005:月下の閑話
夜の本堂には明かりらしい明かりは無く、隙間から切れ切れに入り込む自然の光のみが頼りとなる。幼い頃から叩き込まれた瞑想紛いをやるにはとても丁度良い。
像の前を陣取り胡座を掻く。座禅の方が良いのかもしれないが、生憎と身体が硬いのでそこまで足は動かない。
「………………」
ピン、と張り詰めた空気を徐々に解して身体の外へ。足先、指先、筋肉から力を抜いていく。
「………………」
唯一残ったのは身体を支える背骨の緊張と、言い様の無い渦巻く力。自由に使えないその力の動きを理解し、手足に少しずつ伝わせる。
「………………」
バラバラになった四肢にか細い糸を通し繋げ、綿を入れていくイメージ。身体を作り直すこの感覚は、何時になっても慣れない。
……いや、昔を思い出すから、だろうか。
「あら、面白い事してるのね」
「ッ!?」
紛れた雑念を振り払うと同時に掛けられる澄んだ声。
「…………幽夜、さん」
「うんうん、ちゃんと名前で呼んでくれる様になったわね」
昼間とは違ってTシャツと短パンと言うラフな格好の水元幽夜。銀色が印象的なストレートヘアに月光が透け、昼間とは違う雰囲気を醸し出している。
よいしょ、と断りも無く隣に座り、座禅の真似事を始めた。禅は仏教だったかな。そもそも神道でも瞑想するのかすら知らないけど。
「そんな真面目な顔にならなくても。こうやって座ってるだけでもいいじゃない?」
そう言って手を合わせる幽夜さん。僕と幽夜さんの前にある像……一応、神様の姿を彫ったらしい木工像に対してなのだろうけど、南無南無言ってる相手に御利益あるかは分からない。
「……幽夜さん」
「なに?」
再び目を瞑りながら質問し、目を瞑りながら返答される。
「鍵を返して貰ってない」
「あ、そうだったわね」
チャリン、と前で金属が置かれる音がした。正直な所、鍵なんて無くていいんだが、やはり他人に持たれているのは不快だ。
「なんで人の家に勝手に上がり込んだんですか? 参拝なら本堂に行けばいいし、僕を待っていたなら玄関の前で待つなりあったでしょう。不法侵入ですよ」
「……懐かしかったから、って言って信じて貰える?」
懐かしい?
「私には昔の記憶が無い、って言ったでしょ? 多分思い出せてないだけなんだろうけど、そんな過去が無い私がこの場所を懐かしんだ。だからちょっと抑えきれなくて……まぁ、犯罪には違いないけどね」
本人曰く、なんでも十五年以前の記憶が全く思い出せないとか。目が覚めたら川辺に引っかかってて、そこから当ても無く彷徨っている、と言っていた。引っかかってたって何だよ、それ。
「懐かしいって事は、この神社に来た事があるって事ですか?」
「ある……んだろうけど、どうも駄目ね。あの人形に触れた時には一瞬戻りかけたと思うんだけど」
人形……倉庫の肥やしになってたガラクタのデッサン人形擬きが、まさか動き出すとは思わなかった。鉄製の癖にめっきり錆びないのは怪しいとは思っていたが。
「良かったら差し上げますよ、あんな人形。あっても邪魔なだけなので」
「なら、遠慮無く頂くわ」
遠慮なんてこの人間には存在しないだろう。こっちが状況を飲み込んでもいない間に宿も飯も面倒を見る事を決めさせるなんて、普通出来ないし道徳的な面があるならしない。
……女性が若い男の家に泊まる、ってのはどうなんだろう。胸部を除けば万人に通用する美人だとは思うのだが、本人にそう言う自覚があるのかは分からない。もしくは分かっててからかってるのか。
「代金は身体で、とか言っても無駄だからね。そんじょそこらの男ならはり倒せる自信はあるから」
……どうやら理解した上の行動の様だ。
その後、瞑想してるフリをして寝ていた幽夜を布団まで引きずる羽目になったのは余談。
ナニをしたとかそう言うのは天地神明に誓って無いとだけ言っておくのは蛇足。