一時限目:社会分野(1)
「あの日」の出来事は、今でも鮮明に覚えている。
灰色の雲が立ち込めた、今にも雪が降り出しそうな寒空の中自分の家に帰り、玄関の扉を開いた先に広がっていた光景を。
最初に目に入ったのは、玄関に倒れ伏す母親の姿だった。
次に目に入ったのは血にまみれた鋭利な刃物を持って立つ父親の姿。
そして―――――――
乾いた音が響く。
はっとして我に返ると、50mほど離れたところに東洋風の鎧には全くそぐわない回転式拳銃を両手に持った武士が立っていた。銃口は俺に向けられており、硝煙が立ち上っている。幟には明らかに日本語ではない文字に太陽と月の紋。どうやら武士もそぐわない武器になれていないらしく、運よく的を外したようである。
昔のことを考えていたがそういえば自分は今試験を受けていたのだと思い至り、全力で逃走を試みる。
何を隠そう俺、つまり藤崎深夜は「試験」にもかかわらず銃撃戦を武士と繰り広げているのだ。勿論、素手VS銃。敵う訳がない。というより無理、不可能。そもそも片方が銃を持っていないのに「銃撃」戦 と呼んでいいのかも分からない。幸いなことに向こうの腕は大したことがないらしく、竹林に入れば避けられるとそれまでの闘争(逃走?)で明らかになっている。
この「模擬幻想試験」という「模試」の正式名称の間に何故か「幻想」を割り込ませた無駄に長い名称を持つ試験は50年位前に導入された試験形態らしい。前時代の遺物、というか昔の話では「試験」とは椅子に座って一定時間紙に書かれた文字と格闘するものだったようだ、と歴史の授業で学んだことがある。
一時限目は、社会分野。
試験日程は全部で五日間となっているが、試験の区切りは「時」である。
この模擬幻想試験は受験者によって試験時間が異なる。一つの時限が10分程度で終了する人もいれば、24時間かかる人もいる。試験時間の長短が受験者の出来不出来を示している訳ではなく、この空間における分野ごとの「素質」を試験監督は見ているのだとインターネット上では噂されていた。真偽のほどは不明である。
そして俺の場合は何を試されているのか、初日の試験が武士の、武士による、武士のためのワンサイドゲームとなりつつある。テメエらに仁義がどうの、武士道がどうの、なんて言われたくないが、とりあえず、竹林を通って元来た道を戻る。試験開始から何分、いや何時間たったのかさえも分からない。勿論どうすれば試験が終了するのかも分からない。試験終了の合図が分からないあまり、模擬幻想試験中に自殺した受験生がいる、などという都市伝説まである。
「…ま、なんとかなるだろ」
我ながらやけっぱちで楽観的な物言いだが、先の見えない試験で鬱になるのも滑稽な話である。もしかしたらこういう状況での忍耐力を見ているのかもしれないし。…というか、さっきから分からないを連発しすぎだ、俺。
武士の襲撃から逃げ、竹林を抜けた向こうには、小さな集落がある。試験開始直後、試験で使用する機器のある試験室の光景が暗転し、次に意識がはっきりしたときにこの村の境界線である川のほとりで倒れていたところを村人に「発見」された。彼らの話を聞くところによると、数か月前からこの近辺で大きな戦が起こっているらしく、村の若い男がほとんど徴兵されていったそうだ。特にこの一週間の戦闘は激しいもので、多くの戦死者が出ているらしい。そして俺は試験の目的も何も知らされていないにもかかわらず、村の長老に頼まれてなし崩し的にこの村の外の様子の偵察人員となっていた。
見ず知らずの人間に、しかも明らかこの世界の人間ではないと思われる奴に村の命運…とまではいかないかもしれないが、それに近いものを預ける長老の向こう見ずさは称賛を通り越して寧ろ捨て鉢な印象を俺に与えたが、偵察人員は俺だけでは無い。
その証拠に…
「あ、深夜さん」
紺色の装束に身を包んだ同年代くらいの少女が木と藁を組んで作られた村の入り口に立っている。俺の存在に気が付くと、こちらに歩いてきた。
「菖蒲さん」
一応会釈をする。
「どうだった?そっちの状況は」
「武士に銃を撃たれたけど、心配ない。全然当たらなかったから」
「そうなの?」
「見ての通り全っ然。そっちは?」
「3日前と状況は変わってない。依然として両軍とも動いていないの」
簡単に二人で状況を伝達しあうと、歩いて村の長老の家に向かう。長老の家は集落にある周囲の家と比べると少しスケールが大きいものだったが、一般的な木造家屋と何ら変わりのない見た目であった。鍵もへったくれもない入口を通り、居間らしき場所に二人して向かうと、長老は呑気に茶をすすっているところであった。
「おお、深夜殿に菖蒲、どうじゃったか」
何気にオーバーアクションなじいさんが件の長老である。
「私が見てきた万年峠の方は、依然として両軍動きなし、です」
「竹林を抜けた先で武士と遭遇しました。相手は拳銃を持っています」
俺は俺の、菖蒲は菖蒲の偵察してきた内容を簡潔に報告する。
「ふむ…つまり、万年峠側は動き無し、那奈瀬川下流に武士、と。その武士、どちら側かわかるかのう?」
つぶらな瞳を向けてくる長老。来たばかりでこの世界の右も左も分かっていない俺にそんなもん分かるかっての、と内心でツッコミを入れつつも、覚えていた特徴をつらつらと述べる。
「え~と、幟に太陽と月が描かれてましたが…」
「恐らく皇家側ですね」
菖蒲の的確なフォローが入る。ナイス。
「そうか。この場合村に被害が出そうなのは宰相側じゃろうから…皇家側ならひとまずは安心じゃのう。二人ともえらいご苦労じゃった、取り敢えずは休みなされ。深夜殿は空いている家のどれかを好きに使ってよいぞ。後で意次に食事などを持って行かせよう」
俺と菖蒲は一礼して、長老の前から退出した。
* * *
「あ~肩こったわ、何か。あと、菖蒲さん、さっきはありがとうな」
長老の家から出た俺が伸びをしながら振り返ると、菖蒲が不思議そうな顔をしている。
「私は知っていることを教えただけ。深夜さん、困ってたし」
「その困ってた俺を助けてくれたからありがとうってことだよ」
やはり、時代が時代なのか、或いは菖蒲が天然(?)なのか、何となくかみ合わないこともある。コミュニケーションに困るという訳ではないが、少しズレを感じるのは事実だ。
「そういうものなのか、な」
「そうそう。で、俺どこ行けばいい?」
菖蒲は村の中心の広場で立ち止まると、長老の家を時計の文字盤の12時とした所から4時の方向を右手で示した。
「そこの家。村正さん一家は全員徴兵されているから、今は誰も居ない。私はこっち」
そう言うと、菖蒲は左手で自分の家を指し示す。ちょうど7時の方向だ。
「おっけ。色々とありがとな、菖蒲さん」
「どういたしまして、深夜さん」
菖蒲は、今度はちゃんと笑顔を返してくれた。
俺たちはここで一度別れ、俺は宛がわれた家屋に、菖蒲は自分の家に向かった。