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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

食屍鬼

作者: るるゐゑ

 砂を含む風が日除けのマントを巻き上げた。彼の数歩後ろに続く足跡も、同じ風に撫でられ、はやくも輪郭をぼんやりと掠れさせ始めた。


 街の入り口で彼を出迎えたのは二羽の鴉だった。二羽の鴉は、彼を一瞬だけ警戒して距離を量る。すぐに興味を失って食事に戻った。一羽が頭蓋骨の眼窩に頭ごと嘴を突っ込んで、中身を引っ張り出した。もう一羽が、指の骨に残された指輪の回りの肉を啄んでいた。指輪の下になって僅かに残っていた肉片を、器用に剥がしている。


 街は死んでいた。


 人の肉の味を覚えてしまった獣達は危険だ。それは彼が長い旅の間に学んだ事の一つだった。臆病とも云えるほどの用心深さが、彼に行動を促した。音もなく一瞬の動作。鴉さえ彼の動きに気がつかなかった。指の肉をしゃぶる一羽が砂の上に縫い止められる。煤を縫って金属の輝きを隠した刃が根本まで刺さっていた。もう一羽は眼窩に頭部を残したまま飛び立とうとし、ちからなく落ちた。頭部を切断されていたのだ。鴉からナイフを回収し、彼はまた歩きだす。少し離れてから足を止め、振り向かずに云った。


「それは食べない方がいい。ナイフには毒が塗ってある。」


 彼が鴉から離れるのを待っていた女が、声をかけられた事に驚いて立ち竦んでいた。


 女は日に焼けて痩せていた。この街の数少ない生き残りだろう。彼は努めて無表情に云った。


「水のあるところに案内してくれ。」


 マントの内側の隠しから、欠片のような干肉を取り出して投げた。女は拾い上げると彼を見て云った。


「井戸がまだ使えるわ。」


 井戸の底にたまった砂のお陰で、水はろ過されていた。底の様子がわかるほど井戸は浅く、水は少なかった。かつては水も豊富で深く井戸を掘る必要もなかったのだ。彼は砂の混じった水を飲み、皮の水筒を満たした。女も彼の後で水を飲んだ。


「他に生き残ってる者はいるのか?」


 女が腕で口元を拭くのを見ながら、彼は訊いた。女は首を横に降った。その仕種で、彼は女が思ったよりも若く、思春期の少女といえる歳を出たばかりではないかと考えた。女は彼の眼を見て云った。


「私の家に来て。」


 女の家は街の外れにあった。街に残され、打ち捨てられた建物の中で、比較的痛みは少ないようだ。今は何も植えられていない花壇と、横に倒れたまま潰れかけた犬小屋の間で、扉を風に預け揺らしている。


 砂漠の夜は冷たく、火が必要だった。幸い家の暖炉はまだ使うことが出来たし、燃やす木材も街にはいくらでもあった。彼は暖炉の火に照らされた女の顔を見ていた。女は火を見ていた。彼が干肉を取り出して食べ始めると、女は立ち上がって服を脱ぎ始めた。街が機能しなくなり、それでも何人かの生き残りがいた頃は、そうやって生きていたのだろう。彼は黙って干肉を彼女に渡した。


 ベッドの中にも砂は侵入していた。シーツを換えたり、部屋の掃除をする当たり前の日常が終わって、砂に負けてしまったのはいつの頃だろう。寝室には赤ん坊の為の小さなベッドも置かれていた。


「あなた、名前も云わないし、訊かないのね。」


 女は彼の背中を見ていた。彼は窓の外を見つめている。


「一つしか死体を見なかった。街には墓もない。」


 滅びかけて死んでいくとき、きっと作られる筈の板木や枝の粗末な墓もなく、打ち捨てられた死体も一つしかなかった。


食屍鬼グールよ。」


 女は彼に顔を見せない。寝たまま背を向けていた。


「死体を食べるんですって。触られると人間も狂ってしまう。最後は食屍鬼グールになるのよ。」


「鴉も二羽しか居なかった。そいつのせいか?」


「鴉は飛べるもの。」


「隣の街には鴉も居なかった。人間は残ってたが。」


 女は何も答えなかった。


「鴉は賢い。そうは云っても必死になった人間達に捕まえられない事もない。それに飛んで別の街に行ける。この街にいたのは、おこぼれが出るからだ。食屍鬼グールの。」


「そうだろう? 食屍鬼グール


 女がベッドから飛び出して立ち上がった。手にはナイフが握られている。


食屍鬼グールの伝説は聞いたことがある。インディアンの伝承の中に有るらしい。飢饉の年に発生して、そいつに触れられると感染するらしいな。感染したと思えば、云いふらせば飢え死にも無いわけだ。」


「ありがとう食屍鬼グールのお嬢さん、俺を触ってくれて。これで決心がついた。」


 彼は立ち上がった。手にはナイフを握っていた。もしかしたら食屍鬼グールの伝説は本当かもしれない。きっと彼は、もう狂ってしまっている。用心深い彼が、ナイフの毒の事を忘れてしまっているのだから。



               おわり

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