036:09/月時計~ルナ・ダイアル~
――――化物。
今一度、投擲によって眉間に銀刃を突き刺したソレに寒気を覚える。硬度は人体とそれほど変わらないのか、霊力で加速されたナイフは根元まで刺さってる。
だと言うのに。
「おーいてて」
まるで、ちょっと小石が当たったみたいな顔をしている。流れている血は赤いけれど、それが絵の具の様に感じてしまう。
「ったく。穏便さが欠けるねぇ、咲夜さん。乱暴者は嫌われるぜ?」
「女を突き飛ばす様な奴に乱暴者と言われる筋合いは無いわ」
口調は平静だが、心はそうもいかない。赤瀬凪人と同程度の再生力と不死性。人間の領分を越えているとしか思えない。
それがコレから発せられているのかどうか気になる所だが、それを気にする必要は無い。どちらも殺せばいいのであって、選んでやる事は無い。
けれど、
「貴方、誰?」
自分の名前を気安く、しかし「さん」付けで呼ぶ相手。ただおちょくっているだけなら構わない。だが、何か引っ掛かる。
その声は違っても、口調が、雰囲気が、ダレカを想起させる。
私の疑問に、男は少し唸る。
「……咲夜さんや。俺の事は知ってる?」
「化け物の知り合いはいないのよ、残念ながら」
侮蔑の意味を込めた回答。それにわざわざ考え込む様な顔で対応する男。
「そっ、か……んじゃ、その質問には答えられないな。今度ちゃんとした俺に会ったら訊いてやってくれ」
残念そうな声で、僅かに見える口元に笑みを浮かべる。まるで、悪戯少年が悪さをしでかす前に捕まってしまい、ばつが悪い時みたく。
だがそれよりも、私の目に焼き付いたものがある。
その、眼。白銀の髪によってより一層印象強くなる眼。
なんと形容すれば良いのだろう。まるで、人間そっくりの人形に、何故か目玉を付けなかった様な。
出来損ない。不良品。ジャンク。完成しているけど欠けている。
まるで私の懐中時計の様に、その歪な存在は生前した様子で立っていた。
そして、壊れたそのヒトガタは、
「ああいや、それともこんな時はこういうべきなのか? あんまり決まってる口上とは言えないが、ま、いいか。
――――只の妖怪、■■■■だ」
私にとって最大級の忌み詞を、口にした。
「……んー、なんか締まらないな。愛妻家ってのも浮かんだけど、誰の夫なのか分からねえし。つか俺、妻帯者になれたのか。
とりま、俺は今名乗った通り――――」
傷魂「ソウルスカルプチュア」
不快な雑音を響かせる塵に、剣戟が飛ぶ。
どこかの庭師が使う弾幕を模したモノ、能力を行使せずに作り出したその弾幕には一分の隙間も無く、ただ対象を切り刻む為だけにある。
そして、止まった時の世界では、その刃を止める者はいない。残るのは、幾千幾万と微塵に裂かれた空気。それと、血塗れになった青年だったもの。
まだ何か動こうとするが、それ以上不快なモノを放置したりしない。塵掃除は、私の仕事なのだから。
逃げる塵へ、文字通り足止めのナイフを放つ。縫い止める様にカーペットに突き立った銀刃は、確かに肉を貫き通している。
投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。刺さる。投げる。
そして私に刺さる。
「どこに投げてるんだ? 咲夜さんよ」
背中に刺さったナイフを抜き取る。私が持っているナイフと同じデザイン。同じ重さ。量った様にそっくりだ。
「ったく、しこたま投げやがって。ちょおっとこれはお仕置きもんかな?」
変わらず乱れた髪。だがその奥からは、揺らめく炎の様な光を見た。
◆◇◆◇◆◇
見る。
一つしか無い俺の眼が、十六夜咲夜の一挙手一投足を見ている。浄眼の権能を消失させても、人間一人の動きを把握するのは造作もない。
そして、その全てを覚える。指先、手首、腕、口、瞳、視線、脈拍、呼吸。ありとあらゆるファクターを脳みそに叩き込む。体が元から持っている力を使うだけで、自身の意志を保つよりも簡単だ。
覚えろ。覚えろ。覚えろ。
思い出せ。思い出せ。思い出せ。
全て、結び付けろ。
何よりこの体はそれが出来る。出来なければ勝てない。
「―――――」
先に動いたのは、少女のナイフだった。俺の関節と急所を同時に狙う、人間業とは思えない動き。
「フンッ」
それを、同じくナイフで叩き落とす。元々が同じ金属だから取り込む事も可能だが、それを制御するのにキャパシティを割く訳にはいかない。
何より能力を歪めて使っている今、ナイフを生成する事さえ疲れる。
防いだ瞬間、厳密に言えばナイフを投げ、それに視界が若干覆われた時に、十六夜咲夜は動いていた。自らの姿を隠し、こちらの死角を突く為に。
だが。
「その動き方、知ってるぞ」
既に見た動きが通じる程、この身体は甘くない。不可視の位置に迫るナイフを翳した右手で払いのける。
「正確だから着弾位置が読める。完璧だからこそ過程を知れば同じ結果を導き出すのは容易い」
ノールックショット。相手に撃たれてからその場へ撃ち返すと言う、頑強さが無ければ愚者が行う行為を、認識の段階を飛ばす事で反射の域での投擲を可能とする。
だが、それで当たる程甘い的では無い。例え当たったとしても護りを貫く事は出来ないだろう。
だから。
「仕掛ける」
ナイフに仕込んでいた糸を横へ引っ張る。軌道を変えられたナイフは十六夜咲夜の腕に引っ掛かり、そのままその細い身体へ巻きついていく。
「これ、は……!?」
極細の銀糸が、■■の義肢の指先から伸びていた。もがけば簡単に切れてしまいそうなソレは、やはり十六夜咲夜の銀刃の前では簡単に乱麻の如く断ち切られる。
だが、遅い。もう掛かった。
その数瞬に、既に接近する下地が整った。
苦し紛れに作られるナイフの壁を無視し、拳を奮って道を開く。それはまるで、戦陣を掛ける戦車の様に。
「チェック、メイト」
終焉を、告げた。