019:緋と赤〈中〉
ちょっとだけ流血描写あり
まるで段ボールを口の中で咀嚼している様だ。無論、テーブルに出されたメインデッシュは何かの肉であって、味付けだって良い具合にはなっているのだろう。
だが。だがしかし。無言のまま続けられる晩餐会の圧力は、僕の気力を削るには十分過ぎる緊張感に溢れていた。それを感じ取っているのは恐らく自分一人なのだろうがそれでも声高に叫びたい。頼むからなんか言ってくれ、と。
本来僕はお喋りな方じゃない。沈黙は金、雄弁は銀の格言を忠実に守っている。だが今回ばかりは金の重さに潰れてしまいそうだ。
一般常識程度の洋食のマナーを奮い、なんとかケーキ的な物を平らげる。幾つもあるナイフやフォーク意味が分からない。と言うか何でこんなお上品な物を食べているのか分からない。
僕と……えーっと、スカーレットさんでいいのか? スカーレットさんの給仕を行っているのは十六夜さんだ。食べ終わるタイミングが同じ位でも何時の間にか皿を下げて次の料理を持ってきているのだから驚きだ。この人も人外の類なんじゃないか。いや、まさかな。
そんな十六夜さんが食後の紅茶を持ってきた所から、会話は始まった。
「……なんか緑色なんですが」
紅茶、と言って出された物が緑色……抹茶の様な緑だったらどうする? 結構なお手前で、とか言えばいいのか?
「赤瀬様は日本食の方が好きと伺ったので、特別に緑茶風味の紅茶をご用意しました」
「………………さいですか」
ツッコんだら負けだ、ツッコんだら。反対側にいるスカーレットさんだって客がいる手前何も言ってないけど呆れた様な顔してるし。礼節を保ち、出来るだけ舌に触れさせない様に液体を飲み込む。
「それで、客人。門番から話は聞いたか?」
香りだけを楽しんでティーカップを置いた少女、レミリア・スカーレット。尊大な態度は別に良いにして、姿がどー見ても女の子ってのがイメージと違う。まぁそんなのを気にして気分を害したら嫌なので平常心平常心。
「はい。暫くの間、此方に滞在しても良いと」
条件付きで。最後にそっとを付け加えると、満足そうに頷いた。
「ああ。別に人間一人を泊めても問題は無いからな。そうだろう、咲夜?」
「はい」
本当に何時の間にか移動しているメイド長。スカーレットさんの影の様に立っている。
「助かります。早速、その条件と言うのを教えて頂けないでしょうか」
此処に住む間は働けとか、そんな所だろう。こっちは何も渡せる物は無いし、身体で恩を返す位しか思い付かない。
だが、離れた僕でも分かる位やる気が無さそうな紅魔館の主は、少し予想外の単語を口にした。
「幽夜」
「…………?」
「だから、水元幽夜。アレを受け渡すなら、暫く居て構わないよ」
言葉を聞き取るのに一秒。意味を把握するのに五秒。口を開くのに十秒。
「……………………は?」
待て、待て待て待て待て待て待て。耳の調子がおかしいのか? いや、だとしても有り得ない聞き間違いをした様な気がしなくもないんだがそうとしか聞こえなくて、え? ギャグ? 何を言ってるのかね君は?
まじまじとスカーレットの顔を見る。此方が驚いている事に驚いている様な表情だ。
「別に構わないだろう。パチェ……知り合いの魔法使いによると、アレには魂が入っていないらしいし」
「はぁ!?」
もう、駄目だ。敗北は認めるからツッコませてくれ。魔法使い、は良いとして、魂? が入ってない? それってつまりは、
「一般的には死んでるのと変わらない。このままほっといても目覚めないし、目覚めたとしても身体が衰弱死する方が早いだろうな。自発的に呼吸があるだけ奇跡だそうだ」
お茶の味がどうとか言ってられない。一気に飲み干し、廻りづらい舌を湿らせる。苦味や渋味が口の中に広がるが、気にしている暇は無い。
「そんな荒唐無稽な話、どうやって信じろって言うんだ!」
「事実なんだから仕方無いだろう。それで、くれるのか? くれないのか?」
これだから子供は嫌いだ。説明が下手くそな奴ばっかで自己中で話を進めたがる。
椅子を倒す勢いで立ち上がり、言い放つ。
「やれる訳、無いだろうが!」
言い切った後に頬に少しの熱。羞恥によるそれは次の瞬間吹き飛んだ。
腹の底からの震え。肝どころの話じゃあない。五臓六腑まで冷え切った。肌にはさぶいぼが立ち、首筋に寒気がする。
勿論それは感覚的な問題だ。実際の室温はそこまで寒くは無い。だが、体感的には零度まで下がった様だ。
その原因は、視線。青いメイド服に青い眼の従者と、幼く紅い瞳の主。両者の視線が仄かな闇の中に在る。
「……そう、か。そうか。そうか。まぁいきなりの話だから仕方無い、か」
だがな、と呟くような声。次の一言が空気を伝う前に眼光に乗ってきそうな、そんな錯覚を起こした。
「私の友人も興味を抱いているし、何より。アレが私達の知っている存在なら――――――」
細い指を首に当て、それを横切らせる動作。それは分かり易く、殺すと言う事。
あの馬鹿め、ヤバい奴に喧嘩売りやがったな。恨み言を口に出す前に、
「お世話になりました」
踵を返し、扉へと向かう。紅さんに聞けば幽夜の場所だって分かるだろう、そう期待して足を踏み出し――――
「逃がさない」
つま先に熱と鈍い痛みが走った。
目の前には銀髪の女性、だがそれを見る目線は傾き、紅いカーペットへと向けられる。
「貴方がアレを知っているのなら、此処から出しはしない」
……銀色のナイフで縫い付けられているのは、卸し立ての革靴と、そこに納められていた僕の足。
「ッ――――――!?」
なんとか歯を食いしばり叫びを堪える、が、傷を視認した為に鈍い痛みがキチンと脳味噌に伝わる。不明確な熱さは無くなり、痛覚のみが作用する。
膝が震える。このまま抜け落ちてしまいそうだ。帰る事を忘れて、このままうずくまってしまいたい。
――――だが。今感じているのは痛みだけだ。そんなもの、怖くは無い。
「こんなん……どうもしないッ!」
金属片の様なナイフの柄を掴み、一気に抜き取る。鮮血が空を舞い、痛みは最高潮だ。
しかし、そこまで。それ以上の痛みにはならない。それを耐えれば、動き出す事は簡単だ。
「どけ」
抜き取ったナイフを逆手に持ち、十六夜の首に突き付ける。出来れば左手で拘束までしたいが、掴む事にまで余力を割いたらまたハヤニエになりそうだ。
震える右手で脅されながらも、十六夜咲夜の眼に動揺は無い。ここで分かり易く怯えてくれれば、とは思ったが、いきなりナイフをぶっ刺す奴には無理か。
……待て。忘れてる事がある。このメイドはどうやって此処に移動してナイフを刺したんだ? こうやって突きつけてるだけじゃ意味は無いんじゃ―――――
「仕方無い。咲夜、いいわ。少し早いけど、明日の具材にでもしちゃいなさい」
「御意」
僕の腕が動くのと、彼女がエプロンに手を入れるのは、殆ど同時だった。
だが、掴んだと思った手は空を切り。代わりにその手には。その腕には。この身体には。
獲物を仕留める切っ先が向けられていた。
◆◇◆◇◆◇
断末魔を上げる事無く血飛沫を撒き散らしながら、赤瀬凪人は倒れた。その身体の至る所には十六夜咲夜のナイフが突き刺さり、倒れた面にあるナイフは肉を抉り筋肉を見せていた。
「お見苦しい所を見せてしまい大変申し訳御座いません、お嬢様。すぐに片付けます」
目の前の針山を見ても声を上擦らせも吐き気も催さず、ただ機械的に礼をする。そんなメイドを一瞥し、さっさとしろと口に出そうとした時、レミリア・スカーレットはある事を思い付いた。
「待ちなさい」
少し古びた懐中時計を取り出したメイドを止め、先程まで動いていた食材へと歩み寄る。
コレがあの赤瀬の末裔だとしたら、その血には大変興味がある。紅茶や料理になったそれを食するも良いが、鮮度と言うのは時を操るメイドでも保つのは難しい。
偶然ナイフの刺さらなかった、血だらけの首筋。その周囲の血を舌で舐め取る。少量ではあるが、不味くは無いとは分かる。
その舐め取られた肌に向けて開いた小さな口を――――牙を突き立てる。
徐々に染み出てくる血。やはり金属によって出た血とは違う。
その風味を口内で楽しみ、喉に流し込もうとした時、
「王手」
血だらけの手に握られた金の鍔のナイフが、レミリア・スカーレットの腹部を刺した。