006:記憶録
隣で傘を構える女性。
血泥で汚れ眠る子供。
黒と橙に染まる風景。
水底から見える青空。
濃霧が掛かった河辺。
腐り落ちそうな人影。
この六つが、私に残った過去。この六つこそが私本来の記憶。
だけど、何故だか。この記録がとても忌みしく感じる時がある。
思い出したい/思い出すな
大切なモノを/不必要なコトを
穴を埋める為に/傷を広げない為に
◇◆◇◆◇◆
「人間かしら?」
「妖怪だと思うけどなぁ」
「人間にしては、だけど妖怪にしても……」
「………………」
またもや三人+独りの状況。秘封倶楽部活動二日目は、ある話題で持ち切りになった。
切欠は宇佐見さんが発見した手記。何が書かれているかと思えば、ミミズがのたくった様な――――現代人が見ても、恐らく当時の人が見ても解読不能である文字が書かれているだけだった。
なんとか単語を予想しながら読み進めてみると、どうにも『妖怪』としか読めない単語が多い。昔の宮司がお祓いでもしていたのかもしれないが、それにしては『妖怪と酒を飲む』だのフレンドリーな記述が多い。
問題は、書き散らかされた日誌――――――鬼に会う――――――月を攻める――――――西行寺へ行く――――――赤瀬に会う――――――人形を作る――――――その中に一文、『八雲紫が漸く幻想郷を作る』とあったのだ。
「『八雲紫』……ハチウンムラサキ? ヤクモムラサキ? 変な名前」
「ムラサキじゃなくて別の読みがあると思うけど、この人物が幻想郷に深く関わってるのは確かみたいね。……それと、この『水元鉄生』も」
手記の筆者、水元鉄生。奇しくも幽夜さんと同じ名字であるこの人物も又、謎に包まれている。
あの人形も含め、蔵にあるほぼ全ての品を作り、その上蔵を作ったのもこの人物らしい。幾らなんでも嘘っぱちだろうが、どうやら水元鉄生がかつてこの神社においての権力者であったのは間違い無い様だ。
だが、気になるのはそこじゃない。
「……『漸く』……」
漸く。やっと、と同意の言葉。つまり、やっと幻想郷を作った、と言いたいのだろう。勿論この単語が解読間違えなら何ら問題無いし、『八雲紫』が前々から言っておきながら実行せずやっと、と言う意味なら良く分かる。
だけれど幻想郷の記述はこの一文しか無い。もし前々から話があったのなら、他にもそれらしい事を書いてるのでは無いだろうか。
なら、水元鉄生は予め『幻想郷』が作られるのを予測していた……?
(……ま、僕には関係無い、か)
神社について気にならないと言えば嘘になるが、どうせ出て行く我が家について知った所でどう出来るか。精々謂われを語るに語って値を釣り上げる位だ。口下手な自分に何か益があるとは思えない。
そっと席を立ち、空になった湯呑みとお茶請けの皿を持って台所へ行く。
◇◆◇◆◇◆
人形を触れた時、脳裏に過ぎったのは一人の男。一本に結った銀髪を揺らしながら刀を振り回す、黒い袴を着た男。
まるで流れる水の様に滑らかな一挙手一投足。同じ動作は一つも無く、気儘に駆ける変幻自在な風。
男と対峙した人形の見た景色は、私の■の中に留まっている。
きっとこれは記憶でも記録でも無い、只の残り滓。戯れが偶々残ったモノ。それでも貴重な事には変わりない。
きっと、もっと想いが強いモノがあれば――――――或いは、この喪失感が無くなるのでは無いだろうか。