勇者語り01
攘夷だ尊皇だと日本が騒いでいた頃、一人の剣士が己の身の振り方に悩んでいました。
彼は武士ではありません。刀を持っていますが、武家の生まれでもなく、たまたま放浪中に路上の死体から失敬したものを持っています。
とりあえず身を守るものが必要な時代でした。
天誅と称して人斬りが横行している物騒な世の中ですから、最低限刀を携えていなければ、彼のような浪人はいつ斬られるか分かったものではありません。
彼は一応幕府側に属していますが、徳川幕府に忠誠心があるわけではありません。
ただ単に、お腹が空いて行き倒れていたところを幕府軍のお偉いさんに拾って貰ったので、一宿一飯の恩義のため傭兵として戦力提供しているだけだったりします。
「うーあー……」
恩義に報いるのは武士として以前に人として当然の行いです。毎日ご飯を食べさせて貰っているのですから更に恩義に報いるのも当然です。幕府も政府も関係なく、彼にとってはご飯をくれる人こそが正義です。
しかしトラブルが起こりました。
彼が仕えているお家が維新志士に囲まれてしまっているのです。
しかも火を放たれました。逃げ場がありません。
トドメに守るべき家の人たちは家族揃って殺されてしまっています。唯一彼だけが生き残りました。しかし一面は火の海であり、外に飛び出せば維新志士が待ち構えています。どちらにしろ死ぬしか選択肢がありません。
では何に悩んでいるのかというと、このまま炎に殺されるか、それとも恩人たちを殺した維新志士達を一人でも多く道連れにするべく飛び出していくか迷っているのです。
どうせ死ぬのなら少しでも道連れを増やしておこうと思いますが、それも無駄な努力だと諦めている自分もいます。
「むぅ……」
しかし家族の死体が無念だと訴えています。
仇をとってくれと、声なき声が聴こえてくるようです。
もちろん幻聴でしかありませんが、彼にとっては真実なのです。
「ちくしょう……」
彼は覚悟を決めました。
炎の海を飛び出してまずは最初の一人を斬り殺してやろうと睨みつけます。
「どうにでもなれっ!」
そして彼は炎の中に飛び込みました。
その向こうへ飛び出すために。
「って、ありゃ?」
しかし炎の熱が身体を灼くことも、その向こうにいるはずの維新志士を斬りつけることも出来ませんでした。
彼は、この世界から消失してしまったのです。
そしてその瞬間、異世界の勇者として召喚されてしまうのです。




