。
「くそ、アランのやつ、完全に私情を挟んで動いてるな! こんな事態ではもうオレ1人では決められない。評議会に決定をゆだねることにする。どうせだからお前も参加しろ、シェノア」
「分かったわ」
当然のように頷いたシェノアがドレスの裾を翻したのを見て、ファングは慌てて身を乗り出した。
「お待ちください。それならオレに行かせてください」
「…あ?」
不愉快そうなフェルディナンが、まるで役立たずと言わんばかりに見下してくる。
それを振り切って、声を張り上げた。
「評議会の決議には時間がかかるでしょう。話し合いがまとまるより先に、アランを連れ戻します。アランを1人で行かせたのはオレの責任ですから!」
「──お前なぁ」
「オレが密偵は得意です。かつてはヴァン殿下のご命令でよく秘密裏の仕事をしていましたから。イーゴル国に悟られることなく動ける自信があります」
「…でもな。ここでお前まで失うわけにはいかないんだよ、ファング」
「アランを失うよりマシでしょう。万が一にでもアレクシア・クリスタ公女が人質として処刑されることになれば、ファミリアが騒ぎます」
「っ、」
やたらと熱心なファングの主張に困惑し、フェルディナンは妹や妻と顔を見合せて、不安そうに瞳を曇らせた。
■□■□
その頃。
イーゴル王宮に軟禁されたアランは、どうにか脱出を試みようと考えを巡らせた。
しかし入口には監視役の見張りが数人ほどいて、さらに窓には鉄格子。
とても逃げ出せるような状況ではない。
「ふむ」
アランは、冷静な面持ちで部屋中を見回した。
「入口がダメなら、上か下か」
ためしに床を踏み鳴らし、その強度に絶句して、床板をはがす作戦は諦めた。
それでは、と気持ちを切り替えてテーブルと椅子を引き寄せると、天井の数か所をあら探しして、どうにか抜け出せそうな箇所を発見した。
しかし、
「あーらら…」
あろうことか、天井を開けた先にも鉄格子が張り巡らされている。
だが窓ほどは頑丈ではないらしい。
細く連なったパイプの一端を握ると、スクリュー式になっていて、くるくると回して外れるようになっている。
それを時間をかけてどうにか2本ほど外すと、ようやく小柄なアランが通れるほどの隙間が出来た。
「よし、行こう!」
こうなってしまえば、後は早い。
瞬く間に軟禁部屋から脱出して、狭い天井裏を這うように進んでいくと、いくつかの梁を通り抜けながら、どうにか外に出ることができた。
「…ここは、屋上か?」
たどり着いたところは、王宮の見張り台のような場所だった。
敷地の全体が遠くまで見渡せて、ちらほらと護衛兵たちの姿が垣間見える。
そして、一番警備が厳重そうな尖塔を見つけて、思わずほう、と息をついた。
どうやらあの塔に、レオニード国王の妹宮は隔離されているらしい。
少し離れたところにあるものの、迂回して壁づたいに歩けばたどり着けそうだ。
「…高い塔に閉じ込められたお姫様、か」
と苦笑して、アランは王宮の壁伝いに歩き出した。
王宮内はいまだ静寂を保っていて、まだアランが逃げ出したことには気づいていないらしい。
動くなら、今のうちだ。
さしたる慌ただしさもなく、王宮の上を吹き抜ける風が、心地よくアランの髪を撫でた。
尖塔へは、思っていたほど苦労なく忍び込むことができた。
とはいえ、ここにたどり着くだけですでに疲労困憊ぎみなのだが、そうは言っていられない状況に嘆息しつつ、石づくりの長いらせん階段を一足飛びに駆け上がった。
「…やれやれ。レオンのやつ覚えとけよ。私にこれほど体力を使わせたことを後で後悔させてやる」
そんな悪態をつきながら、途中で拾ってきた針金を使って、塔の扉のカギを開錠した。
──レオンの証言どおり、そこにいた女の子は安らかな表情で眠っていた。
しかも地下牢で出会った少女に、間違いない。
その寝顔を覗き込み、アランは思わず目を見張った。
「えっ? …これは、冗談じゃないだろうな?」
思わずそう口走ってしまったのも、仕方がないことだった。
妹宮の体には、全身に草の葉の模様が広がっている。
その顔はもちろん、服の袖や裾から伸びた手足は、まるで蔓のような文様が巻き付き、その体を守っているように見える。
「まさか、この子が、プリンシパルだってのか?」
しばらく当惑していたものの、いつまでもここにいるわけにもいかない。
アランは両手を伸ばして少女を抱きかかえると、再び元来た道を戻るハメになった。
しかし、その苦労は長くは続かなかった。
いくら男の体躯であるとはいえ、さすがに少女1人を抱えて逃げるのはムリだろうと思えた刹那。
尖塔のらせん階段で、こちらへと駆け上がって来たファングと遭遇した。
予想外のことに目を見張り、お互いが幽霊でも見たかのように石化した。
「ファングか?! なんでここに」
「助けに来たんですよ、当然でしょう」
とは言うものの、彼はずいぶんと不機嫌そうだ。
あまつさえ少女を抱えて汗だくのアランを凝視して、信じられないという顔で呆れ果てている。
「いったい何をやってるんですか、あなたは」
「…いろいろ事情があるんだよ」
「まったく。危ない事はしないとか、ただの偵察だとか、よくそんなこと言えましたね。しかも今度は誘拐ですか?! その小脇に抱えているものは何なんです」
「…花槽卿だ」
「は?!」
ぽかんと口を開けていたファングの表情が、とたんにいびつに歪む。
なにを言っているのか理解できないというように立ちすくんでしまった彼を、アランは思い切り足蹴りにした。
「ぼーっとしてるなよ! とりあえず逃げよう」
その指示に肩をすくめ、ファングは少女を引き取って先を歩き出した。
「こちらへ。抜け道があります」
「さすが! 頼りになる!」
「褒めてもなにも出ませんよ」
「感謝してる」
うきうきとした声で礼を言われて、ファングはなおさら複雑を醸しだした。
けたたましい警告音が鳴ったのは、その時だった。
あと少しで王宮を脱出できると思えた刹那。
敷地に待機していた警備兵たちが、血相を変えて走り出していく。
「なんの騒ぎです?」
周囲を見回したファングに、アランは悪態をついて髪をかき上げた。
「見つかったらしい。早く逃げないと、お前までつかまるぞ、ファング」
「人質にされていたというのは本当だったんですね」
「今さら確認するなよ、そんなこと!」
ファングの着ていたコートに手を伸ばし、彼が帯刀していた剣を勝手に引き抜くと、アランは近づいてくる衛兵たちを次々に峰打ちにして、城門へと向かった。
「──アラン!」
その声に、思わずはっとして、アランは足を止めた。
振り返った先で、レオンがこちらを見つめている。
王城のテラスに身を乗り出し、自分の妹の姿を見つけて蒼白する彼に、アランはふっと笑って再び踵を返した。
「…あれは?」
と、ファングが尋ねてきた。
「イーゴル国のレオニード国王殿下だ」
そう答えるが早いか、アランは素早く城壁を飛び越えると、ファングと共に王宮を脱出することに成功した。